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(ルソー『エミール』第5編)
(ルソー『エミール』第5編)
(オルテガ『大衆の反逆』フランス人のためのプロローグ)
(オルテガ『大衆の反逆』フランス人のためのプロローグ)
ふたつの相容れない原理がぶつかり合う場合は、どちらも相手を蒙味と断じ、異端と謗る。
さきに、私は他人を「攻撃」するだろう、と言った──だがその場合、私は彼に"理由"を示さないであろうか。勿論示す。だがどこまで遡るかが問題である。理由の連鎖の終るところに"説得"がくる。(宣教師が原住民を入信させるときのことを考えてみよ。)
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 608-612)
ふたつの相容れない原理がぶつかり合う場合は、どちらも相手を蒙味と断じ、異端と謗る。
さきに、私は他人を「攻撃」するだろう、と言った──だがその場合、私は彼に"理由"を示さないであろうか。勿論示す。だがどこまで遡るかが問題である。理由の連鎖の終るところに"説得"がくる。(宣教師が原住民を入信させるときのことを考えてみよ。)
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 608-612)
いや、死をさえも勇敢に直視します。死が僕たちみんなをいつか一つに結んで、永遠の法悦と浄福とに導いてくれるのですから。まことに、主よ、あなたのかんばせをとこしえにわれらの上に輝かせたまえ! アーメン!!
(ニーチェ 自伝集 1856年の記録 僕の略歴 回顧)
いや、死をさえも勇敢に直視します。死が僕たちみんなをいつか一つに結んで、永遠の法悦と浄福とに導いてくれるのですから。まことに、主よ、あなたのかんばせをとこしえにわれらの上に輝かせたまえ! アーメン!!
(ニーチェ 自伝集 1856年の記録 僕の略歴 回顧)
(キルケゴール『おそれとおののき』)
(キルケゴール『おそれとおののき』)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』107)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』107)
これからはもう何ひとつそうではないであろう。このような事実を尊重したり軽蔑したりすることにも、一つの意味がある。しかし、この事実を〈変える〉ことはできない。人間の運命は、進行しているのであり、完結しなければならない。
(シュペングラー『人間と技術』9)
これからはもう何ひとつそうではないであろう。このような事実を尊重したり軽蔑したりすることにも、一つの意味がある。しかし、この事実を〈変える〉ことはできない。人間の運命は、進行しているのであり、完結しなければならない。
(シュペングラー『人間と技術』9)
(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部 1832.3.11)
(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部 1832.3.11)
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章9)
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章9)
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』273)
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』273)
書かれていないシンボルであれ、"いかなる"体系も持た"ない"ならば、彼は解を"求める"こともできず、高々手さぐりして回ることしかできない。
人が扱うことのできるもの、それが問題である。
問題が存在しうるところでのみ、何事かの主張が可能である。
(ウィトゲンシュタイン『哲学的考察』151)
書かれていないシンボルであれ、"いかなる"体系も持た"ない"ならば、彼は解を"求める"こともできず、高々手さぐりして回ることしかできない。
人が扱うことのできるもの、それが問題である。
問題が存在しうるところでのみ、何事かの主張が可能である。
(ウィトゲンシュタイン『哲学的考察』151)