https://www.hanmoto.com/bd/search/top?author=%E7%99%BD%E5%B2%A9%E8%8B%B1%E6%A8%B9
秋の半日、お近くのかた、ご都合がおつきになるかた、ご参加いただけると嬉しく存じます。
※ご参加の申し込みは、主催の編集グループ〈SURE〉にお願いします(下記)。
www.groupsure.net/post_item.ph...
秋の半日、お近くのかた、ご都合がおつきになるかた、ご参加いただけると嬉しく存じます。
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www.youtube.com/live/okemtrn...
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「一冊の書物を、そのつど心揺すぶられて、わたしは何度も再読する。何度読んでもその力強さ、再読ごとの特徴は失われることはない」。マランは彼女自身の言葉そのままに、連続性への安住を拒み、思索の縦糸を縒る。時間の線形性から逸脱し、〈わたし〉の思考を〈わたしたち〉の倫理へとひらく。
「一冊の書物を、そのつど心揺すぶられて、わたしは何度も再読する。何度読んでもその力強さ、再読ごとの特徴は失われることはない」。マランは彼女自身の言葉そのままに、連続性への安住を拒み、思索の縦糸を縒る。時間の線形性から逸脱し、〈わたし〉の思考を〈わたしたち〉の倫理へとひらく。
一貫しているのは、「善」的かつ散文的表現で囲い込もうとする私たちの理解からコルビュジエを引き剥がし、「悪」の両義性において彼を詩的に捉え直す試み。倉方さんの文体および手さばきは『悪魔の辞典』さながら。対象を傷つけることなく、「罪つくり」な建築家の異端精神を生かしたまま露わにする。
一貫しているのは、「善」的かつ散文的表現で囲い込もうとする私たちの理解からコルビュジエを引き剥がし、「悪」の両義性において彼を詩的に捉え直す試み。倉方さんの文体および手さばきは『悪魔の辞典』さながら。対象を傷つけることなく、「罪つくり」な建築家の異端精神を生かしたまま露わにする。
『講義 アメリカの思想と文学』白岩英樹
ソローの章が抜群におもしろい。こんな人だったのか。ソローの原文が提示してあり、その文体、修辞や読みどころの解説があるのはありがたい。Twin Brothers Coffee 台北
『講義 アメリカの思想と文学』白岩英樹
ソローの章が抜群におもしろい。こんな人だったのか。ソローの原文が提示してあり、その文体、修辞や読みどころの解説があるのはありがたい。Twin Brothers Coffee 台北
私的領域としての「家庭」に留まるのを拒み、娘を残して新たな闘いへ赴く革命家の母(ラディカル・フェミニスト!)。迷走する二人の父親と男性原理。トマス・ピンチョン『ヴァインランド』にインスパイアされつつも、トランプの米国を自画像として描き切る。ジョニー・グリーンウッドの音楽も最高!
私的領域としての「家庭」に留まるのを拒み、娘を残して新たな闘いへ赴く革命家の母(ラディカル・フェミニスト!)。迷走する二人の父親と男性原理。トマス・ピンチョン『ヴァインランド』にインスパイアされつつも、トランプの米国を自画像として描き切る。ジョニー・グリーンウッドの音楽も最高!
日本に行った知人に買って来てもらいました。読みます。 #plutoespressoria
www.hakusuisha.co.jp/book/b619702...
日本に行った知人に買って来てもらいました。読みます。 #plutoespressoria
www.hakusuisha.co.jp/book/b619702...
通奏低音として響くのは「可謬主義」。完全に「分かる」ことはできずとも、物語に仮託したり、誤解やずれをも含んだまま分かちあったりしながら、ともに修正しあえる希望です――「「分有」とはもしかしたら“本物”と“偽物”のあいだにある壁が一時的に取り払われることなのかなと思った」。
通奏低音として響くのは「可謬主義」。完全に「分かる」ことはできずとも、物語に仮託したり、誤解やずれをも含んだまま分かちあったりしながら、ともに修正しあえる希望です――「「分有」とはもしかしたら“本物”と“偽物”のあいだにある壁が一時的に取り払われることなのかなと思った」。
というのも、クリスティーズで競売・落札されたうえ、当該画家研究の第一人者のお墨付き、そして識者たちのフィルターをもかいくぐった作品。もし真実を知らなかったら、きっと異なるレンズで見ていたはず。展覧の内容はいわずもがな、観覧者に配布される小冊子も秀逸。世界でも空前絶後の試みでは!?
というのも、クリスティーズで競売・落札されたうえ、当該画家研究の第一人者のお墨付き、そして識者たちのフィルターをもかいくぐった作品。もし真実を知らなかったら、きっと異なるレンズで見ていたはず。展覧の内容はいわずもがな、観覧者に配布される小冊子も秀逸。世界でも空前絶後の試みでは!?
また、ホイジンガさながらに学生と遊び、歌い、踊りながら文化研究に勤しみ、相互教育に臨もうとする教員としては、安部芳絵論考に蒙を啓かれる思いで、うんうんと深く首肯しながら拝読しました――「『ゆらぎ』に向き合うことで、『ゆらがない力』としての現場の力を獲得することが可能となる」。
また、ホイジンガさながらに学生と遊び、歌い、踊りながら文化研究に勤しみ、相互教育に臨もうとする教員としては、安部芳絵論考に蒙を啓かれる思いで、うんうんと深く首肯しながら拝読しました――「『ゆらぎ』に向き合うことで、『ゆらがない力』としての現場の力を獲得することが可能となる」。
社会活動が困難だった19世紀ロシアでは、あらゆる問題が文学を経由し、「きわめて急進的な姿勢で決断」されたといいます。文学が信仰を代弁したロシア的宿命! とりわけ、ベルジャーエフが指摘するドストエフスキーの両義性(飽満と飢渇)は、プーチンが濫用するスラヴ主義的装置と地続きにある。
社会活動が困難だった19世紀ロシアでは、あらゆる問題が文学を経由し、「きわめて急進的な姿勢で決断」されたといいます。文学が信仰を代弁したロシア的宿命! とりわけ、ベルジャーエフが指摘するドストエフスキーの両義性(飽満と飢渇)は、プーチンが濫用するスラヴ主義的装置と地続きにある。
toshoshimbun.com/news_detail?...
toshoshimbun.com/news_detail?...
歴史学や教育制度・批評理論が絡みあうプロセスにおいて、「フランス文学史」がいかに制度として確立されていったのか。本書ではスタール夫人やG・ランソンをひとつの中心点として、文芸が文学へ、そして文学が「国民精神の精髄」へと変容する過程が、丁寧に整理されています。
歴史学や教育制度・批評理論が絡みあうプロセスにおいて、「フランス文学史」がいかに制度として確立されていったのか。本書ではスタール夫人やG・ランソンをひとつの中心点として、文芸が文学へ、そして文学が「国民精神の精髄」へと変容する過程が、丁寧に整理されています。
連休はひとり読書合宿するのが楽しみです😊
連休はひとり読書合宿するのが楽しみです😊
全編の語りが悲鳴という大理石でできていて、最後にそこに雨が一粒、二粒と滴り落ちてくるようにも感じられる。錯覚かもしれないのだが、白岩英樹さんの力のこもった解説も、その雨滴のよう。
私がこの作品と比べてみたくなったのは、夢野久作『ドグラ・マグラ』。ディベートは所詮、議論や対話のフェイクでしかない。そんな科学はやめてください、というアンポンタン・ポカンくんの声が、向こうからこだましてくるようだった。
全編の語りが悲鳴という大理石でできていて、最後にそこに雨が一粒、二粒と滴り落ちてくるようにも感じられる。錯覚かもしれないのだが、白岩英樹さんの力のこもった解説も、その雨滴のよう。
私がこの作品と比べてみたくなったのは、夢野久作『ドグラ・マグラ』。ディベートは所詮、議論や対話のフェイクでしかない。そんな科学はやめてください、というアンポンタン・ポカンくんの声が、向こうからこだましてくるようだった。
皮膚の内側を流れているあいだは自己として認識される体液も、いつかは例外なく外へ漏れ出します。つまり、かつて自己だったものが他者化する。その刹那にこそ、「ケア」が生まれる! 石牟礼道子を反復するのではなく、歴史学を滑走路として、生物学・建築・食文化へと思想を分散させる著者。
皮膚の内側を流れているあいだは自己として認識される体液も、いつかは例外なく外へ漏れ出します。つまり、かつて自己だったものが他者化する。その刹那にこそ、「ケア」が生まれる! 石牟礼道子を反復するのではなく、歴史学を滑走路として、生物学・建築・食文化へと思想を分散させる著者。
「根拠なく断定的に決めつける本、攻撃的な内容の本、我の強い本には、ご遠慮願っています。ヘイト本は、タイトルに入っている時点でNGだから『店の棚にヘイト本を置けるだろうか』なんて、悩むわけもありません。...どこかに柔らかさを残したものを置くようにしています」。
t.co/AQnLLxWnDf
「根拠なく断定的に決めつける本、攻撃的な内容の本、我の強い本には、ご遠慮願っています。ヘイト本は、タイトルに入っている時点でNGだから『店の棚にヘイト本を置けるだろうか』なんて、悩むわけもありません。...どこかに柔らかさを残したものを置くようにしています」。
t.co/AQnLLxWnDf
"『ニューヨーク・タイムズ』紙が選ぶ21世紀のベスト100冊に選出された、「新しい古典」とも呼びうるベン・ラーナーの飛躍作"
ベン・ラーナー/ 木原善彦 訳 『10:04 〈白水Uブックス〉 』
www.hakusuisha.co.jp/book/b669397...
"『ニューヨーク・タイムズ』紙が選ぶ21世紀のベスト100冊に選出された、「新しい古典」とも呼びうるベン・ラーナーの飛躍作"
ベン・ラーナー/ 木原善彦 訳 『10:04 〈白水Uブックス〉 』
www.hakusuisha.co.jp/book/b669397...
プランテーションからの逃亡は、人類の実験としての「ゼネラルストライキ」であり、制度への抵抗だった。だが、奴隷制は都市のゲットーにまで忍び寄る。それでも、音と身体による「親密な黒々とした生の革命の反復」がやむことはなかった。「あたしはここにいる」! 困惑のうちに覚醒するデュボイス。
プランテーションからの逃亡は、人類の実験としての「ゼネラルストライキ」であり、制度への抵抗だった。だが、奴隷制は都市のゲットーにまで忍び寄る。それでも、音と身体による「親密な黒々とした生の革命の反復」がやむことはなかった。「あたしはここにいる」! 困惑のうちに覚醒するデュボイス。
「尊厳を傷つけられた人間の怒りのエネルギーは、途方もなく大きい。女たちは、怒りがあるうちは破局(break)という最悪の事態さえも回避できる、と安堵します。この甚大なエネルギーはやがて、「怒りの葡萄」を実らせるに違いないのです。」――Natさん、ありがとうございます😭
note.com/nat_kc/n/ne9...
「尊厳を傷つけられた人間の怒りのエネルギーは、途方もなく大きい。女たちは、怒りがあるうちは破局(break)という最悪の事態さえも回避できる、と安堵します。この甚大なエネルギーはやがて、「怒りの葡萄」を実らせるに違いないのです。」――Natさん、ありがとうございます😭
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「尊厳を傷つけられた人間の怒りのエネルギーは、途方もなく大きい。女たちは、怒りがあるうちは破局(break)という最悪の事態さえも回避できる、と安堵します。この甚大なエネルギーはやがて、「怒りの葡萄」を実らせるに違いないのです。」――Natさん、ありがとうございます😭
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20世紀初頭のゲットー、若い黒人の女たちは自由に生きたいと抗った。生きることそのものを芸術とする、親密で奔放な彼女たちの物語
www.keisoshobo.co.jp/book/b101452...