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ニーチェ(376),ウィトゲンシュタイン(321),三島由紀夫(239),シュペングラー(205),ゲーテ(179),ドストエフスキー(114),カフカ(101),聖書(99),カント(99),オスカー・ワイルド(61),太宰治(59),ショーペンハウアー(35),その他(356)

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やはり真実なことは、教養のある精神だけが交際を快いものにするということだ。そして家庭にありながらも自分自身のうちに閉じこもっていなければないというのは、家庭で誰にも理解してもらえないというのは、家庭にあることを好む一家の父親にとってまことに悲しいことだ。
(ルソー『エミール』第5編)
November 18, 2025 at 5:00 AM
まだ存在もしていない社会の中の人間関係を前もって法が律するよう望むなどというのは、どうか私の無礼を許していただきたいが、私には法とは何かについての、かなり混乱した滑稽な考えのように思われる。
(オルテガ『大衆の反逆』フランス人のためのプロローグ)
November 18, 2025 at 3:00 AM
では我々が彼らの言語ゲームを攻撃することは正しいか、それとも誤りか。勿論ひとはさまざまなスローガンを動員して、我々のやり方を持ち上げようとするだろう。
ふたつの相容れない原理がぶつかり合う場合は、どちらも相手を蒙味と断じ、異端と謗る。
さきに、私は他人を「攻撃」するだろう、と言った──だがその場合、私は彼に"理由"を示さないであろうか。勿論示す。だがどこまで遡るかが問題である。理由の連鎖の終るところに"説得"がくる。(宣教師が原住民を入信させるときのことを考えてみよ。)
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 608-612)
November 17, 2025 at 11:00 PM
おすがりします。そうすれば、どんな災いも僕たちを困らせないようにと神様は僕たちみんなを守って下さるでしょう。でも、神様、どうかあなたの聖なる御心のままになさって下さい! 神様が与えて下さるものはなんでも僕は喜んでお受けします。幸福も不幸も、貧乏も裕福も。
いや、死をさえも勇敢に直視します。死が僕たちみんなをいつか一つに結んで、永遠の法悦と浄福とに導いてくれるのですから。まことに、主よ、あなたのかんばせをとこしえにわれらの上に輝かせたまえ! アーメン!!
(ニーチェ 自伝集 1856年の記録 僕の略歴 回顧)
November 17, 2025 at 9:00 PM
一ダースの宗徒が腕をくみ合って歩く、彼らは信仰の騎士を待っているあの孤独な試誘のことを、大胆に突進するのはなおいっそう恐ろしいことだからといって、信仰の騎士には回避することをゆるされないあの孤独な試誘のことを、少しも知っていはしない。
(キルケゴール『おそれとおののき』)
November 17, 2025 at 7:00 PM
(論理が持つ結晶のごとき純粋さは、結果として生じたものではなく、一つの要求だったのである。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』107)
November 17, 2025 at 5:00 PM
そのような人類の天下泰平な見本どもは、己れをも〈いっしょに〉とじこめている鳥かごのとまり木を無気力にゆさぶっている。このような事実とその結果からは、〈何ひとつ〉解放できるものは〈ない〉。かつてはそうであった、これからもそうであろう、あるいは、
これからはもう何ひとつそうではないであろう。このような事実を尊重したり軽蔑したりすることにも、一つの意味がある。しかし、この事実を〈変える〉ことはできない。人間の運命は、進行しているのであり、完結しなければならない。
(シュペングラー『人間と技術』9)
November 17, 2025 at 3:00 PM
それは福音書のなかできらめき輝やいているあのキリスト教の崇高さと道徳的文化以上のものにはならないだろう。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部 1832.3.11)
November 17, 2025 at 11:01 AM
カントのような人は、大人が子供に向かうようにベートーヴェンに向かって、いつも自己の優越を感ずるだろう。しかもベートーヴェンが『純粋理性批判』を憫れな世界観察だと片づけてしまうのを、どうすることもできないだろう。
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第2章9)
November 17, 2025 at 7:00 AM
彼の足は翼をえている、彼の胸はもっと静かに、息長く、辛抱づよく呼吸することを学んでいる。──彼は跳躍するのに充分な余地をうるために身を後に引いただけである、それでこの後退にはなにか恐ろしいもの・威嚇的なものすらありうる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』273)
November 17, 2025 at 5:01 AM
数学の難しい問題とは、その解に対して"書かれた"体系を我々が未だ有していない問題のことだ。求めている数学者はこの時何らかの心的なシンボル、表象からなる体系を「頭の中に」持っておりそれを紙の上にもたらそうと努めている。彼がこれをなしたなら、後は容易である。しかし書かれたシンボルであれ
書かれていないシンボルであれ、"いかなる"体系も持た"ない"ならば、彼は解を"求める"こともできず、高々手さぐりして回ることしかできない。
人が扱うことのできるもの、それが問題である。
問題が存在しうるところでのみ、何事かの主張が可能である。
(ウィトゲンシュタイン『哲学的考察』151)
November 17, 2025 at 3:00 AM