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文章のコツ、即ち人に「分らせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、古の名文家と云われる人は皆その心得を持っていました。
(谷崎潤一郎『文章讀本』)

もし皆さんが、何ぞ今までにない新しい思想や事柄を述べようとする場合には、無理にそれに当て篏まる単語を造り出そうとしないで、古くからある幾つかの言葉を結び合わせ、句を以て説明すればよいのであります。
とにかく、相当の言葉数を費した方がよく分ることを、二字か三字の漢語に縮めようとするのは宜しくない。
(谷崎潤一郎『文章讀本』)
February 13, 2026 at 7:00 AM
自然主義文学が作り出した小説の「素朴なリアリティー」が、何故こうまで現代日本人の頭に深くしみ込んでいるのか、私にはほとんど理解しがたい。小説における「まことらしさ」という問題が、大てい、作者とその小説との密着した関係によって保証されるという現状である。
私には、自然主義文学、及びその末流私小説が毒したものは、作家その人よりも、小説の読者であると思われる。小説は正当な読者を失ったのである。つまり読者は小説を小説として読む習慣を失ったのである。
この問題に深入りすると、本題の小説の方法を外れてくるから、近代小説と告白との関係、
February 13, 2026 at 5:00 AM
思想家とは、自分の直観と理解とによって、時代を象徴的に示すように定められた人のことをいう。思想家には選択の自由がない。思想家は考えなければならないからこそ、考えるのだ。結局、思想家にとっては、自分といっしょに、自己の世界像として生まれたものが真理なのである。
それは彼の作りあげたものではなく、彼が自分のなかに発見するところのものである。それは言い換えれば彼自身であり、言葉に述べられた彼の本質であり、学説として形成された彼の人格の意義であって、その一生を通じて変えることのできないものである。
February 13, 2026 at 3:00 AM
イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、
だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
(マタイ福音書 12:46-50)
February 13, 2026 at 1:00 AM
彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、
自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。
February 12, 2026 at 11:00 PM
皇帝は、しかも、新しい状況にあって、このうえなく静かな人物であることを示されたいと思っています。皇帝はみずからのうちに身を引かれています、何ものも欲さず、望まれず。そしてすべてを感じ、すべてに堪えられて。運命が、皇帝から力を奪ったかもしれません。しかし、皇帝ご自身への敬意は、
何ものによっても取り去ることはできないのです。ご自身の威厳を認識され、これに気づかいをお示しになることは、皇帝に残された唯一のことであり、これに対してのみ皇帝は、支配者であるとみずからおっしゃることができるのです。
(ラス・カーズ『セント・ヘレナ日記抄』1816.4.27)
February 12, 2026 at 9:00 PM
「不幸なのは」とゲーテはいった、「国家の場合では、誰一人として生活をたのしもうとする者もなく、みんながよってたかって支配したがることであり、芸術の場合では、みんながみんな創造されたものを享受しようとはせず、自分の手でまた創造しようとすることである。」
「また、だれも自分のめざす進路と同じ文学作品を範として、文学開眼をしようとは考えずに、みんながみんな、またぞろ同じものをつくろうとする。」
「さらに、全体の中へ入っていく厳しさもなければ、全体のためになにか役に立とうという心構えもない。ただただどうすれば自分を著名にできるか、
February 12, 2026 at 7:01 PM
自分とは違う意見や疑問に思う出来事、理解できない人に出会ったら、その機会を逃してはいけません。「自分には理解できない」とシャットアウトするのではなく、「なぜ、この人はそんな風に思うんだろう?」「どうして、こんなことが起こるんだろう?」「その意見を聞いて、自分はどう思ったのか」
などと分析することで、自分にはない視点を学ぶことができます。また、自分からは興味を持てなかったり、嫌いだと思っていたりしたものでも、それが好きな人の視点を知れば、自分の世界が広がり、そこから新しいアイディアが生まれることもあります。
(荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』)
February 12, 2026 at 5:00 PM
「我々は……できない」と言うかわりに──「このゲームには……はない」と言え。「我々はチェッカーでは王を囲うことはできない」というかわりに──「チェッカーでは王を囲うということはない」と言え。
「私は自分の感覚を呈示できない」と言うかわりに──「〈感覚〉という言葉の用法には、人が感じているものの呈示ということはない」と言え。「我々は全ての基数を数えあげることはできない」というかわりに──「ここでは全ての項の枚挙といったものはない」と言え。
(ウィトゲンシュタイン 断片 134)
February 12, 2026 at 3:01 PM
証明してやろうなどと意気込まずに、考えるままに率直に意見を述べるのが、つねによりよいやり方である。なぜなら、わたしたちのもち出す証明はことごとく、わたしたちの意見の変種にすぎないのだから。そして、反対意見の持主は、そのどちらにも耳を傾けはしない。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)

全体として誤解されているときは、個々の誤解を完全に解くことは不可能である。自分を弁護するのに余計な労力を費やさないために、このことをよく洞察しておく必要がある。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部346)
February 12, 2026 at 1:00 PM
ここに永遠に変わらぬ現象がある。貪欲な意志は常に一つの手段を見いだしては、事物の上に拡げられた幻像を通じて、その被造物を人生にひきとめ、そして生存をつづけざるを得ないようにする、という現象である。ソクラテス的な認識の喜びに縛られた人、認識によって生存の永遠の
傷口を癒すことができるという妄想に縛られた人もあれば、また眼の前にゆれている誘惑的な芸術美のベールに巻きこまれる人もあり、現象の渦巻の下には永遠の生命が破壊されることなく流れつづけている、という形而上的慰藉に籠絡される人もある。
これら三つの幻像の段階は、一般に
February 12, 2026 at 11:00 AM
また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
(マタイ福音書 5:33-37)
February 12, 2026 at 9:00 AM
ナターシャは生れてこの方ずっと自分の小世界に暮し、そこから出たことがなかった。それにもう一つは、たぶん父親ゆずりなのだろうが、非常に善良な人間の特質──他人を褒め、実際以上に高く評価し、美点のみを熱烈に誇張するという特質が、ナターシャの内部でも極端に発達していた。
こういう人間にとっては、あとで幻滅を感じることはたいそう辛い。しかも自分に罪があると感じる場合は、なおさら辛いのである。なぜ期待できる以上のものを期待したのだろう。こういう人間は絶えずこうした幻滅に待ち伏せされている。彼らは自分の小世界に閉じこもり、そこから出なければ一番いい。
February 12, 2026 at 7:00 AM
根本的なことは、その思想のなかに体現されている人間の種類である。その人間が偉大であればあるほど、その哲学はいよいよ正しい。──偉大な芸術品の有する内的真理という意味において正しいのである。すなわちそれは個々の命題が証明されるとか矛盾がないとかは、別な意味である。
哲学は、最高の場合には一時代の全内容を使いつくし、これを自己のなかに実現し、そうして大形式と大人物として体現させ、さらに大きい発展に役立たせることができる。ある哲学の科学的な外装とか学者ぶった仮面は、ここでは何ものも決定しない。
February 12, 2026 at 5:00 AM
今日まで、巨大な知性と力とは間違った方向に浪費されていた。西欧の人間は、どんなに歴史的に考え、また感ずるにしても、ある年齢では決して自己本来の方向を自覚しないのである。彼は模索し、探究する。そうして外的機会が有利でない場合には、道を迷う。
しかし最後にここで彼は、数百年の労作によって、彼の生活の位置を文化全体と関連させて見わたし、そうして自己の能力と義務とを吟味することができるようになったのである。
February 12, 2026 at 3:00 AM
《神よ! 私をあなたと次のような関係に入らせてください、そこでは私が、「自分の仕事において楽しくあれる」、そのような関係に! 神はいつでもお前からすべてを要求できると信じよ! そのことを真に意識せよ! それから、神がお前に生の賜物を与えてくださるよう請い願え! というのも、
もしお前に対して要求されたことをお前がしない場合、お前はいつでも狂気に陥ったり、まったくの不幸になったりするかもしれないからだ!》
神に語ることと、神について他人に語ることは違う。
《私の理性を純粋で穢れなきよう保たせてください!──》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.16)
February 12, 2026 at 1:00 AM
いちども起こらなかったことを正確に叙述することこそ歴史家本来の仕事であるばかりか、いやしくも才能と教養を有する人士の譲渡しえない特権でもあるのだ。ましていわんやぼくは学者ぶって話をしようとは思わない。
学究的会話なんてものは無学の徒の衒いでなければ、精神的失業者の職業にほかならない。そして、いわゆる啓発的会話にいたっては、なお一層愚かな博愛主義者が犯罪階級の正当な怨恨を弱々しくも和らげようとする愚かな方法にすぎない。
(オスカー・ワイルド『芸術家としての批評家』)
February 11, 2026 at 11:00 PM
"巨匠を忘れさせる"。──或る巨匠の作品を演奏するピアニストは、彼が巨匠を忘れさせるときに、そしてあたかも自分の生活の出来事を語っているか、今まさになにかを体験しているかのごとくみえたときに、もっともうまく弾いたということになるであろう。もちろん彼がつまらぬ者"である"場合には、
自分の生活からわれわれに語る彼のおしゃべりを、だれしもいまいましく思うであろう。したがって彼は聴衆の空想をわが身に引きつけることを心得なくてはならない。そこからまた「名人気質」のあらゆる欠点や非常識の説明がつく。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』172)
February 11, 2026 at 9:00 PM
このことも申しあげなけりゃならない。「エヴェレストが存在することだけを理由として、エヴェレストの頂上に登ろう」ということばが示すような症候群に対しては、私はいつだって何の関心もないんですよ(きっとこのことばには、どこかにしゃれが含まれているんですね)。
それが実行可能だと証明することだけを目指して、何か困難なことを実現しようとするなんて、何の意味もありませんね。はっきりとした必要に応じてもいないのに、いったい何だって、山に登ったり、スキーで滑り降りたり、カー・レースをしたりするんです? 困難がそれ自体として尊敬すべき、
February 11, 2026 at 7:00 PM
あいつは何者だ? と問われて、なまけ者だ、と答える。自分についてこんな評言を聞けたら、さぞかしたのしいことにちがいない。なにしろ、積極的な評価が定まり、ぼくについていわれるべき言葉ができたのだから。〈なまけ者!〉──これはもう一個の肩書きであり、使命であり、履歴でさえある。
冗談にしないでほしい、事実、そうなのだ。そのときには、ぼくは、一流のクラブの正式の会員であり、ひたすら自分を尊敬することだけが仕事になる。ぼくの知っていた紳士で、赤ぶどう酒の通だということだけを、生涯自慢にしていた男がいる。
February 11, 2026 at 5:00 PM
人生において致命的な誤ちは、無分別ゆえに犯すのではない。無分別な瞬間というのは恐らくは人の最上の瞬間である。そうではなくて、むしろ人が論理的であるがために犯すのだ。そこには大きな違いがある。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)

なにごとも自分の本心から湧き出るのでなければ、その人の心に響くことはない。人に向かって、当人が感じもしなければ理解もできないことを語って聞かせるのは無意味なことだ。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)

究極の悪徳とは浅はかさである。認識されるものはなんであれ、すべて正しい。
(オスカー・ワイルド『深き淵より』)
February 11, 2026 at 3:00 PM
自分は個別的観念しかもっていないということを知っている人は、名前に結びつく〔とされる〕抽象的観念を見つけて理解しようと頭をしぼる無駄なことなどしなくなるだろう。名前はつねに観念を代表するわけではないということを知っている人は、見つかりもしない観念を探す徒労をやめにすることだろう。
したがって、考察すべき観念から言葉の衣装と重荷を剥ぎとって、その観念を明晰に見てとるよう最大限の努力を傾けるのが望ましい。言葉こそ、判断を曇らせ注意を散漫にする主因だからである。天界に視野を広げても、大地の内部を覗き込んでも無駄である。
February 11, 2026 at 1:00 PM
罪は、元来いかなる学問にも決して帰属していない。罪は説教の対象であって、説教では個人が個人として個人に向かって語りかけるのである。われわれの時代においては、学者気どりが牧師たちを翻弄して一種の大学教授の助手に仕立てあげるという時流に迎合して、
目下そのような〔学者気どりに感化された〕牧師たちは、自分たちも学問に奉仕し、学問の権威のもとで説教したいという考え方をもつにいたった。こうした風潮からすると、説教することがきわめて見すぼらしい技術だと見なされるようになるのも、別に不思議ではない。
(キルケゴール『不安の概念』緒論)
February 11, 2026 at 11:01 AM
〈ある〉ものが〈ある〉と語りかつ考えねばならぬ。なぜなら それが〈ある〉ことは可能であるが 無が〈ある〉ことは不可能だから。このことをとくと考えるよう 私は汝に命ずる。
探求の道として 私が汝を遠ざけ禁ずるのは まずこの道〔無の道〕、
しかし次には 死すべき人間どもが何ひとつ知ることなしに 頭を二つもちながら さまよい歩く道を汝に禁ずる。すなわち彼ら死すべき者どもの胸の中では 困惑がその迷い心をみちびき、彼らは聾(みみしい)にしてまた盲(めしい)、ただ呆然と もの識り分かちえぬ群衆となって引きまわされる。
February 11, 2026 at 9:00 AM
その頃の文壇は私を指さして、「才あって徳なし」と評していたが、私自身は、「徳の芽あれども才なし」であると信じていた。私には所謂、文才というものは無い。からだごと、ぶっつけて行くより、てを知らなかった。野暮天である。
(太宰治『東京八景』)

私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)
February 11, 2026 at 7:00 AM