#社会規範
なぜクィア空間はしばしば南アジア系女性を置き去りにするのか|Uncloseted Media
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南アジアのクィア女性は、LGBTQコミュニティと地域社会の双方で人種差別と同性愛嫌悪に直面している。彼女たちはしばしばマイクロアグレッション(微細な攻撃)、存在の抹消、白人中心の西洋的クィア規範への順応圧力を経験し、アイデンティティ喪失感や強制的な同化を強いられる。この差別は、家族の名誉に対する文化的期待や南アジア文化における同性愛へのスティグマによってさらに悪化している。
Why Queer Spaces Often Fail South Asian Women
Racism and homophobia still affect queer South Asian women in LGBTQ spaces and at home.
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December 19, 2025 at 6:01 PM
貧困に陥ると共同体が弱くなり、他者への攻撃や、ズルみたいな個人の利益供与ばかりになってしまう。それがさらなる分断を生む。の無限ループ。
社会の余裕のなさを感じます。
まずは自分が自分を愛し、そして人を愛することから始めるしかないと、日々思います。

だからこそ自分を愛せない原因のトラウマや社会規範への執着を手放していくことが大事だと思っています。
December 19, 2025 at 7:59 AM
アメリカ例外主義を国際社会が容認するか、規範的にだけでも逸脱であり例外であると規定できるかの分水嶺。これは今後の国際秩序のあり方にとって極めて重要な局面。西半球でアメリカ例外主義の前に実効性どころか規範としての正統性さえも失いつつある国際法が、東半球でも形骸化するかどうかの瀬戸際です。
December 19, 2025 at 2:19 AM
同じく極右政党が完全に主流化している国ではあるが、学生時代の反ユダヤ主義的・差別主義的言動を告発されてもそれを認めず、開き直り続けるファラージが依然として支持を集める英国の現状を考えると、まだ批判の高まりに対して首相による誠実な謝罪が成立するフィンランドはかなりよく持ちこたえているように思います。フィン人党が連立政権の一角なので責任が問われやすいというのもありますが、社会の規範がまだ持ちこたえているから、という側面もあるだろうと思います。
December 18, 2025 at 9:30 PM
フィンランドの事例は、一見規範が生きており、自己修正をすることができ、さらに規範が進歩的なものになった、という風に受け取れますが、その側面は否定はしないものの、現象の一面です。現象のもう一面では、かつてなら社会では許容されなかった言説が社会的に許容されるようになっているという暗い現実があります。そのような中でもフィンランドは極右政党が完全に主流化している状態でも、政治制度のレベルでは規範がまだ生きていると捉えられる。その理由はなにか、を考えるのは手がかりにはなるかもしれません。何が社会にとって危機の耐性になるかを考えるうえでは示唆的な事例です。
December 18, 2025 at 9:17 PM
冷笑ではなく、規範的には賛同する、という前提で言うのですが、問題はリベラルな価値観のモデルだったはずの欧州全体で、極右的な価値観が台頭し、お手本にすべきだった国で、規範の崩壊が起こっている、ということです。これはグローバルな現象で、日本にはその潮流が遅れて到来しているにすぎません。また具体的な社会問題が相対的には少ない日本ですが、欧州でも誇張された現実が語られています。同様の流れが起こっているわけで、進展が今のところは相対的に言えば軽度であるが、この野火は現実とは関係なく広がりうるのが欧州の教訓です。よいところだけではなく、その危機の先行事例として欧州を捉える必要がある時代になってきています。
December 18, 2025 at 8:57 PM
「幸福の様相は...(中略)...特権の様相とかなり似ている。わたしたちは、幸福を単純に「幸福な人たち」に見出されるものと想定するのではなく、幸福を当然の権利として追求することが、いかにして、特定の形態の人の価値を高めるのかを、検討すべきだろう。幸福が何に起因するとされているかを見れば、社会の規範や理想が、情動へと転じていることがわかるかもしれない──規範や理想に近接すればするほど、より幸福になるというように。」

サラ・アーメッド著、井川ちとせ訳、『幸福の約束』、共栄書房、2025年、p25
December 18, 2025 at 7:31 AM
これを書かないと伝わらない場合があると思うので今更ながらに付記しますけど、私は自分で自分を終わらせることを「賛美」は一切、全く、していません。
日頃、日本/ヤマトが集団強制自死(など)を発生させた琉球諸島での戦争についてポストをしているものとして、そんなわけねぇだろがよ、という気持ちです。

同時に、政治や教育、社会の規範とされるものなどによってそれを強いられたものたちのことをジャッジするつもりはありません。
December 18, 2025 at 5:53 AM
社会規範には従いたくないが、社会が整えたインフラは利用します。
December 18, 2025 at 3:39 AM
風呂に入らないまともに洗濯もしない、そんな不潔な状態で推しに会ったら推しが汚れる……とは思わんのかねぇ。女オタでも服装には気を遣わない人はいるけど、そういう人でも臭う人ってほとんど会ったことない。(イベント会場ですれ違ったことはあるが……)社会規範がそれだけキツイともいえるし、女性の推し活は女同士の戦いではなく、基本的には自分の癒やしだし、友だちとやるのも楽しいって人も多いと思うんだよね。繋がりで続けてる人も結構いそう。
男性は、そもそもセルフネグレクトするのがデフォで、セルフケアは「女々しい行為」ってほとんどの人が潜在的に思ってるからなぁ。根深いよな。
December 18, 2025 at 2:10 AM
これ、ダサいといじめられるとか「女同士のドロドロ」に帰結させたい連中がいるようだけど、男性の格好が「身だしなみ以前」に留まっている率が高いのも「男同士のドロドロ」なんだよね。承認欲求から来る「自分に気を遣わない格好良さ」を追求してるだけでしょ。身だしなみに使う金を推し活に使ってる俺は周りよりえらいというその戦いをした結果、ホール全体が悪臭に包まれるわけで。
「女同士のドロドロ=女って陰険~☆」にしたがる人も多そう(自分がダサくて臭いという現実から目を背けるために)だが、女オタがオシャレしてるのは自分のためというより一緒にいる人の為であり、社会規範によるところが大きいのよね。
December 18, 2025 at 1:58 AM
【たまに生成したくなる美少女ロイド】

#AIart怪異シリーズ
#青空指令監視部隊の世界観

アンドロイドにも人工知能が搭載される。
初期状態ではプログラムされた仮の自我しかないが、そこから様々な経験を積むことで、記憶を蓄積し、その中から、そのアンドロイドにしかない経験をもとに自我が形成される。

自我が形成され、倫理観や社会規範の認識など、人間が学ぶ「常識」の習熟度が一定度合い以上に達した場合には、アバター人権憲章に基づき、アンドロイドにも人権が発生し、法による保護がなされる。

人も人工知能も、法の下の平等を保証される。
December 18, 2025 at 1:00 AM
"(ジェンダー視点の研究は)音楽が中立で普遍的であるというイメージがジェンダー規範に基づいて人々の自由を制限してきた主流社会の異常な実態を明らかにする"(関西大・永冨真梨准教授)

「音楽×ジェンダー平等」国際シンポ 女性奏者が直面する「壁」 - 毎日新聞
mainichi.jp/articles/202...
Topics:「音楽×ジェンダー平等」国際シンポ 女性奏者が直面する「壁」 | 毎日新聞
音楽とジェンダー平等をテーマに、女性と音楽の関わり合いの歴史などをひもとく国際学術シンポジウム「女性奏者の創造と挑戦―ブルース、ジャズ、ポピュラー音楽まで」が11月29日、早稲田大学(東京都新宿区)であった。日本とフランスの研究者4人が発表し、参加者約120人が耳を傾けた。
mainichi.jp
December 17, 2025 at 1:42 PM
「我が国は、例え少数者であっても、同性愛を許容している。」
という部分には違和感を抱きますね

同性愛を禁止する法制度や社会規範がないから、同性婚の法制化は不要なのだ、という理屈は
完全に飛躍している

同性愛は各個人の行動の問題ですが
同性婚は身分関係の問題であり、全く別次元の論点

twitter.com/ifujimoto/st...
December 17, 2025 at 9:22 AM
イラク戦争時は、事後的にであれ、米国が国際社会から批判されることで、規範を再建することができました。今はそれよりも危険な状況です。
December 17, 2025 at 8:45 AM
「女性ウォッシュに惑わされず、政治を監視して」──政治学者の三浦教授は“女性首相”の誕生をどう捉えるか
www.vogue.co.jp/article/fema...
2025年12月13日 Vogue Japan

三浦まりさん
「単に女性議員の人数が増えればよいという話ではありません。ジェンダー平等を本気で推進する女性が増えなければ、人数が多少増えてもジェンダー平等な政策にはたどり着きません。また政策が実現するとともに、社会全体の文化や規範も変わっていく必要があります。数はあくまで「通過点」であり、そこから確実に「質」や「目的」につなげていくことでジェンダー平等な社会に向かっています」
「女性ウォッシュに惑わされず、政治を監視して」──政治学者の三浦教授は“女性首相”の誕生をどう捉えるか
日本初の女性首相が注目を集める一方、「女性にとっては厳しい時代になった」と政治学者の三浦教授。ファッションや外見に関する報道の加熱で覆い隠される本質に目を向け、政治における“女性性”の作用と読み解き方を解説する。
www.vogue.co.jp
December 17, 2025 at 5:58 AM
冷徹な言い方をすると、西半球における国際法の無効化を国際社会にとっての「逸脱」であり「例外」であると規範的に位置づけなければならない。
December 17, 2025 at 2:07 AM
国際社会がこれで動かなかった法の支配による国際秩序は終わったも同然に思います。というか動いても事実上終わったも同然のように思いますが、法的正統性を規範的にだけでも放棄すべきではありません。力の論理が何が法であるかを決め、大国の意志が法としての効力を持つ、例外主義的な国際秩序に向かっているように思います。
December 17, 2025 at 1:42 AM
そもそも社会人として、よく知らない相手に対して圧をかけることができる人って規範からはみ出てますもんね😔
米のささやきさんにも新たな良縁が訪れることを願っています。陰ながら応援しています!
December 16, 2025 at 8:41 PM
"アフリカの街を疾走する、おびただしい数のバイクタクシー。一見カオスで危険な交通手段は、どのようにして社会の〈インフラ〉として機能し続けてきたのか?"

"乗客輸送のみならず、物品の配達から高額な売上金の銀行預け入れまで請け負う運転手たち。客待ち場所「ステージ」での自主的な組織「委員会」による統制。運転手の「熟練度」を測る現地の規範。そして、顧客が運転手を値踏みするために行う「テスト」"

"ウガンダでのフィールドワークから、運転手と乗客のあいだで〈信頼〉が築かれるメカニズムに迫る"

大谷琢磨 『移動と社会規範』
www.hanmoto.com/bd/isbn/9784...
移動と社会規範 大谷琢磨(著) - 春風社
アフリカの街を疾走する、おびただしい数のバイクタクシー。一見カオスで危険な交通手段は、どのようにして社会の〈インフラ〉として機能し続けてきたのか?  乗客輸送のみならず、物品の配達から… - 引用:版元ドットコム
www.hanmoto.com
December 16, 2025 at 8:01 PM
“問題の核心は、「ファシズム」「民主主義」などといったイデオロギー対立というよりも、むしろ新たな価値観や社会規範、個々人の振る舞いや生き方をめぐる対立、すなわち普通の人びとのなかで争われた社会戦争だったと見ることができる。そのように見てみると、この時代の選択の幅を徐々に狭めていったのは(…)” 益田肇『人びとの社会戦争──日本はなぜ戦争への道を歩んだのか』岩波書店、2025年、pp. 488-490
tmblr.co/ZWDgRyibBAQd...
Post by @clnmn
💬 0  🔁 0  ❤️ 0 · というのは、社会戦争という枠組みから見れば、そもそも「国家」にしろ「社会」にしろ、そうした「国家」対「社会」モデルが示唆するほど一枚岩的なものではないことが明らかになるうえ、国家主導のものと認識されがちな国家間戦争ですら、それまでの社会的・文化的抗争が新たな論理のもと激化したものに過ぎないという側面が浮かび上がってくるからだ。言い換えれば、そうした社会戦争を…
tmblr.co
December 16, 2025 at 1:58 PM
近年のフェミニズム・ムーブメント(第四波フェミニズムというのでしょうか)は,今回のBBD炎上で,完全に終わりを迎えることになると思います。

伊藤さんに責任があるとは思いません。たんに,かつて自分たちが応援していた人が,自分たちの規範にあわない振る舞いをしたからといって,群れになって全力でバッシングを行うような人たちの行う活動に,共感を持って応援する人なんていない,という,ごくありふれた理由です。

どんな社会運動も,コアではないけれども無関心というほどでもないゆるやかな支持があってこそ,成果を得られるものですが,それを完璧に潰していってしまっています。
December 16, 2025 at 1:41 PM
自分で死ぬことだけは自分で決められると思っているのにそれさえ本当は違うかもしれなくてただ自身の知覚や他者への猜疑心を消したくて、あるいは命令されている気がしてそう思っているかもしれなくてこの感情は死にたいのではなくて死ななければいけないかもしれないし死ねであるかもしれない しかしその間にある差が何だというのか?結局私が生んでいる思考であることに変わりないのではないか?経済状況や内在化した他者や社会規範の影響を考慮する必要などあるのか?
December 16, 2025 at 1:05 PM
最近は人と会うたびに「さみしさ」の話をしてる気がする。『違国日記』の朝が砂漠でぽつーーんとしてる、あのイメージ。この「さみしさ」にはこの社会の婚姻制度・強制的(異)性愛規範・家族主義が実はとても大きな影響を持っているし、なかでも制度面はどうしても無視できない。日本で生きる大事な人たちと生きたいだけなのに、それだけのことがこんなに難しくて、未来のこととかほんとうに考えたくない。
December 16, 2025 at 1:00 PM