1955年日本共産党は極左冒険主義を自己批判し、幅広い層から支持を得る路線に転換しました。そのことがきっかけとなって新左翼が生まれましたが、本書は暴力化していった末に大衆の支持を失っていった新左翼の歴史を天皇制と絡めながら克明に描いています。読みごたえがありました。 #井上亮 #新左翼と天皇 #ちくま新書 #日本経済新聞 #日本共産党 #極左冒険主義 #天皇制 #ゲリラ闘争
西郷軍は結果的に政府に制圧され、西郷は亡くなりました。鹿児島の人々は西郷隆盛を顕彰するために、西郷南洲顕彰館を建立。すぐ近くには西南戦争の死者が葬られた南洲墓地があります。 #鹿児島 #西郷隆盛 #西南戦争 #西郷洞窟
著者は現場で仕事を共にした職人たちから多くのことを学んだ、といいます。建築の施工に関する具体的な知識だけではない、「頭からでなく、モノから考える方法を教わった」と。刺激的な建築論であり、日本建築の今後を洞察した好著です。 #隈研吾 #日本の建築 #岩波新書 #ブルーノ・タウト #チェコ
たとえば、「逃げの小五郎」と呼ばれた桂小五郎(木戸孝允)ですが、実は剣の達人(神道無念流)で、「剣を用いない」ことを理想としていたそうです。強い故に一人も殺さなかったとは、なかなかの人物ですね。 #夏池優一
#幕末志士の大誤解 #彩図社 #桂小五郎 #坂本龍馬 #吉田松陰 #高杉晋作 #勝海舟 #西郷隆盛 #神道無念流 #木戸孝允
徳川家康は権力を強化する目的で、西国外様大名を中心に勢力削減に尽力。一国一城令を出し、多くの城が破却されました。1611年八代周辺を治めていた加藤清正が死去、翌年忠広による遺領相続が正式に決定された時、麦島(八代)城以外は破却されました。なぜ麦島城が残ったかといえば、薩摩を支配した島津氏の脅威があったためで、島津氏への牽制の意味があり存続したのです。
地震により崩壊した麦島城の対岸に1622年加藤忠広により新しい城(八代城)が築かれました(写真は八代宮、八代城)。 #八代 #八代城 #熊本 #加藤清正
マーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ」は南部アトランタを主な舞台に奴隷制度が存在していた時代の南北戦争を生き生きと描いた傑作ですが、本書を読みその背景がよくわかりました。 #中條献 #アメリカ史とレイシズム #岩波新書 #人種 #奴隷制度 #南北戦争 #アトランタ #風と共に去りぬ #マーガレット・ミッチェル #黒人差別
マーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ」は南部アトランタを主な舞台に奴隷制度が存在していた時代の南北戦争を生き生きと描いた傑作ですが、本書を読みその背景がよくわかりました。 #中條献 #アメリカ史とレイシズム #岩波新書 #人種 #奴隷制度 #南北戦争 #アトランタ #風と共に去りぬ #マーガレット・ミッチェル #黒人差別
元治元年(1864)6月5日、長州藩士らが池田屋に集結しているところに新選組が斬りこみました。ご褒美として新選組は幕府から五百両を拝領。羽振りが良くなった新選組隊士は、赤地に「誠」の旗、白山形の浅黄色の羽織を着て角屋に出かける等京都の街で豪遊しましたが、地元の人々は粗暴な振る舞いを嫌悪し、「壬生浪」と呼びました。 #京都 #新選組 #壬生寺 #八木邸
天武天皇や妻だった持統天皇の後継者が次々に若死にしたことから、理想の皇太子像をつくりだす必要があって聖徳太子伝説が生まれた、ということです。古代史へのロマンを掻き立てる、刺激的な本でした。 #谷沢永一 #聖徳太子はいなかった #新潮新書 #天武天皇 #持統天皇 #古代史
クマ出没続く岩手 盛岡の県立博物館で緊急生態展 生態と対策を学ぶ|岩手日報 www.iwate-np.co.jp/article/2025...
クマ出没続く岩手 盛岡の県立博物館で緊急生態展 生態と対策を学ぶ|岩手日報 www.iwate-np.co.jp/article/2025...
角屋は開設当初から連綿と建物を維持。江戸時代の饗宴を伝える揚屋建築の唯一の遺構として1952年国の重要文化財に指定されています。 #京都 #角屋 #揚屋 #島原
五高で同僚だったのが「ばけばけ」のモデル小泉八雲で、八雲は秋月を「神様のような人」と讃えました。さまざまな困難を切り抜けてきた人物ですが、周囲を明るくする好人物だったようです。本書はそんな秋月を活写した優れた評伝です(写真は小泉八雲熊本旧居)。 #松本健一 #秋月悌次郎 #老日本の面影 #中公文庫 #会津藩 #小泉八雲 #熊本 #ばけばけ
林芙美子記念館は1951年、『放浪記』『浮雲』などの著作で知られる芙美子が亡くなるまで住んでいた家で、山口文象が設計しました。約300坪の敷地に見事な数寄屋造りの建物と豊かな庭木が魅力的な心和むスポットです。 #北区立中央図書館 #赤レンガ #新宿区 #林芙美子記念館 #山口文象 #数寄屋造り
ガウディは晩年故郷のことばカタルーニャ語に固執し、スペイン語(カステーリャ語)を話さなかったということで、頑固な一面があったようです。 #田澤耕 #ガウディ伝 #バルセロナ #サグラダファミリア教会 #カサ・ミラ #カタルーニャ #スペイン
元々山陽は広島藩に仕えていましたが、脱藩して京都に移り住み、多くの文人や学者と交際しながら書斎で『日本外史』を書き上げました。『日本外史』は長州藩の木戸孝允(桂小五郎)や伊藤博文など幕末期に尊皇攘夷運動を展開した多くの志士たちに影響を与えました。 #京都 #頼山陽 #山紫水明処 #広島藩 #尊皇攘夷 #木戸孝允 #日本外史 #伊藤博文 #長州藩 #鴨川
中井は誰にでもわかりやすい平易な言葉を使用しました。『分裂病と人類』ではすべての人に統合失調症を発症し得る可能性があると語り、精神疾患に対する偏見を取り除こうとしました。本書を読み、中井が卓越した知性の持ち主だったと改めて思いました。 #斎藤環 #中井久夫 #ǸHK出版 #100分de名著 #分裂病と人類 #統合失調症 #精神疾患 #精神科医 #心の病
平家の台頭から平清盛の強力な完成までは、京都の誕生と軌を一にしていて、平家に代表される武士の登場によって京都が完成に動きはじめた、と著者は説きます。実に説得力ある論考で、京都を再発見した思いでした。名著だと思いました(写真は幕末期に坂本龍馬と深い関係があった、京都にある船宿・寺田屋)。 #桃崎有一郎 #京都 #武士が造った戦乱の都 #文春新書 #平家 #平清盛 #坂本龍馬 #寺田屋 #船宿 #天皇
近くにはかつて土佐藩邸や伏見奉行所(写真)がありました。龍馬は明治維新をみることなく亡くなりますが、戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)の際は幕府軍は伏見奉行所に本陣を置き、薩摩や長州の軍と戦いました。そういった時代の息吹を感じ取ることができました。 #京都 #伏見 #伏見奉行所 #坂本龍馬 #戊辰戦争 #月桂冠 #黄桜
アムステルダムでは『アンネの日記』で知られるアンネ・フランク一家がナチスドイツから逃れて「アムステルダム南」という集合住宅に暮らしました。アンネはナチスに捕らえられ亡くなりました。現在近くにはアンネ像が建っています。ヨーロッパの集合住宅の多くが現存しているのに対し、日本の「同潤会アパート」がすべてなくなったのは残念です。 #松葉一清 #集合住宅 #アンネの日記
谷川健一も水俣の生まれです。東大卒業後平凡社に入社し、雑誌『太陽』の創刊編集長として辣腕を振るい、『風土記日本』などの著作を残し、地名研究を中心に民俗学者としても活躍しました。健一の弟谷川雁は詩人・評論家として有名です。サークル村という炭鉱労働者の文学運動を展開。その運動に参加したのが水俣病の悲劇を文学で表現した石牟礼道子でした。 #徳富蘇峰 #水俣 #徳富蘆花 #谷川健一 #谷川雁 #石牟礼道子 #水俣病
国民が一丸になって戦争に突入してゆく昭和時代前期の世相が、よくわかりました。本書を読んで、二度とこういうことがあってはならない、と改めて思いました。名著です。 #川田稔 #永田鉄山の総力戦 #文春新書 #昭和時代 #統制派 #皇道派 #陸軍 #満州事変 #美濃部達吉 #天皇機関説
水俣病資料館(写真)は水俣病の歴史と現状を伝えるとともに、貴重な資料が散逸しないようにと1994年1月にオープンしました。受付の近くにシアタールームがあり、水俣病の歴史を伝えるビデオを観ました。漁業と共に生きていた水俣の人々がどのように苦しんできて、今も苦しんでいるか、よくわかる内容でした。 #水俣 #熊本県 #水俣病 #不知火海
本書は西京に住んでいた神人の千年の歴史を振り返る試みで、現代まで京都に脈々と受け継がれている人々の息遣いが伝わってきます。中世という時代を生き生きと伝えている名著だと思います(写真は京都にある東寺)。 #三枝暁子 #日本中世の民衆世界 #西京神人の千年 #岩波新書 #京都 #北野天満宮 #菅原道真 #平安京 #大宰府