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「ベートーヴェンの生涯」という題名ではあるが、時系列に沿って書かれた伝記という訳ではない(そういう側面もなくはないが)。彼の人間関係や彼にまつわる出来事から、彼が作曲する際の思いをあぶり出した本、とでも言おうか。
私はこの本を再読し、色々なベートーヴェンの音楽を、改めて聞き返したくなった。学術的な意味では、もっと優れたベートーヴェン研究書は色々あるが、彼の音楽を愛する者の原点とも言える1冊である。
「ベートーヴェンの生涯」という題名ではあるが、時系列に沿って書かれた伝記という訳ではない(そういう側面もなくはないが)。彼の人間関係や彼にまつわる出来事から、彼が作曲する際の思いをあぶり出した本、とでも言おうか。
私はこの本を再読し、色々なベートーヴェンの音楽を、改めて聞き返したくなった。学術的な意味では、もっと優れたベートーヴェン研究書は色々あるが、彼の音楽を愛する者の原点とも言える1冊である。
まず5月には、ドヴォルザークのチェロ協奏曲とチャイコフスキーの交響曲第四番。8月にはシベリウスのヴァイオリン協奏曲。そして9月にはブルックナーの交響曲第四番。どれも大好きな曲です。
地元にオーケストラがあっても、必ずしも好きな曲ばかりやる訳ではないのですが、来年は楽しみが多そう。
実演未聴の曲で今後是非聴きたいのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ドビュッシーの「夜想曲」、レスピーギの「ローマ三部作」辺り。実演で聴けば、凄く面白い曲ばかりだと思うのです。
まず5月には、ドヴォルザークのチェロ協奏曲とチャイコフスキーの交響曲第四番。8月にはシベリウスのヴァイオリン協奏曲。そして9月にはブルックナーの交響曲第四番。どれも大好きな曲です。
地元にオーケストラがあっても、必ずしも好きな曲ばかりやる訳ではないのですが、来年は楽しみが多そう。
実演未聴の曲で今後是非聴きたいのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ドビュッシーの「夜想曲」、レスピーギの「ローマ三部作」辺り。実演で聴けば、凄く面白い曲ばかりだと思うのです。
こういうのを聴いた翌日には、マーラーとかストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフを聴いていたりするのですが(笑)。
youtu.be/8th9vBBmBCw?...
こういうのを聴いた翌日には、マーラーとかストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフを聴いていたりするのですが(笑)。
youtu.be/8th9vBBmBCw?...
そもそも調性というのは、別に発明されたものではなく、「人間の耳に快い響きを追求したら、調性のある音楽に行き着いた」のです。これは物理的、生理的に基盤があることです(倍音列)。数学や物理の公理と同じです。
それをただ「新しいから」という理由で無視したら、訳の分からない音の羅列になって当然。人間の耳は、生理的に(オクターブ内の)12の音を平等に聞くことはできません。
畢竟、12音技法は人間の自然な知覚と対立するのです。一般人が理解できなくて当然と言えましょう。
そもそも調性というのは、別に発明されたものではなく、「人間の耳に快い響きを追求したら、調性のある音楽に行き着いた」のです。これは物理的、生理的に基盤があることです(倍音列)。数学や物理の公理と同じです。
それをただ「新しいから」という理由で無視したら、訳の分からない音の羅列になって当然。人間の耳は、生理的に(オクターブ内の)12の音を平等に聞くことはできません。
畢竟、12音技法は人間の自然な知覚と対立するのです。一般人が理解できなくて当然と言えましょう。
これらのインターネットメディアは、マスメディアでは取り上げられないような、「最大多数の外、でも面白い」ものに出会えるのが長所だったのに、今やマスメディアと同じになってしまった感。
利益を追求すると、そうなってしまうものなのでしょうか。そういうメディアに浸っていると、自分まで毒されそうなので、私は大人しく本でも読んでいます(笑)。本(特に古典)は、バズもインプレも無関係な、フェアで静かなメディアなので。
これらのインターネットメディアは、マスメディアでは取り上げられないような、「最大多数の外、でも面白い」ものに出会えるのが長所だったのに、今やマスメディアと同じになってしまった感。
利益を追求すると、そうなってしまうものなのでしょうか。そういうメディアに浸っていると、自分まで毒されそうなので、私は大人しく本でも読んでいます(笑)。本(特に古典)は、バズもインプレも無関係な、フェアで静かなメディアなので。
私の動画はそんなにコメントがつかないので、できるだけ頭を捻って、AIの文面(自動で二例表示される。余計なお世話も甚だしい)とは違う、人間にしか書けない要素を盛り込むようにしています。
私はAI肯定派ですが、こういうところまでAIに任せるのは、人間としての感性を鈍らせるように感じます。それに、お礼はやはり感謝の想いを込めて書きたいものです。そこを面倒くさがるのは、人間としていかがなものかと思います。
私の動画はそんなにコメントがつかないので、できるだけ頭を捻って、AIの文面(自動で二例表示される。余計なお世話も甚だしい)とは違う、人間にしか書けない要素を盛り込むようにしています。
私はAI肯定派ですが、こういうところまでAIに任せるのは、人間としての感性を鈍らせるように感じます。それに、お礼はやはり感謝の想いを込めて書きたいものです。そこを面倒くさがるのは、人間としていかがなものかと思います。
理由は簡単で、「批判目的で引用する人が多すぎる」からのような気がします。当人同士で喧嘩する分には勝手にやってくれればいいのですが、批判目的の引用って、タイムラインに流れてくると、もうそれだけで「見苦しい」のです。
更に見苦しいのは「画面写真を使った引用で批判」。相手の見えない場所から石を投げているように見え、もう見苦しいの一言。
わたしは、引用は「相手に賛同するとき」にしかしません。それが、引用の一番平和な使い方だと思います。
理由は簡単で、「批判目的で引用する人が多すぎる」からのような気がします。当人同士で喧嘩する分には勝手にやってくれればいいのですが、批判目的の引用って、タイムラインに流れてくると、もうそれだけで「見苦しい」のです。
更に見苦しいのは「画面写真を使った引用で批判」。相手の見えない場所から石を投げているように見え、もう見苦しいの一言。
わたしは、引用は「相手に賛同するとき」にしかしません。それが、引用の一番平和な使い方だと思います。
もしそうだとして、私はAI反対派の人を貶めたりするようなことは、決して書いていないつもりだが、そんなに自分と反対の意見は見たくないものなのだろうか。
私自身は、自分と正反対の意見には、自分には見えていない真理があると思って、非常に大事にしています。同じ立体を反対から見ると、違う形に見えるようなもので、自分と違う立場から物事を見るというのは、とても大事なことだと思うのです。
攻撃的な表現をしない人限定ですけどね。
もしそうだとして、私はAI反対派の人を貶めたりするようなことは、決して書いていないつもりだが、そんなに自分と反対の意見は見たくないものなのだろうか。
私自身は、自分と正反対の意見には、自分には見えていない真理があると思って、非常に大事にしています。同じ立体を反対から見ると、違う形に見えるようなもので、自分と違う立場から物事を見るというのは、とても大事なことだと思うのです。
攻撃的な表現をしない人限定ですけどね。
これは、Cloudflareの機能不全が原因のようで、他にも多くのサービスが影響を受けているようです。
その間は、本でも読みましょう。AIやSNSから離れて、じっくり音楽を聴きながら読書をする時間を大事にしなさいってことですよ(笑)。
これは、Cloudflareの機能不全が原因のようで、他にも多くのサービスが影響を受けているようです。
その間は、本でも読みましょう。AIやSNSから離れて、じっくり音楽を聴きながら読書をする時間を大事にしなさいってことですよ(笑)。
過去に横山光輝の漫画版を全部読んでおり、登場人物も展開も全部頭に入っているせいかも知れませんが、文章も非常に平易。現代の小説に通じる「ビジュアル重視の描写」で満ちています。まるで「読む映画」です。
そして横山三国志を彷彿とさせる場面が多数。例えば冒頭、劉備の母が劉備がお土産に持ち帰った茶を川に捨てる場面。調べると横山は吉川の三国志を下敷きにしたんだとか。
読みながら、横山三国志の絵が浮かびそうです。
過去に横山光輝の漫画版を全部読んでおり、登場人物も展開も全部頭に入っているせいかも知れませんが、文章も非常に平易。現代の小説に通じる「ビジュアル重視の描写」で満ちています。まるで「読む映画」です。
そして横山三国志を彷彿とさせる場面が多数。例えば冒頭、劉備の母が劉備がお土産に持ち帰った茶を川に捨てる場面。調べると横山は吉川の三国志を下敷きにしたんだとか。
読みながら、横山三国志の絵が浮かびそうです。
神奈川県の相模湖畔で、交通業界紙を発行している会社の社長が死体で見つかった。容疑者ではあるが、動機もなければアリバイも完璧なタクシー会社の専務、峰岡。しかし三原警部補は、峰岡の「完璧すぎる」アリバイに不審を抱く。鮎川哲也とは違った味わいのアリバイ崩しミステリー。
「点と線」に比べると、ミステリーとしては少し弱さを感じるし、特に犯人の動機が後付けで、人間ドラマとしての魅力はいまいちだと思った。しかし三原と鳥飼が協力し、少しずつ真相に迫る面白さは十分味わえ、昭和の警察小説の面白さを堪能できる佳作。
神奈川県の相模湖畔で、交通業界紙を発行している会社の社長が死体で見つかった。容疑者ではあるが、動機もなければアリバイも完璧なタクシー会社の専務、峰岡。しかし三原警部補は、峰岡の「完璧すぎる」アリバイに不審を抱く。鮎川哲也とは違った味わいのアリバイ崩しミステリー。
「点と線」に比べると、ミステリーとしては少し弱さを感じるし、特に犯人の動機が後付けで、人間ドラマとしての魅力はいまいちだと思った。しかし三原と鳥飼が協力し、少しずつ真相に迫る面白さは十分味わえ、昭和の警察小説の面白さを堪能できる佳作。
自分をブロックしている人のアカウントにマウスカーソルを載せると、プロフィールが表示されないので、ブロックされていることがすぐに分かります。関わったことが一度もない人にブロックされていると、こちらも良い気持ちはしません。
わたし自身は、ブロックは無用なトラブルを生む危険もあるので、ミュートで済ませています。ブロックしても相手に表示されるのでは、単に相手に悪い印象を与えるだけで、何のメリットもありませんから。
自分をブロックしている人のアカウントにマウスカーソルを載せると、プロフィールが表示されないので、ブロックされていることがすぐに分かります。関わったことが一度もない人にブロックされていると、こちらも良い気持ちはしません。
わたし自身は、ブロックは無用なトラブルを生む危険もあるので、ミュートで済ませています。ブロックしても相手に表示されるのでは、単に相手に悪い印象を与えるだけで、何のメリットもありませんから。
なんとなれば、「Tweet」とは「(鳥の)囀り」です。囀りなら、別に誰に届かなくても、好きなことを書いていればいいのです。が「Post」は「投稿」。つまり相手があることであり、「無差別拡散を前提にした、メディア的文章」化が、ますます進んだように感じます。
そしてインプレッション可視化により、投稿の数字が投稿者の評価に直結する。息苦しくなったものです。
なんとなれば、「Tweet」とは「(鳥の)囀り」です。囀りなら、別に誰に届かなくても、好きなことを書いていればいいのです。が「Post」は「投稿」。つまり相手があることであり、「無差別拡散を前提にした、メディア的文章」化が、ますます進んだように感じます。
そしてインプレッション可視化により、投稿の数字が投稿者の評価に直結する。息苦しくなったものです。
雪が降ると、いよいよチャイコフスキーの季節。大好きなヴァイオリン協奏曲ニ長調を聴きます。この曲は、昔からハイフェッツ&ライナーによる演奏が有名ですが、私にはこの演奏はちょっと味気なく感じ、好みではありません。なので諏訪内晶子とアシュケナージの演奏で。
実演を聞いた時、聴衆が第1楽章が終わった時点で拍手してしまい、若いロシアのヴァイオリニストが、それ以降やる気をなくしたのを今でも覚えています(笑)。
指揮者の小林研一郎は、後半のベートーヴェンの前に「拍手は全楽章終わってから」とお願いしてました。
youtu.be/fh0LaDWI2LA?...
雪が降ると、いよいよチャイコフスキーの季節。大好きなヴァイオリン協奏曲ニ長調を聴きます。この曲は、昔からハイフェッツ&ライナーによる演奏が有名ですが、私にはこの演奏はちょっと味気なく感じ、好みではありません。なので諏訪内晶子とアシュケナージの演奏で。
実演を聞いた時、聴衆が第1楽章が終わった時点で拍手してしまい、若いロシアのヴァイオリニストが、それ以降やる気をなくしたのを今でも覚えています(笑)。
指揮者の小林研一郎は、後半のベートーヴェンの前に「拍手は全楽章終わってから」とお願いしてました。
youtu.be/fh0LaDWI2LA?...
私は、物語を作るのももちろん好きですし、本を読んで感想を書くのも好きなのですが、曲想を色々と考えたり、自分なりに編曲のアイディアを練っている時が、やはり一番楽しいのです。
「創作」というと、主に物語制作(ゲーム、小説)で、入っても絵まで。音楽制作はなかなか入れてもらえないのですが(笑)、私にとっての創作は、やはり音楽です。
私は、物語を作るのももちろん好きですし、本を読んで感想を書くのも好きなのですが、曲想を色々と考えたり、自分なりに編曲のアイディアを練っている時が、やはり一番楽しいのです。
「創作」というと、主に物語制作(ゲーム、小説)で、入っても絵まで。音楽制作はなかなか入れてもらえないのですが(笑)、私にとっての創作は、やはり音楽です。
仕方ないので、近くの個人経営の八百屋などで買い物をした。古き佳き時代の雰囲気が久々に味わえ、たまにはそういう店で買うのも悪くないなと思いました。スーパーよりもお買い得なものが多いですし。
八百屋でも魚屋でも肉屋でも、そういう地域のお店は、地域住民が大事に育てたいですね。面倒だからとスーパーで済ませていたら、駅前にはイオンしかなくなってしまいますから。
仕方ないので、近くの個人経営の八百屋などで買い物をした。古き佳き時代の雰囲気が久々に味わえ、たまにはそういう店で買うのも悪くないなと思いました。スーパーよりもお買い得なものが多いですし。
八百屋でも魚屋でも肉屋でも、そういう地域のお店は、地域住民が大事に育てたいですね。面倒だからとスーパーで済ませていたら、駅前にはイオンしかなくなってしまいますから。
1作目と2作目は読了済みです。果たして、麗はプロ棋士になれるのでしょうか(なお麗は今奨励会初段。かなりの実力ですね)。
1作目と2作目は読了済みです。果たして、麗はプロ棋士になれるのでしょうか(なお麗は今奨励会初段。かなりの実力ですね)。
「うたいびと」はもっと話題になって良い素晴らしい物語ですし、この方は短編の切れ味も素晴らしいので、この作品にも期待です。
「うたいびと」はもっと話題になって良い素晴らしい物語ですし、この方は短編の切れ味も素晴らしいので、この作品にも期待です。
なお私は作品をプレイしようとするとき、作者さんのTwitterアカウントに飛び、もしブロックされていたらプレイを取りやめます。ブロックするということは、「お前になんかプレイしてほしくねーよ」ということでしょう。無理にプレイしたところで、どちらも幸せになれませんからね。
なお私は作品をプレイしようとするとき、作者さんのTwitterアカウントに飛び、もしブロックされていたらプレイを取りやめます。ブロックするということは、「お前になんかプレイしてほしくねーよ」ということでしょう。無理にプレイしたところで、どちらも幸せになれませんからね。
どの作品も、「幻想に逃げた人物が、現実に潰される」様子を書いており、ユーモアと悲劇のコントラストが味わえる点でも共通しているが、味わいは三作それぞれに異なる。特に「肖像画」における、チャルトコフの「貧乏→成功→狂気→破滅」というグラデーション描写には圧倒された。
ロシア文学としてはかなり読みやすい部類に入るため、いきなりトルストイやドストエフスキーはハードルが高いという人は、この辺りから手を出してみては。
どの作品も、「幻想に逃げた人物が、現実に潰される」様子を書いており、ユーモアと悲劇のコントラストが味わえる点でも共通しているが、味わいは三作それぞれに異なる。特に「肖像画」における、チャルトコフの「貧乏→成功→狂気→破滅」というグラデーション描写には圧倒された。
ロシア文学としてはかなり読みやすい部類に入るため、いきなりトルストイやドストエフスキーはハードルが高いという人は、この辺りから手を出してみては。
表題作「架空の球を追う」は、小学生の野球チームの監督が、選手たちを指導する話。ユーモラスな中に温かみがあった。「銀座か、あるいは新宿か」は、道民からすると「知るか」という感じ(笑)。都会の女たちのかまびすしさと侘しさが感じられ、現代のサガン風味?
「ハチの巣退治」は、星新一を思わせる皮肉なコメディ。最後の「彼らが失ったものと失わなかったもの」は、ささやかな日常ドラマながら、読後に強い余韻が感じられ、ラストを締めくくるにふさわしい作品だった。
表題作「架空の球を追う」は、小学生の野球チームの監督が、選手たちを指導する話。ユーモラスな中に温かみがあった。「銀座か、あるいは新宿か」は、道民からすると「知るか」という感じ(笑)。都会の女たちのかまびすしさと侘しさが感じられ、現代のサガン風味?
「ハチの巣退治」は、星新一を思わせる皮肉なコメディ。最後の「彼らが失ったものと失わなかったもの」は、ささやかな日常ドラマながら、読後に強い余韻が感じられ、ラストを締めくくるにふさわしい作品だった。
私は、自分と正反対の意見には、同じ立体を反対方向から見ているのにも似て、むしろ自分には見えていない真実の一端があるのでは、とすら思います。
無論、反対意見を無条件で受け入れたりはしませんが(クリスチャンの私に、無神論を受け入れろといわれても、それは承服しかねる)、そういう視点を持つことで、視野がより広がるのではないでしょうか?
私は、自分と正反対の意見には、同じ立体を反対方向から見ているのにも似て、むしろ自分には見えていない真実の一端があるのでは、とすら思います。
無論、反対意見を無条件で受け入れたりはしませんが(クリスチャンの私に、無神論を受け入れろといわれても、それは承服しかねる)、そういう視点を持つことで、視野がより広がるのではないでしょうか?
日本の教会でこれを採用しているところは少ないですが、救世軍歌集に「こははらからを」として入っています。
「こは同胞(はらから)を滅びより 救わんためのいくさなり
引くな進めよ救世軍 進め進め」
という歌詞が、完全に軍歌です(救世軍では、讃美歌を「軍歌」と言います)。名取裕子主演の映画「吉原炎上」で、救世軍がこの歌を歌いながら吉原(遊郭)を行進しています。
youtu.be/_Ic4w_UEpCQ?...
日本の教会でこれを採用しているところは少ないですが、救世軍歌集に「こははらからを」として入っています。
「こは同胞(はらから)を滅びより 救わんためのいくさなり
引くな進めよ救世軍 進め進め」
という歌詞が、完全に軍歌です(救世軍では、讃美歌を「軍歌」と言います)。名取裕子主演の映画「吉原炎上」で、救世軍がこの歌を歌いながら吉原(遊郭)を行進しています。
youtu.be/_Ic4w_UEpCQ?...
「右大臣実朝」は、鎌倉幕府の第3代将軍源実朝の生涯を、彼の部下であるとある武将の一人称で語る歴史小説。文章が「プルーストか!」と思えるほど長く(1ページの半分近く続く文章が頻出する)、現代文で書かれているはずのに、古文の物語を読んでいるかのような錯覚を覚えた。
「惜別」は、中国(清国)を代表する文豪、魯迅が文学を志すまでを、彼の仙台医専(現在の東北大学医学部)時代の友人の手記という形式で綴った物語。大変面白かった。私が読んだ太宰の物語の中では「津軽」と並んで、最も好きかも。
「右大臣実朝」は、鎌倉幕府の第3代将軍源実朝の生涯を、彼の部下であるとある武将の一人称で語る歴史小説。文章が「プルーストか!」と思えるほど長く(1ページの半分近く続く文章が頻出する)、現代文で書かれているはずのに、古文の物語を読んでいるかのような錯覚を覚えた。
「惜別」は、中国(清国)を代表する文豪、魯迅が文学を志すまでを、彼の仙台医専(現在の東北大学医学部)時代の友人の手記という形式で綴った物語。大変面白かった。私が読んだ太宰の物語の中では「津軽」と並んで、最も好きかも。
全編ブラックユーモアに満ち溢れており、何度も笑えた。登場する世界を、登場人物が本気で「すばらしい新世界」だと思っている様子が、とにかく滑稽。
滑稽なだけでなく笑った後に怖くなる。後半に登場するジョンは「無駄こそが人間だ。見かけの幸福じゃなく、不幸をこそ人間は求めるべきだ!」と叫ぶ。そんな言葉を、登場人物たちは最後まで理解できないのが、また皮肉っぽい。
全編ブラックユーモアに満ち溢れており、何度も笑えた。登場する世界を、登場人物が本気で「すばらしい新世界」だと思っている様子が、とにかく滑稽。
滑稽なだけでなく笑った後に怖くなる。後半に登場するジョンは「無駄こそが人間だ。見かけの幸福じゃなく、不幸をこそ人間は求めるべきだ!」と叫ぶ。そんな言葉を、登場人物たちは最後まで理解できないのが、また皮肉っぽい。