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(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
なにごとも自分の本心から湧き出るのでなければ、その人の心に響くことはない。人に向かって、当人が感じもしなければ理解もできないことを語って聞かせるのは無意味なことだ。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
究極の悪徳とは浅はかさである。認識されるものはなんであれ、すべて正しい。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
なにごとも自分の本心から湧き出るのでなければ、その人の心に響くことはない。人に向かって、当人が感じもしなければ理解もできないことを語って聞かせるのは無意味なことだ。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
究極の悪徳とは浅はかさである。認識されるものはなんであれ、すべて正しい。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
したがって、考察すべき観念から言葉の衣装と重荷を剥ぎとって、その観念を明晰に見てとるよう最大限の努力を傾けるのが望ましい。言葉こそ、判断を曇らせ注意を散漫にする主因だからである。天界に視野を広げても、大地の内部を覗き込んでも無駄である。
したがって、考察すべき観念から言葉の衣装と重荷を剥ぎとって、その観念を明晰に見てとるよう最大限の努力を傾けるのが望ましい。言葉こそ、判断を曇らせ注意を散漫にする主因だからである。天界に視野を広げても、大地の内部を覗き込んでも無駄である。
目下そのような〔学者気どりに感化された〕牧師たちは、自分たちも学問に奉仕し、学問の権威のもとで説教したいという考え方をもつにいたった。こうした風潮からすると、説教することがきわめて見すぼらしい技術だと見なされるようになるのも、別に不思議ではない。
(キルケゴール『不安の概念』緒論)
目下そのような〔学者気どりに感化された〕牧師たちは、自分たちも学問に奉仕し、学問の権威のもとで説教したいという考え方をもつにいたった。こうした風潮からすると、説教することがきわめて見すぼらしい技術だと見なされるようになるのも、別に不思議ではない。
(キルケゴール『不安の概念』緒論)
探求の道として 私が汝を遠ざけ禁ずるのは まずこの道〔無の道〕、
しかし次には 死すべき人間どもが何ひとつ知ることなしに 頭を二つもちながら さまよい歩く道を汝に禁ずる。すなわち彼ら死すべき者どもの胸の中では 困惑がその迷い心をみちびき、彼らは聾(みみしい)にしてまた盲(めしい)、ただ呆然と もの識り分かちえぬ群衆となって引きまわされる。
探求の道として 私が汝を遠ざけ禁ずるのは まずこの道〔無の道〕、
しかし次には 死すべき人間どもが何ひとつ知ることなしに 頭を二つもちながら さまよい歩く道を汝に禁ずる。すなわち彼ら死すべき者どもの胸の中では 困惑がその迷い心をみちびき、彼らは聾(みみしい)にしてまた盲(めしい)、ただ呆然と もの識り分かちえぬ群衆となって引きまわされる。
(太宰治『東京八景』)
私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)
(太宰治『東京八景』)
私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)
あらゆる階級の血液のすみずみにまで混りこんで、二世代、三世代経過すれば、いかなる血筋のものかも見分けがつかなくなる、──すべてのものが"賤民化されて"いる。この結果、"精選"に反抗する、あらゆる種類の"特権"に反抗する総体対本能が生ずるが、この本能は、"特権ある者"すら事実上ただちに
あらゆる階級の血液のすみずみにまで混りこんで、二世代、三世代経過すれば、いかなる血筋のものかも見分けがつかなくなる、──すべてのものが"賤民化されて"いる。この結果、"精選"に反抗する、あらゆる種類の"特権"に反抗する総体対本能が生ずるが、この本能は、"特権ある者"すら事実上ただちに
ディズニイ・ランドである。ここの色彩も意匠も、いささかの見世物的侘びしさを持たず、いい趣味の商業美術の平均的気品に充ち、どんな感受性にも素直に受け入れられるやうにできてゐる。アメリカの商業美術が、超現実主義や抽象主義にいかに口ざはりのいい糖衣をかぶせてしまふか、その好例は
ディズニイ・ランドである。ここの色彩も意匠も、いささかの見世物的侘びしさを持たず、いい趣味の商業美術の平均的気品に充ち、どんな感受性にも素直に受け入れられるやうにできてゐる。アメリカの商業美術が、超現実主義や抽象主義にいかに口ざはりのいい糖衣をかぶせてしまふか、その好例は
一切の臆病なものを追い払う。劣っているということは、──臆病ということだと言いながら。
いつも心配し、ため息をつき、泣き言ばかり言う者、どんな小さな利益さえ逃すまいとする者は、それにとって軽蔑すべきものである。
またすべての悲しみに溺れた知恵を軽蔑する。たしかに闇のなかで咲く知恵もある、夜影の知恵が。それはいつもいつもこう嘆息している。「すべては虚しい」。
一切の臆病なものを追い払う。劣っているということは、──臆病ということだと言いながら。
いつも心配し、ため息をつき、泣き言ばかり言う者、どんな小さな利益さえ逃すまいとする者は、それにとって軽蔑すべきものである。
またすべての悲しみに溺れた知恵を軽蔑する。たしかに闇のなかで咲く知恵もある、夜影の知恵が。それはいつもいつもこう嘆息している。「すべては虚しい」。
鳥籠の鸚鵡が加はり、蠅が加はり、緑濃い木々が加はり、赤いターバンや美しいサリーが加はる。加はつて、動いて、渾然として、一瞬一瞬に完成して又移り変る「生」の絵を描くにとに力を合はせてゐる。
(三島由紀夫『インド通信』)
鳥籠の鸚鵡が加はり、蠅が加はり、緑濃い木々が加はり、赤いターバンや美しいサリーが加はる。加はつて、動いて、渾然として、一瞬一瞬に完成して又移り変る「生」の絵を描くにとに力を合はせてゐる。
(三島由紀夫『インド通信』)
伝えてくれるから。俺は、今からわかっているけど、地面に倒れ伏して、その墓石に接吻し涙を流すことだろう。そのくせ一方では、それらすべてがもはやずっと以前から墓になってしまっていて、それ以上の何物でもないってことを心から確信しているくせにさ。俺が泣くのは絶望からじゃなく、自分の流した
伝えてくれるから。俺は、今からわかっているけど、地面に倒れ伏して、その墓石に接吻し涙を流すことだろう。そのくせ一方では、それらすべてがもはやずっと以前から墓になってしまっていて、それ以上の何物でもないってことを心から確信しているくせにさ。俺が泣くのは絶望からじゃなく、自分の流した
(太宰治『もの思う葦』)
自分の作品のよしあしは自分が最もよく知っている。千に一つでもおのれによしと許した作品があったならば、さいわいこれに過ぎたるはないのである。おのおの、よくその胸に聞きたまえ。
(太宰治『もの思う葦』)
人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。
(太宰治『もの思う葦』)
(太宰治『もの思う葦』)
自分の作品のよしあしは自分が最もよく知っている。千に一つでもおのれによしと許した作品があったならば、さいわいこれに過ぎたるはないのである。おのおの、よくその胸に聞きたまえ。
(太宰治『もの思う葦』)
人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。
(太宰治『もの思う葦』)
要するに、概念があるだけで、すべての感覚的な直観が取り去られた場合には(私たちには感覚的な直観しか可能でないのである)、何ごとも証明することはできず、その実際的な可能性を示すことはできない。主張できるのは、たんにこれらの概念が論理的な可能性をそなえているということだけであり、
要するに、概念があるだけで、すべての感覚的な直観が取り去られた場合には(私たちには感覚的な直観しか可能でないのである)、何ごとも証明することはできず、その実際的な可能性を示すことはできない。主張できるのは、たんにこれらの概念が論理的な可能性をそなえているということだけであり、
自分たちのあらわな存在で、その本のために、か或いは、その本に抵抗して闘っているのです。本の本当に独立した生命というものは、作家の死の後に、もっと正しく言えば、死後暫くたってからはじめて始まります。なぜといって、この連中は極めて熱心で、死後も暫くは自分たちの本のために闘うからです。
自分たちのあらわな存在で、その本のために、か或いは、その本に抵抗して闘っているのです。本の本当に独立した生命というものは、作家の死の後に、もっと正しく言えば、死後暫くたってからはじめて始まります。なぜといって、この連中は極めて熱心で、死後も暫くは自分たちの本のために闘うからです。
わが軽蔑と警告する鳥は、ただ愛からのみ飛び立たねばならない。泥沼からなどではない──
口から泡を吹く阿呆よ。人はお前をわが猿と呼ぶ。だがお前を呼ぼう、私のよく鳴く豚と。豚のように不平をうなることで、
お前は台無しにしているのだ、私の愚行への礼賛を。
一体どうして不平を言う豚になったのか。誰も思うように"媚びて"くれなかったからだ。──だから汚物のなかに座り込んだ。豚のように不平を言う理由に事欠かないために。
──絶えず"復讐する"理由に事欠かないために。虚栄心の強い阿呆よ。
わが軽蔑と警告する鳥は、ただ愛からのみ飛び立たねばならない。泥沼からなどではない──
口から泡を吹く阿呆よ。人はお前をわが猿と呼ぶ。だがお前を呼ぼう、私のよく鳴く豚と。豚のように不平をうなることで、
お前は台無しにしているのだ、私の愚行への礼賛を。
一体どうして不平を言う豚になったのか。誰も思うように"媚びて"くれなかったからだ。──だから汚物のなかに座り込んだ。豚のように不平を言う理由に事欠かないために。
──絶えず"復讐する"理由に事欠かないために。虚栄心の強い阿呆よ。
人を押しのけては、自分のあさましい努力を誇示しつつ、世間的な勝利者になつていつたのである。われわれは、努力といふものの価値を一度も疑つたことがない、ことに日本では。
(三島由紀夫『若きサムラヒのための精神講話』努力について)
人を押しのけては、自分のあさましい努力を誇示しつつ、世間的な勝利者になつていつたのである。われわれは、努力といふものの価値を一度も疑つたことがない、ことに日本では。
(三島由紀夫『若きサムラヒのための精神講話』努力について)
使えなくなる。
宇宙の反対側にある2個の粒子が本当に結びついているなんてばかげているとアインシュタインには思えた。そこで、世界は実際には局所的なのだが、非局所的だという印象を与えているだけだと考え、2個の粒子が一致して振る舞うことを可能にしている隠れたメカニズムを暴露するために、
使えなくなる。
宇宙の反対側にある2個の粒子が本当に結びついているなんてばかげているとアインシュタインには思えた。そこで、世界は実際には局所的なのだが、非局所的だという印象を与えているだけだと考え、2個の粒子が一致して振る舞うことを可能にしている隠れたメカニズムを暴露するために、
(カフカ 日記 1914.5.27)
日記を今日からしっかりつけること! 規則正しく書くこと! 諦めないこと! たとえ救いはまったく到来しなくても、ぼくはしかしいつでも救いに値する人間でありたい。
(カフカ 日記 1912.2.25)
(カフカ 日記 1914.5.27)
日記を今日からしっかりつけること! 規則正しく書くこと! 諦めないこと! たとえ救いはまったく到来しなくても、ぼくはしかしいつでも救いに値する人間でありたい。
(カフカ 日記 1912.2.25)
僕は卑劣な人間だけれど、そんな自分に満足しているんですよ。自分が卑劣な人間であることに苦しんではいるが、それでも自分に満足しているんだ。僕は神の創造を祝福するし、今すぐにでも神とその創造を祝福するつもりではいるけれど、でも……とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要が
僕は卑劣な人間だけれど、そんな自分に満足しているんですよ。自分が卑劣な人間であることに苦しんではいるが、それでも自分に満足しているんだ。僕は神の創造を祝福するし、今すぐにでも神とその創造を祝福するつもりではいるけれど、でも……とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要が
それとも、大いなる精神的苦痛など信じておらず、歯痛や腹痛のことを思い浮かべて、そういう大きな身体的苦痛を言葉にする場合と似たり寄ったりの仕方で精神的苦痛を言葉にしているか、の違いである。しかし今日たいていの人は、まず後者なのではないかと思われる。
(ニーチェ『愉しい学問』48番)
それとも、大いなる精神的苦痛など信じておらず、歯痛や腹痛のことを思い浮かべて、そういう大きな身体的苦痛を言葉にする場合と似たり寄ったりの仕方で精神的苦痛を言葉にしているか、の違いである。しかし今日たいていの人は、まず後者なのではないかと思われる。
(ニーチェ『愉しい学問』48番)
喜びを感じる神経や、ああいうものと貴様の感情生活とが、大ざっぱに引っくるめて扱われるんだ。そしてその上で、今俺たちの生きている時代の、総括的な真実がやすやすとつかまえられる。今はかきまわされている水が治まって、忽ち水の面に油の虹がはっきりと泛んでくるように。そうだ、俺たちの時代の
喜びを感じる神経や、ああいうものと貴様の感情生活とが、大ざっぱに引っくるめて扱われるんだ。そしてその上で、今俺たちの生きている時代の、総括的な真実がやすやすとつかまえられる。今はかきまわされている水が治まって、忽ち水の面に油の虹がはっきりと泛んでくるように。そうだ、俺たちの時代の
宗教に合理的な説明を加えようとする試みなどというものには、彼はついて行けなかった。いちど私がキェルケゴールの「キリストが私を救ったことを私自身が知っているのに、キリストが存在しなかったとどうして考えられようか」といった意味の言葉を引いたとき、
宗教に合理的な説明を加えようとする試みなどというものには、彼はついて行けなかった。いちど私がキェルケゴールの「キリストが私を救ったことを私自身が知っているのに、キリストが存在しなかったとどうして考えられようか」といった意味の言葉を引いたとき、
「世界は単に、局所化されて離散的に存在し、空間と時間だけによって外的に関係しあっている物体の集合ではない。何かいっそう深いもの、いっそう不可思議なものが、世界を織り合わせている。物理学が展開していくなかで、私たちはようやく、それは何なのかとじっくり考え始めたばかりなのだ」
「世界は単に、局所化されて離散的に存在し、空間と時間だけによって外的に関係しあっている物体の集合ではない。何かいっそう深いもの、いっそう不可思議なものが、世界を織り合わせている。物理学が展開していくなかで、私たちはようやく、それは何なのかとじっくり考え始めたばかりなのだ」
「あなたたち、貴人よ」──と賤民は瞬きする──「貴人などは居はしない。われわれはみんな平等だ、
人間は人間だ。神の前では──われわれはみんな平等なのだから!」と。
神の前では、と──だがその神は今や死んだ。賤民を前にして、われらは平等であろうとは思わない。君たち貴人よ、市場を去れ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 貴人について 1)
「あなたたち、貴人よ」──と賤民は瞬きする──「貴人などは居はしない。われわれはみんな平等だ、
人間は人間だ。神の前では──われわれはみんな平等なのだから!」と。
神の前では、と──だがその神は今や死んだ。賤民を前にして、われらは平等であろうとは思わない。君たち貴人よ、市場を去れ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 貴人について 1)
このような古くさい愚痴があいもかわらず「知恵」としてまかり通っている。古くて黴くさい、だからこそますます尊敬される。黴まで箔になるわけだ──。
子供がこう言うならよい。火傷をして、火が怖いのだ。古い知恵の書物には多くの子供らしさがある。
麦わらを叩くように無駄口ばかり叩いている者が、麦を打ち脱穀することを謗ってよいわけがあるか。そのような馬鹿の口に猿ぐつわをかますがいい。
こういう者たちは食卓につきながら何も持って来ない。
このような古くさい愚痴があいもかわらず「知恵」としてまかり通っている。古くて黴くさい、だからこそますます尊敬される。黴まで箔になるわけだ──。
子供がこう言うならよい。火傷をして、火が怖いのだ。古い知恵の書物には多くの子供らしさがある。
麦わらを叩くように無駄口ばかり叩いている者が、麦を打ち脱穀することを謗ってよいわけがあるか。そのような馬鹿の口に猿ぐつわをかますがいい。
こういう者たちは食卓につきながら何も持って来ない。
懲罰と言っても、今この方が言われたとおり、たいていの場合ただ心を苛立たせるにすぎぬ、機械的な懲罰のことではなしに、唯一の効果的な、ただ一つ威嚇と鎮静の働きをもつ、おのれの良心の自覚に存する本当の懲罰のことですぞ」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第2編5)
懲罰と言っても、今この方が言われたとおり、たいていの場合ただ心を苛立たせるにすぎぬ、機械的な懲罰のことではなしに、唯一の効果的な、ただ一つ威嚇と鎮静の働きをもつ、おのれの良心の自覚に存する本当の懲罰のことですぞ」
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第2編5)