佐藤竜一
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佐藤竜一
@ihatovo.bsky.social
岩手県陸前高田市生まれ。宮沢賢治学会副代表理事・岩手大学特命准教授歴任後岩手大学非常勤講師。主著に『高野長英と吉田松陰』『那珂通世と夏目漱石』『建築家・葛西萬司』『原敬と新渡戸稲造』「宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』『盛岡藩』『それぞれの戊辰戦争』『宮沢賢治 出会いの宇宙』『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯』『国際外交の舞台で活躍した岩手の男たち』『海が消えた 陸前高田と東日本大震災』『石川啄木と宮沢賢治の人間学』『変わる中国、変わらぬ中国ー紀行・三国志異聞』など。
菊池寛は大分県中津と縁が深く、『恩讐の彼方に』という名作を書いています。舞台になったのは耶馬渓(写真)にある、そそりたつ競秀峰にくりぬかれた隧道、「青の洞門」(写真)です。「青の洞門」の青は地名(中津市本耶馬渓町曽木字青)に由来します。
耶馬渓は江戸時代の思想家頼山陽が九州を旅した際に、絶景に酔いしれたと伝えられています。山陽はその自然美に感銘を覚え、それまで山国谷とか城井谷と呼ばれていたこの渓谷を中国風に耶馬渓と名づけ、「耶馬渓山、天下に無し」と詠じたといいいます。その後、この地域は耶馬渓として親しまれるようになりました。 #菊池寛 #恩讐の彼方に #中津 #耶馬渓 #青の洞門 #頼山陽
November 19, 2025 at 5:28 AM
内藤昌『日本 町の風景学』(草思社)を読み終えました。著者は日本建築学会副会長を務めた建築史家。日本の城下町は17世紀まで、世界的にみても最大級の都市だったといいます。本書は街並みがどのように形成されて来たのかをかみ砕いて概観していて、城下町、港町、宿場町、門前町、在郷町それぞれの特色を興味深く紹介しています。
また、建築史家の立場から、そうした町が既存の風景と調和を保つことの必要性を説いていて、説得力のある内容となっています。 #内藤昌 #町の風景学 #草思社 #日本建築学会 #城下町 #港町 #宿場町 #門前町 #在郷町
November 18, 2025 at 10:49 PM
大分県中津が輩出した代表的な人物が福沢諭吉。故居(写真)が残っていて近くに記念館が作られています。諭吉は1834年中津藩の下級武士の末子として大坂の中津藩屋敷で生まれました。
父が没したため一家は大坂を離れ、中津に帰りました。下級武士の子としての生活は決して楽ではなく、幼い頃の体験は福沢の著作『学問のすゝめ』の「天ハ、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の記述からもうかがえます。身分制度の壁を身を以て体験したのです。
諭吉は1854年長崎遊学を経て大坂の緒方洪庵が主宰する適塾で語学力を磨き、慶応義塾の創設者、啓蒙思想家として大成しました。 #大分県 #中津 #福沢諭吉 #緒方洪庵 #適塾
November 18, 2025 at 5:17 AM
石川雅俊『病院がなくなる日』(ダイヤモンド社)を読み終えました。著者は医師・医療福祉経済学博士で、病院経営に携わってきた人。医療現場では多くの問題を抱えていますが、本書は「医療のリアル」を具体的に示しています。
今後医療現場はますます厳しさを増すと予想されます。医療が変われば、「命や健康の守り方」も変わります。医療現場の未来像を本書は提示しています。自身の健康に留意しながら、医療の未来がどうなるか、に思いを馳せる必要性があると本書を読んで思いました。 #石川雅俊 #病院がなくなる日 #ダイヤモンド社 #医療福祉経済学 #病院経営
November 17, 2025 at 10:54 PM
今日は盛岡中央劇場の「午前十時の映画祭」。ロバート・ワイズ、ジェロ―ム・ロビンス監督の「ウエスト・サイド物語」(1961年)を観ました。ニューヨークの下町が舞台。イタリア系不良グループジェット団とプエルトリコ系不良グループシャーク団との抗争中に、敵味方となっている男(リチャード・ベイマ―)と女(ナタリー・ウッド)の間に恋が芽生えますー。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を翻案とする悲恋物語。さすがに、「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンと共演したナタリー・ウッドは迫真の演技でした。ミュージカルの傑作です。 #ウエスト・サイド物語 #ロバート・ワイズ #ナタリー・ウッド #ニューヨーク
November 17, 2025 at 7:13 AM
前田礼『ヒルサイドテラス物語 朝倉家と代官山のまちづくり』(現代企画室)を読み終えました。渋谷区代官山にあるヒルサイドテラスは集合住宅、店舗、オフィスなどから構成される複合施設です。本書は1967年、地主である朝倉家と建築家・槇文彦との出会いから端を発し、次第に文化の発信地となってゆく過程を克明に紹介していて、とても面白かった。
ヒルサイドテラスは建築家が街づくりに参画して成功した事例として、今後も注目を集めつづけていくことでしょう。私は現地を訪ねたことがないので、そのうち訪ねてみようと思いました。 #前田礼 #ヒルサイドテラス物語 #現代企画室 #槇文彦 #朝倉家 #代官山 #渋谷区
November 16, 2025 at 10:14 PM
中津藩は江戸時代には蘭学が盛んでした。代表駅な人物が前野良沢です。良沢は1723年福岡藩の谷口家に生まれましたが、その後中津藩医前野東元の養子となり、藩医として奥平昌鹿に仕えました。江戸に出た良沢は1771年3月杉田玄白や中川淳庵などと刑死体の解剖を見学しました。
良沢は携えていた解剖書『ターヘル・アナトミア』に掲載されている人体解剖図の内容が実際の内臓の仕組みと一致することに驚き、玄白らと解剖書を翻訳しました。1774年『解体新書』として出版されましたが、日本の医学史上画期的な成果でした(写真は荒川区小塚原回向院の碑)。 #中津藩 #前野良沢 #蘭学 #杉田玄白 #解体新書 #小塚原回向院
November 16, 2025 at 5:52 AM
渡邉雅子『共感の論理ー日本から始まる教育革命』(岩波新書)を読み終えました。著者は知識社会学、比較教育、比較文化の研究者(名古屋大学教授)。これまで、日本、アメリカ、フランス、イランで教育実績があり、国際体験が豊富です。
本書はそういった豊かな体験がベースになっています。共感的利他主義を基軸に他者を協働する力を養うにはどうしたらよいか、具体的な方法を提示しているのです。どのような未来を構想したらよいかを深く考察していて、説得力のある内容となっています。良書です。 #渡邉雅子 #共感の論理 #日本から始まる教育革命 #岩波新書 #共感的利他主義 #知識社会学 #比較教育 #比較文化 #名古屋大学
November 15, 2025 at 10:42 PM
大分県中津市のシンボル・中津城(写真)は1588年、黒田勘兵衛が築城しました。勘兵衛は豊臣秀吉による九州征伐で活躍し、1587年豊前国6郡を秀吉から与えられたのです。中津城は黒田官兵衛が去った後、藩主となった細川氏や小笠原氏によって整備拡張されましたが、黒田時代に築かれた石垣が現在も広範囲に残っています。
今の天守閣は1964年に市民から寄付を募って造られたものですが、石垣は黒田時代を物語っており、現在の中津の町並みは黒田時代の町割りを踏襲しているといわれています。中津城は鉄筋コンクリート造りの5層5階建てで、奥平家歴代藩主の甲冑や古文書などを展示しています。 #大分県 #中津城 #黒田官兵衛
November 15, 2025 at 5:53 AM
勝部真長編『氷川夜話 付勝海舟伝』(角川ソフィア文庫)を読み終えました。幕末期から明治期にかけて活躍した勝海舟の語録。西郷隆盛や坂本龍馬、高野長英(写真は奥羽市の高野長英旧宅)、横井小楠などの印象を興味深く述懐していてとても面白い。中でも、江戸を戦火から守った西郷との出会いは圧巻。海舟は多くの困難を乗り越えてきただけに肝がすわっていて、なかなかの人物だと改めて思いました。
巻末の勝部真長による「勝海舟伝」は簡潔にしてポイントを押さえていて、海舟の人生を生き生きと紹介しています。名著だと思います。 #勝部真長 #勝海舟 #角川ソフィア文庫 #西郷隆盛 #坂本龍馬 #高野長英 #奥州市 #横井小楠
November 14, 2025 at 10:33 PM
山形市の山寺に松尾芭蕉が従者の曽良と共に到着したのは1689(元禄12)年7月13日(新暦)で、ふもとの宿坊で宿を借りてから山寺に登っています。その時に作られたのが有名な「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」です。
山寺のふもとには、山寺芭蕉記念館(写真)があり、山寺と芭蕉とのつながりを詳細に伝えています。記念館の前庭に元米国駐日大使ライシャワー博士の寄稿文碑があります。ライシャワーは山寺を訪れた際に「日本の本来の姿を思い出させる美しい所です」と讃美しています。記念館では芭蕉に関する常設展示のほか、研修室や茶室が備えられていて、句会などが開かれています。 #山形 #山寺 #松尾芭蕉 #ライシャワー
November 14, 2025 at 5:41 AM
Reposted by 佐藤竜一
【4508】
#オスカー・ワイルド
「自然を愛することを学ぶのに、芸術を理解する以上の方法はない。芸術は野の花の一輪一輪に価値を与えるのだ。そして、飛んでいる鳥が木やキャンバスの上に美として描かれたのを見た少年は、たぶんいつものように石を投げたりはしないだろう」

#名言 #格言 #警句 #言葉 #生涯 #学習 #人生 #教訓 #思考 #変革 #知識 #知恵 #歴史 #物語
オスカー・ワイルド「自然を愛することを学ぶのに、芸術を理解する以上の方法はない。芸術は野の花の一輪一輪に価値を与えるのだ。そして、飛んでいる鳥が木やキャンバスの上に美として描かれたのを見た少年は、たぶんいつものように石を投げたりはしないだろう」
オスカー・ワイルドはこの名言で、自然への愛を育む手段として芸術を理解することの意義を説いている。芸術を通して自然の美しさを再発見し、それを敬意を持って捉えることで、自然への畏敬の念が育まれるという考えである。芸術は、野に咲く花や空を舞う鳥など、一見当たり前の自然の光景にも特別な意味や価値を与え、私たちにその美を感じさせる。ワイルドは、飛ぶ鳥が木彫りや絵画の美として表現されるのを見た少年は、その美しさを感じ取ることによって、石を投げるような破壊的な行為から遠ざかると示唆している。
note.lv73.net
May 28, 2025 at 9:06 AM
宮崎かすみ『オスカー・ワイルド』(中公新書)を読み終えました。本書の副題は、「犯罪者」にして芸術家。「幸福な王子」というとても美しい物語を書いたワイルドの実生活は幸福とはほど遠かったようです。1854年に生まれ1900年に亡くなったワイルドは、当時のイギリスでは同性愛が犯罪とされたために、獄中生活を送りました。
アイルランド生まれのワイルドはイギリス社会で苦しみ、友人から見放され、絶望を味わいました。とはいえ、ワイルドが「私の生が終わったとき、私の作品は生きはじめるのです」と予言した通り、作品は世界で愛され続けています。 #宮崎かすみ #オスカー・ワイルド #中公新書 #アイルランド #同性愛
November 13, 2025 at 10:28 PM
山形市にある霞城公園には山形県立博物館や山形美術館のほか、武道館や県の体育館もあり、文教施設が集中しています。
その中にあり異彩を放っているのが山形市郷土舘(写真)です。1878年9月、県立病院「済生館本館」として建築された建造物です。初代県令・三島通庸の命令で建立され、太政大臣である三条実美が命名。長く山形市立病院として使用されました。
三層楼の擬洋風建築で、1966年に国指定重要文化財に指定されました。1969年現在地に移築され、1971年「山形市郷土舘」として開館しました。山形県の医療の歩みを詳細に伝えています。 #山形 #霞城公園 #山形市郷土館 #済生館本館 #三島通庸 #三条実美
November 13, 2025 at 6:03 AM
南條竹則『ドリトル先生の英国」(文春新書)を読み終えました。中学生の頃は、井伏鱒二訳ロフティングの「ドリトル先生」が愛読書でした。著者もそうだったようで、本書では井伏訳「ドリトル先生」にまつわるエピソードを興味深く紹介しています。博物学者としてのドリトル先生の魅力に納得し当時の英国事情がよくわかりました。
中でも関心を引いたのが「ドリトル先生の食卓」の章。ドリトル先生は動物のことばがわかり、動物愛護の精神に富んだ人でしたが、ベジタリアンではなく、イワシの缶詰やベーコンが好物でした。その点、共感を覚えます。 #南條竹則 #ドリトル先生の食卓 #文春新書 #ロフティング #イギリス #ベジタリアン
November 12, 2025 at 10:14 PM
山形のいしずえを築いたのは最上義光です。山形藩は義光の時代に57万石を擁し、伊達家に次ぐ雄藩でしたが、1622年に改易になりました。代わって入部したのが鳥居忠政で、以後は幕末まで譜代大名の藩として存続します。
最後の山形藩主となった水野忠精は、幕府の天保改革を推進し失敗した水野忠邦の子で、水野家の最後は山形で迎えることになりました。全国に先駆けて山形藩が廃藩になるのは1868年で、弱小譜代大名の悲哀を感じます。
そんな歴史の中にあり、最上義光は今でも山形を築いた偉人として顕彰されており、霞城公園の入口近くにある最上義光歴史館(写真)が最上家の歴史を伝えています。 #山形 #山形藩 #最上義光
November 12, 2025 at 7:22 AM
三宅理一『安藤忠雄 建築を生きる」」(みすず書房)を読み終えました。大阪に生まれ、工業高校を卒業して建築家となった安藤忠雄(1941~)の本格的な評伝です。安藤は高校時代ボクサーを志しましたが、ファイティング原田と出会い才能の違いを見せつけらえたというエピソードが印象に残りました。
私は安藤忠雄が設計した建造物が好きで、東大阪の司馬遼太郎記念館、姫路文学館、松山市の「坂の上の雲ミュージアム」を観ています。建造物もすそうですが、本書を読み生き方にもひかれました(写真は遠野市にある「こども本の森 遠野」)。 #三宅理一 #安藤忠雄 #みすず書房 #ボクサー #遠野 #姫路文学館 #司馬遼太郎記念館
November 11, 2025 at 9:23 PM
山形県鶴岡市が生んだ作家といえば藤沢周平(1927-1997)です。鶴岡公園内に市立藤沢周平記念館(写真)がオープンしたのは2010年のことでした。
藤沢周平の本名は小菅留治。山形師範学校卒業後教師となり、中学校で教えましたが、2年後に肺結核が見つかり休職。6年余の闘病生活を東京の病院で過ごした後、業界紙で記者として働きながら、小説を書きました。
1971年「溟い海」でオール読物新人賞、1973年「暗殺の年輪」で直木賞を受賞し、作家として独り立ちしました。その後は時代小説、歴史小説の旗手として活躍、吉川英治文学賞等多くの賞を受賞。1997年に亡くなりました。
 #山形県 #鶴岡市 #藤沢周平
November 11, 2025 at 4:15 AM
ロバート・ワイズ監督の「サウンドオブミュージック」(1965年)を久しぶりに観ました。第二次世界大戦中ドイツ占領下のオーストリア。妻をなくし7人の子どもを抱えたトラップ大佐(クリストファー・ブラマー)の家に修道院から家庭教師としてやってきたマリア(ジュリー・アンドリュース)は歌を媒介にして、たちまち子供たちと打ち解けます。やがて、トラップ大佐とマリアは愛し合うようになりー。
「ドレミの歌」などを歌うアンドリュースの歌声はもちろん素敵なのですが、クリストファー・ブラマーの歌う「エーデルワイス」もなかなか味があり、心に響きました。ミュージカルの傑作。 #ロバート・ワイズ #サウンドオブミュージック
November 10, 2025 at 9:12 PM
是川夕『ニッポンの移民ー増え続ける外国人とどう向き合うか」(ちくま新書)を読み終えました。著者は移民政策に関する第一人者(国立社会保障・人口問題研究所国際関係部部長)。近年少子高齢化による労働力不足等で多くの外国人がやってくるようになりましたが、本書はその背景や今後の行方についてていねいに解説していて、説得力がありました。
著者によれば、日本の人口は2060年に1億人を切り、外国人人口が1千万人を超えるとのことです。現在外国人比率は人口の約3%ですが、その頃には10%を超えます。本書を読み、日本社会はもはや移民なしでは立ち行かない、と改めて思いました。 #是川夕 #ニッポンの移民 #ちくま新書
November 10, 2025 at 9:02 PM
鶴岡市は歴史的建造物が多いのですが、中でも見所があるのが鶴岡公園内の旧西田川郡役所(重要文化財)です。1881(明治14)年創建の建造物で、1972(昭和47)年に移築。擬洋風のスタイルをとっていて、棟梁は西洋建築を学んだ鶴岡出身の高橋兼吉と石井竹次郎であり、ルネサンス様式の模倣が随所に見受けられます。
旧西田川郡役所は建物自体素敵ですが、展示内容も充実しています。庄内地方の考古資料、庄内藩の戊辰戦争関連資料、明治時代の暮らしと文化等が詳しく紹介されています。とりわけ詳しく紹介されているのが、幕末期から明治時代初期にかけでです(写真は旧西田川郡役所内部)。 #鶴岡 #旧西田川郡役所 #庄内藩
November 10, 2025 at 8:39 AM
石田繁之介『ジョサイア・コンドルの綱町三井倶楽部」(相模書房)を読み終えました。著者は鹿島建設や三井不動産で働いた経験を持つ建築評論家。本書はイギリスからやって来たお雇い外国人、ジョサイア・コンドル晩年の名作綱町三井倶楽部建築の背景に関して克明に紹介しています。
興味深いのはやはりコンドルが設計した旧古河虎之助邸(写真)に関しても詳細に触れていることです。私はこの建造物が好きで、何度も訪ねています。まるでおとぎの国にいるような、そんな雰囲気を漂わせている名建築です。 #石田繁之介 #ジョサイア・コンドル #綱町三井倶楽部 #イギリス #旧古河虎之助邸 #鹿島建設 #三井不動産 #相模書房
November 9, 2025 at 9:16 PM
山形県鶴岡市は江戸時代、庄内藩14万石の城下町として栄えました。庄内藩の息吹を伝えるのが藩校「致道館」(写真)です。東北で現存する唯一の藩校で、聖廟、講堂、御入間などがほぼ当時の姿のまま残っており、国指定史跡となっています。1805年庄内藩主9代忠徳(ただあり)が創設したもので、1816年、現在地に移されました。1873年に廃校になるまで、地域の教育に貢献してきました。致道とは論語の一節「君子学んで以て其の道を致す」が出典です。
致道館は岡山藩のいしずえを築いた池田光政が創設した、藩士や庶民の子弟向けの学校=郷学閑谷学校を参考にして創設されたそうです。 #山形県 #鶴岡市 #庄内藩 #致道館
November 9, 2025 at 6:51 AM
新村拓『老いと介護の日本史 「認知症」への眼差し』(吉川弘文館)を読み終えました。古くから日本では老化に伴う病や認知症が認識されてきていて、『源氏物語』「徒然草」などの文学作品や歴史書などに記載されてきました。本書はそういった歴史を概観するとともに、日本人が老いとどのように向き合ってきたのか、を興味深く紹介しています。
たとえば、蘭方医として名高い杉田玄白は当時としては長命で85歳まで生きましたが、老いによる衰えを嘆く随筆を執筆したそうです。 #新村拓 #老いと介護の日本史 #「認知症」への眼差し #吉川弘文館 #杉田玄白 #源氏物語 #徒然草
November 8, 2025 at 10:00 PM
新潟は古くから海や川に囲まれており、港町として発展してきました。1672年には、河村瑞賢が幕府の命令で西廻り航路を開設しましたが、新潟はその寄港地となりました。松前から瀬戸内を経て、大坂、江戸を結ぶ、商品流通の重要な拠点港となったのです。
幕末の1858年には、日米修好通商条約の締結により、開港する五港の一つに指定され、1868年正式に開港しています。
その後も新潟は国際港として発展を遂げ、現在新潟港(写真)は東南アジア各国を結ぶ、北東アジアの物流の拠点となっています。その歩みは、新潟港近くにある新潟市立博物館が詳しく紹介しています。 #新潟 #河村瑞賢 #日米修好通商条約 #新潟市立博物館
November 8, 2025 at 7:53 AM