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(谷崎潤一郎『文章讀本』)
もし皆さんが、何ぞ今までにない新しい思想や事柄を述べようとする場合には、無理にそれに当て篏まる単語を造り出そうとしないで、古くからある幾つかの言葉を結び合わせ、句を以て説明すればよいのであります。
とにかく、相当の言葉数を費した方がよく分ることを、二字か三字の漢語に縮めようとするのは宜しくない。
(谷崎潤一郎『文章讀本』)
(谷崎潤一郎『文章讀本』)
もし皆さんが、何ぞ今までにない新しい思想や事柄を述べようとする場合には、無理にそれに当て篏まる単語を造り出そうとしないで、古くからある幾つかの言葉を結び合わせ、句を以て説明すればよいのであります。
とにかく、相当の言葉数を費した方がよく分ることを、二字か三字の漢語に縮めようとするのは宜しくない。
(谷崎潤一郎『文章讀本』)
私には、自然主義文学、及びその末流私小説が毒したものは、作家その人よりも、小説の読者であると思われる。小説は正当な読者を失ったのである。つまり読者は小説を小説として読む習慣を失ったのである。
この問題に深入りすると、本題の小説の方法を外れてくるから、近代小説と告白との関係、
私には、自然主義文学、及びその末流私小説が毒したものは、作家その人よりも、小説の読者であると思われる。小説は正当な読者を失ったのである。つまり読者は小説を小説として読む習慣を失ったのである。
この問題に深入りすると、本題の小説の方法を外れてくるから、近代小説と告白との関係、
それは彼の作りあげたものではなく、彼が自分のなかに発見するところのものである。それは言い換えれば彼自身であり、言葉に述べられた彼の本質であり、学説として形成された彼の人格の意義であって、その一生を通じて変えることのできないものである。
それは彼の作りあげたものではなく、彼が自分のなかに発見するところのものである。それは言い換えれば彼自身であり、言葉に述べられた彼の本質であり、学説として形成された彼の人格の意義であって、その一生を通じて変えることのできないものである。
だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
(マタイ福音書 12:46-50)
だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
(マタイ福音書 12:46-50)
自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。
自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。
何ものによっても取り去ることはできないのです。ご自身の威厳を認識され、これに気づかいをお示しになることは、皇帝に残された唯一のことであり、これに対してのみ皇帝は、支配者であるとみずからおっしゃることができるのです。
(ラス・カーズ『セント・ヘレナ日記抄』1816.4.27)
何ものによっても取り去ることはできないのです。ご自身の威厳を認識され、これに気づかいをお示しになることは、皇帝に残された唯一のことであり、これに対してのみ皇帝は、支配者であるとみずからおっしゃることができるのです。
(ラス・カーズ『セント・ヘレナ日記抄』1816.4.27)
「また、だれも自分のめざす進路と同じ文学作品を範として、文学開眼をしようとは考えずに、みんながみんな、またぞろ同じものをつくろうとする。」
「さらに、全体の中へ入っていく厳しさもなければ、全体のためになにか役に立とうという心構えもない。ただただどうすれば自分を著名にできるか、
「また、だれも自分のめざす進路と同じ文学作品を範として、文学開眼をしようとは考えずに、みんながみんな、またぞろ同じものをつくろうとする。」
「さらに、全体の中へ入っていく厳しさもなければ、全体のためになにか役に立とうという心構えもない。ただただどうすれば自分を著名にできるか、
などと分析することで、自分にはない視点を学ぶことができます。また、自分からは興味を持てなかったり、嫌いだと思っていたりしたものでも、それが好きな人の視点を知れば、自分の世界が広がり、そこから新しいアイディアが生まれることもあります。
(荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』)
などと分析することで、自分にはない視点を学ぶことができます。また、自分からは興味を持てなかったり、嫌いだと思っていたりしたものでも、それが好きな人の視点を知れば、自分の世界が広がり、そこから新しいアイディアが生まれることもあります。
(荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』)
「私は自分の感覚を呈示できない」と言うかわりに──「〈感覚〉という言葉の用法には、人が感じているものの呈示ということはない」と言え。「我々は全ての基数を数えあげることはできない」というかわりに──「ここでは全ての項の枚挙といったものはない」と言え。
(ウィトゲンシュタイン 断片 134)
「私は自分の感覚を呈示できない」と言うかわりに──「〈感覚〉という言葉の用法には、人が感じているものの呈示ということはない」と言え。「我々は全ての基数を数えあげることはできない」というかわりに──「ここでは全ての項の枚挙といったものはない」と言え。
(ウィトゲンシュタイン 断片 134)
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)
全体として誤解されているときは、個々の誤解を完全に解くことは不可能である。自分を弁護するのに余計な労力を費やさないために、このことをよく洞察しておく必要がある。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部346)
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)
全体として誤解されているときは、個々の誤解を完全に解くことは不可能である。自分を弁護するのに余計な労力を費やさないために、このことをよく洞察しておく必要がある。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部346)
傷口を癒すことができるという妄想に縛られた人もあれば、また眼の前にゆれている誘惑的な芸術美のベールに巻きこまれる人もあり、現象の渦巻の下には永遠の生命が破壊されることなく流れつづけている、という形而上的慰藉に籠絡される人もある。
これら三つの幻像の段階は、一般に
傷口を癒すことができるという妄想に縛られた人もあれば、また眼の前にゆれている誘惑的な芸術美のベールに巻きこまれる人もあり、現象の渦巻の下には永遠の生命が破壊されることなく流れつづけている、という形而上的慰藉に籠絡される人もある。
これら三つの幻像の段階は、一般に
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
(マタイ福音書 5:33-37)
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
(マタイ福音書 5:33-37)
こういう人間にとっては、あとで幻滅を感じることはたいそう辛い。しかも自分に罪があると感じる場合は、なおさら辛いのである。なぜ期待できる以上のものを期待したのだろう。こういう人間は絶えずこうした幻滅に待ち伏せされている。彼らは自分の小世界に閉じこもり、そこから出なければ一番いい。
こういう人間にとっては、あとで幻滅を感じることはたいそう辛い。しかも自分に罪があると感じる場合は、なおさら辛いのである。なぜ期待できる以上のものを期待したのだろう。こういう人間は絶えずこうした幻滅に待ち伏せされている。彼らは自分の小世界に閉じこもり、そこから出なければ一番いい。
哲学は、最高の場合には一時代の全内容を使いつくし、これを自己のなかに実現し、そうして大形式と大人物として体現させ、さらに大きい発展に役立たせることができる。ある哲学の科学的な外装とか学者ぶった仮面は、ここでは何ものも決定しない。
哲学は、最高の場合には一時代の全内容を使いつくし、これを自己のなかに実現し、そうして大形式と大人物として体現させ、さらに大きい発展に役立たせることができる。ある哲学の科学的な外装とか学者ぶった仮面は、ここでは何ものも決定しない。
しかし最後にここで彼は、数百年の労作によって、彼の生活の位置を文化全体と関連させて見わたし、そうして自己の能力と義務とを吟味することができるようになったのである。
しかし最後にここで彼は、数百年の労作によって、彼の生活の位置を文化全体と関連させて見わたし、そうして自己の能力と義務とを吟味することができるようになったのである。
もしお前に対して要求されたことをお前がしない場合、お前はいつでも狂気に陥ったり、まったくの不幸になったりするかもしれないからだ!》
神に語ることと、神について他人に語ることは違う。
《私の理性を純粋で穢れなきよう保たせてください!──》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.16)
もしお前に対して要求されたことをお前がしない場合、お前はいつでも狂気に陥ったり、まったくの不幸になったりするかもしれないからだ!》
神に語ることと、神について他人に語ることは違う。
《私の理性を純粋で穢れなきよう保たせてください!──》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.16)
学究的会話なんてものは無学の徒の衒いでなければ、精神的失業者の職業にほかならない。そして、いわゆる啓発的会話にいたっては、なお一層愚かな博愛主義者が犯罪階級の正当な怨恨を弱々しくも和らげようとする愚かな方法にすぎない。
(オスカー・ワイルド『芸術家としての批評家』)
学究的会話なんてものは無学の徒の衒いでなければ、精神的失業者の職業にほかならない。そして、いわゆる啓発的会話にいたっては、なお一層愚かな博愛主義者が犯罪階級の正当な怨恨を弱々しくも和らげようとする愚かな方法にすぎない。
(オスカー・ワイルド『芸術家としての批評家』)
自分の生活からわれわれに語る彼のおしゃべりを、だれしもいまいましく思うであろう。したがって彼は聴衆の空想をわが身に引きつけることを心得なくてはならない。そこからまた「名人気質」のあらゆる欠点や非常識の説明がつく。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』172)
自分の生活からわれわれに語る彼のおしゃべりを、だれしもいまいましく思うであろう。したがって彼は聴衆の空想をわが身に引きつけることを心得なくてはならない。そこからまた「名人気質」のあらゆる欠点や非常識の説明がつく。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』172)
それが実行可能だと証明することだけを目指して、何か困難なことを実現しようとするなんて、何の意味もありませんね。はっきりとした必要に応じてもいないのに、いったい何だって、山に登ったり、スキーで滑り降りたり、カー・レースをしたりするんです? 困難がそれ自体として尊敬すべき、
それが実行可能だと証明することだけを目指して、何か困難なことを実現しようとするなんて、何の意味もありませんね。はっきりとした必要に応じてもいないのに、いったい何だって、山に登ったり、スキーで滑り降りたり、カー・レースをしたりするんです? 困難がそれ自体として尊敬すべき、
冗談にしないでほしい、事実、そうなのだ。そのときには、ぼくは、一流のクラブの正式の会員であり、ひたすら自分を尊敬することだけが仕事になる。ぼくの知っていた紳士で、赤ぶどう酒の通だということだけを、生涯自慢にしていた男がいる。
冗談にしないでほしい、事実、そうなのだ。そのときには、ぼくは、一流のクラブの正式の会員であり、ひたすら自分を尊敬することだけが仕事になる。ぼくの知っていた紳士で、赤ぶどう酒の通だということだけを、生涯自慢にしていた男がいる。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
なにごとも自分の本心から湧き出るのでなければ、その人の心に響くことはない。人に向かって、当人が感じもしなければ理解もできないことを語って聞かせるのは無意味なことだ。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
究極の悪徳とは浅はかさである。認識されるものはなんであれ、すべて正しい。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
なにごとも自分の本心から湧き出るのでなければ、その人の心に響くことはない。人に向かって、当人が感じもしなければ理解もできないことを語って聞かせるのは無意味なことだ。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
究極の悪徳とは浅はかさである。認識されるものはなんであれ、すべて正しい。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
したがって、考察すべき観念から言葉の衣装と重荷を剥ぎとって、その観念を明晰に見てとるよう最大限の努力を傾けるのが望ましい。言葉こそ、判断を曇らせ注意を散漫にする主因だからである。天界に視野を広げても、大地の内部を覗き込んでも無駄である。
したがって、考察すべき観念から言葉の衣装と重荷を剥ぎとって、その観念を明晰に見てとるよう最大限の努力を傾けるのが望ましい。言葉こそ、判断を曇らせ注意を散漫にする主因だからである。天界に視野を広げても、大地の内部を覗き込んでも無駄である。
目下そのような〔学者気どりに感化された〕牧師たちは、自分たちも学問に奉仕し、学問の権威のもとで説教したいという考え方をもつにいたった。こうした風潮からすると、説教することがきわめて見すぼらしい技術だと見なされるようになるのも、別に不思議ではない。
(キルケゴール『不安の概念』緒論)
目下そのような〔学者気どりに感化された〕牧師たちは、自分たちも学問に奉仕し、学問の権威のもとで説教したいという考え方をもつにいたった。こうした風潮からすると、説教することがきわめて見すぼらしい技術だと見なされるようになるのも、別に不思議ではない。
(キルケゴール『不安の概念』緒論)
探求の道として 私が汝を遠ざけ禁ずるのは まずこの道〔無の道〕、
しかし次には 死すべき人間どもが何ひとつ知ることなしに 頭を二つもちながら さまよい歩く道を汝に禁ずる。すなわち彼ら死すべき者どもの胸の中では 困惑がその迷い心をみちびき、彼らは聾(みみしい)にしてまた盲(めしい)、ただ呆然と もの識り分かちえぬ群衆となって引きまわされる。
探求の道として 私が汝を遠ざけ禁ずるのは まずこの道〔無の道〕、
しかし次には 死すべき人間どもが何ひとつ知ることなしに 頭を二つもちながら さまよい歩く道を汝に禁ずる。すなわち彼ら死すべき者どもの胸の中では 困惑がその迷い心をみちびき、彼らは聾(みみしい)にしてまた盲(めしい)、ただ呆然と もの識り分かちえぬ群衆となって引きまわされる。
(太宰治『東京八景』)
私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)
(太宰治『東京八景』)
私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)