でも遅くとも春秋戦国期までにはなんかやってそうな気がしますよね。
田中先生のポストを見て想起したのは横山光輝版『水滸伝』に酔った宋江が気持ちよく料亭の白壁に詩を墨書する場面があって(その詩句を悪用されて山賊となり梁山に行く運命をたどる),詩歌はなにも紙に表現したり口吟するばかりにあらずで,詩歌は書として装飾やデザインの素材としても在ったんだろうな,と.
だから他とサイズの異なる歌木簡や人麻呂歌集略体歌なんかも装飾素材で歌木簡は卓上のパーテーションじゃないか?などと思ったりするのだけど,
いかんせん
論文に仕立てるすべがない.
田中先生のポストを見て想起したのは横山光輝版『水滸伝』に酔った宋江が気持ちよく料亭の白壁に詩を墨書する場面があって(その詩句を悪用されて山賊となり梁山に行く運命をたどる),詩歌はなにも紙に表現したり口吟するばかりにあらずで,詩歌は書として装飾やデザインの素材としても在ったんだろうな,と.
だから他とサイズの異なる歌木簡や人麻呂歌集略体歌なんかも装飾素材で歌木簡は卓上のパーテーションじゃないか?などと思ったりするのだけど,
いかんせん
論文に仕立てるすべがない.
田中先生のポストを見て想起したのは横山光輝版『水滸伝』に酔った宋江が気持ちよく料亭の白壁に詩を墨書する場面があって(その詩句を悪用されて山賊となり梁山に行く運命をたどる),詩歌はなにも紙に表現したり口吟するばかりにあらずで,詩歌は書として装飾やデザインの素材としても在ったんだろうな,と.
だから他とサイズの異なる歌木簡や人麻呂歌集略体歌なんかも装飾素材で歌木簡は卓上のパーテーションじゃないか?などと思ったりするのだけど,
いかんせん
論文に仕立てるすべがない.