日本語の語頭有声閉鎖音(例えば「べろ」の最初の子音)に二通りのパターンがあるってあまり知られていないですよね、という話に始まり、言語学界隈の人々にとってPraatがいつの間にか音声の音響分析の代名詞になったという話など。
Praatが音声の音響分析の代名詞になるまで:一音声学者からみた音響音声学の30年 | 発音と音声学の資料室 #言語学な人々
utsugi-phonetics.com/2025/12/03/a...
日本語の語頭有声閉鎖音(例えば「べろ」の最初の子音)に二通りのパターンがあるってあまり知られていないですよね、という話に始まり、言語学界隈の人々にとってPraatがいつの間にか音声の音響分析の代名詞になったという話など。
Praatが音声の音響分析の代名詞になるまで:一音声学者からみた音響音声学の30年 | 発音と音声学の資料室 #言語学な人々
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その理由を適切とは見做さない人々に我々が出会った、と仮定しよう。我々はこれをどう考えたらよいか。
彼らは物理学者の見解を尋ねるかわりに、神託に問うようなことをする。(だから我々は彼らを原始人と見做す。)彼らが神託を仰ぎ、それに従って行動することは誤りなのか。──これを「誤り」と呼ぶとき、我々は自分たちの言語ゲームを拠点として、そこから彼らのゲームを"攻撃"しているのではないか。
その理由を適切とは見做さない人々に我々が出会った、と仮定しよう。我々はこれをどう考えたらよいか。
彼らは物理学者の見解を尋ねるかわりに、神託に問うようなことをする。(だから我々は彼らを原始人と見做す。)彼らが神託を仰ぎ、それに従って行動することは誤りなのか。──これを「誤り」と呼ぶとき、我々は自分たちの言語ゲームを拠点として、そこから彼らのゲームを"攻撃"しているのではないか。
奥田靖雄, 言語学研究会 編/ 工藤真由美 解説 『日本語文法・文論 複文研究』
comingbook.honzuki.jp?detail=97848...
奥田靖雄, 言語学研究会 編/ 工藤真由美 解説 『日本語文法・文論 複文研究』
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極論を言えば、現代人の我々から見ると昔の女性は全員魔女の可能性があった。女性たちは皆伝統的生活の中で大なり小なり魔術的行為に携わっており、その技術に対する得意・不得意はあっても、魔女・非魔女の区別は明確ではなかったのである。魔女が伝統文化として浸透している社会においては魔女という存在自体が強く浮き彫りになることはない。妄想を膨らませ彼女たちを神格化あるいは化け物扱いして騒ぎ立てるのは伝統文化を失った外の世界の人々だけなのである。
角悠介『呪文の言語学 ルーマニアの魔女に耳をすませて』作品社
極論を言えば、現代人の我々から見ると昔の女性は全員魔女の可能性があった。女性たちは皆伝統的生活の中で大なり小なり魔術的行為に携わっており、その技術に対する得意・不得意はあっても、魔女・非魔女の区別は明確ではなかったのである。魔女が伝統文化として浸透している社会においては魔女という存在自体が強く浮き彫りになることはない。妄想を膨らませ彼女たちを神格化あるいは化け物扱いして騒ぎ立てるのは伝統文化を失った外の世界の人々だけなのである。
角悠介『呪文の言語学 ルーマニアの魔女に耳をすませて』作品社
中島智 『文化のなかの野性 芸術人類学講義』
comingbook.honzuki.jp?detail=97849...
中島智 『文化のなかの野性 芸術人類学講義』
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人々の言葉やコミュニケーションのメカニズムという複雑な内容が明るく語られてます。
言語学の専門的な切り口はさまざまあって、その入り口を魅力的にたくさん示してくれる本だった。
わたしは、「あのー」と「えーと」の違い、のところ辺りがすごくおもしろかった。『フィラー』っていうんだって。
それから、文中に研究者が挙げれられるときにかならず入る似顔絵のイラストが、かなりいい。先生方それぞれの佇まいに想像がふくらんだわ
人々の言葉やコミュニケーションのメカニズムという複雑な内容が明るく語られてます。
言語学の専門的な切り口はさまざまあって、その入り口を魅力的にたくさん示してくれる本だった。
わたしは、「あのー」と「えーと」の違い、のところ辺りがすごくおもしろかった。『フィラー』っていうんだって。
それから、文中に研究者が挙げれられるときにかならず入る似顔絵のイラストが、かなりいい。先生方それぞれの佇まいに想像がふくらんだわ
言語学者のエッセイ。
1960年代、70年代、インターネットはまだ遠く、チェコという当時社会主義国家で、古本屋の店主と仲よくなり、人脈を使い、数千部しか刷られていない言語学の本を手に入れようとする。
そこで出会う人々の話は面白く、言語学の話しになるとこちらの知識が足りず、そこはぼんやりとしかわからない。
でも、著者がすごく力を入れて楽しそうに語っているから、なるほどそういう世界もあるんだなと、わからないなりに楽しく読める。
私のまだ生まれていない時代の、全く知らない土地の、遠い何処かの空気を感じられる、素敵なエッセイでした。
#読書
言語学者のエッセイ。
1960年代、70年代、インターネットはまだ遠く、チェコという当時社会主義国家で、古本屋の店主と仲よくなり、人脈を使い、数千部しか刷られていない言語学の本を手に入れようとする。
そこで出会う人々の話は面白く、言語学の話しになるとこちらの知識が足りず、そこはぼんやりとしかわからない。
でも、著者がすごく力を入れて楽しそうに語っているから、なるほどそういう世界もあるんだなと、わからないなりに楽しく読める。
私のまだ生まれていない時代の、全く知らない土地の、遠い何処かの空気を感じられる、素敵なエッセイでした。
#読書
哲学や歴史学や自然科学などはその際たるものだが。
「そんなん考えなくてもネットで検索したりAIに聞いたりすればいい」
の行き着く先が、言語のこの機能を破棄する方向なら、すごい皮肉だ。
哲学や歴史学や自然科学などはその際たるものだが。
「そんなん考えなくてもネットで検索したりAIに聞いたりすればいい」
の行き着く先が、言語のこの機能を破棄する方向なら、すごい皮肉だ。
言語学がめっちゃ苦手なもんで雷や風の神様繋がりから見るインド・ヨーロッパ語族の繋がりとか定番ネタだと思うんだけど、私的にはほにゃ〜って感じなのよ。
しかしインド・ヨーロッパ語族なのでクルガン仮説を入れるとマッチョ満点のチャリオットな文化(=ソー)と話を繋げられるんだ。
んでもってスノリのエッダでオーディンはアジアから来た有力者で北欧の英雄達はトロイヤの人々だというやつは、青銅器のシュメール→エーゲ海→ヨーロッパの流れと繋げて見れるかなと思っていた。
言語学がめっちゃ苦手なもんで雷や風の神様繋がりから見るインド・ヨーロッパ語族の繋がりとか定番ネタだと思うんだけど、私的にはほにゃ〜って感じなのよ。
しかしインド・ヨーロッパ語族なのでクルガン仮説を入れるとマッチョ満点のチャリオットな文化(=ソー)と話を繋げられるんだ。
んでもってスノリのエッダでオーディンはアジアから来た有力者で北欧の英雄達はトロイヤの人々だというやつは、青銅器のシュメール→エーゲ海→ヨーロッパの流れと繋げて見れるかなと思っていた。
日本の文化も特徴的だし自分が普段行っていることも外国の人から見たら不思議なのかな、と俯瞰的に考えてしまいました。
文化は異文化×2で面白く感じますが言語もきっと英語と日本語はピダハン語と英語くらい離れてそうなので結構「???」な所は多いです(翻訳すごく大変だったと思います)
でも言語パートも少しずつエピソードや現状の言語学の話が挟まれたりして最後まで面白く読めました。
アマゾン、気になるけどとめどない虫描写にビビったのでちょっと無理ですね。
日本の文化も特徴的だし自分が普段行っていることも外国の人から見たら不思議なのかな、と俯瞰的に考えてしまいました。
文化は異文化×2で面白く感じますが言語もきっと英語と日本語はピダハン語と英語くらい離れてそうなので結構「???」な所は多いです(翻訳すごく大変だったと思います)
でも言語パートも少しずつエピソードや現状の言語学の話が挟まれたりして最後まで面白く読めました。
アマゾン、気になるけどとめどない虫描写にビビったのでちょっと無理ですね。
その理由を適切とは見做さない人々に我々が出会った、と仮定しよう。我々はこれをどう考えたらよいか。
彼らは物理学者の見解を尋ねるかわりに、神託に問うようなことをする。(だから我々は彼らを原始人と見做す。)彼らが神託を仰ぎ、それに従って行動することは誤りなのか。──これを「誤り」と呼ぶとき、我々は自分たちの言語ゲームを拠点として、そこから彼らのゲームを"攻撃"しているのではないか。
その理由を適切とは見做さない人々に我々が出会った、と仮定しよう。我々はこれをどう考えたらよいか。
彼らは物理学者の見解を尋ねるかわりに、神託に問うようなことをする。(だから我々は彼らを原始人と見做す。)彼らが神託を仰ぎ、それに従って行動することは誤りなのか。──これを「誤り」と呼ぶとき、我々は自分たちの言語ゲームを拠点として、そこから彼らのゲームを"攻撃"しているのではないか。
私の専門は言語学です。一つの言語だけを見ていては言語の本質は見えてきません。多くの言語学者が同意するところでしょう。英語がアカデミアの共通語であるにもかかわらず、あえて日本に学びに来てくれる留学生たちは、日本の言語学に大きく貢献してきました。大学は、多様な言語、文化的背景、価値観をもつ人々が、国籍によらず、ともに学び、研究する場であるべきです。
#学術は国境を越える
#SPRING4all
chng.it/zTjgCmh7QJ
私の専門は言語学です。一つの言語だけを見ていては言語の本質は見えてきません。多くの言語学者が同意するところでしょう。英語がアカデミアの共通語であるにもかかわらず、あえて日本に学びに来てくれる留学生たちは、日本の言語学に大きく貢献してきました。大学は、多様な言語、文化的背景、価値観をもつ人々が、国籍によらず、ともに学び、研究する場であるべきです。
#学術は国境を越える
#SPRING4all
chng.it/zTjgCmh7QJ
角岡賢一 『上方落語に見る江戸明治期の社会とことば』
www.9640.jp/book_view/?1...
角岡賢一 『上方落語に見る江戸明治期の社会とことば』
www.9640.jp/book_view/?1...
futabasha-change.com/list/cast/%E...
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「文献学」(philology)とは、古い文献を読み解くために当時の言語の再建という作業を通じて、当時の人々が抱いていた世界観を理解しようとする学問のこと。トールキンはその当代きってのエキスパートだった。
「文献学」(philology)とは、古い文献を読み解くために当時の言語の再建という作業を通じて、当時の人々が抱いていた世界観を理解しようとする学問のこと。トールキンはその当代きってのエキスパートだった。
私からすれば彼らの行動は単純であり、しかし同時に極めて奇妙な現象の一つと言えます。単一の意図や目標が存在するのではなく、むしろ個々人が意識の不調和に応じて混乱し、時折それらの観念が歪曲されて方向へと導かれるのです。
彼らの発言において見られる言語学的表現に注目しますと、現実とは異なり空間的な位置を離れ論理的秩序を無視した存在や概念に対する認識の欠如が浮き彫りになっています。
私からすれば彼らの行動は単純であり、しかし同時に極めて奇妙な現象の一つと言えます。単一の意図や目標が存在するのではなく、むしろ個々人が意識の不調和に応じて混乱し、時折それらの観念が歪曲されて方向へと導かれるのです。
彼らの発言において見られる言語学的表現に注目しますと、現実とは異なり空間的な位置を離れ論理的秩序を無視した存在や概念に対する認識の欠如が浮き彫りになっています。
>本書は、21世紀の言語・コミュニケーションの課題に「境界」と「周縁」の視点から迫る。ジェンダー、翻訳通訳、危機言語、移動する人々、方言やマイノリティ言語、言語実践のリアリティなどをテーマとする11の論考は、「境界」と「周縁」の恣意性、曖昧性、政治性、暴力性、潜在するイデオロギーを多様な論点と方法で顕在化させ、新たな研究の地平を照らしだす。
三宅和子・新井保裕編『境界と周縁 社会言語学の新しい地平』
www.hituzi.co.jp/hituzibooks/...
>本書は、21世紀の言語・コミュニケーションの課題に「境界」と「周縁」の視点から迫る。ジェンダー、翻訳通訳、危機言語、移動する人々、方言やマイノリティ言語、言語実践のリアリティなどをテーマとする11の論考は、「境界」と「周縁」の恣意性、曖昧性、政治性、暴力性、潜在するイデオロギーを多様な論点と方法で顕在化させ、新たな研究の地平を照らしだす。
三宅和子・新井保裕編『境界と周縁 社会言語学の新しい地平』
www.hituzi.co.jp/hituzibooks/...