アトリエ花粉館
kafunkan.bsky.social
アトリエ花粉館
@kafunkan.bsky.social
尾道・しまなみ海道のほとりにある小さな出版社です。2025年春から出版事業を始めました。 https://atelierkafunkan.tumblr.com/
友よ、大地は貧しい。ほんのわずかな収獲を得んがためにも、われわれはたくさんの種子を蒔かねばならぬ。

ノヴァーリス『花粉』エピグラフ (前田敬作訳、現代思潮社、1970年)
June 2, 2025 at 3:30 AM
装画は千野エーさん、装丁は森裕昌さん www.instagram.com/mori_graphic... です
Login • Instagram
Welcome back to Instagram. Sign in to check out what your friends, family & interests have been capturing & sharing around the world.
https://www.instagram.com/mori_graphic_design_room/です
June 1, 2025 at 3:34 PM
Reposted by アトリエ花粉館
小原古邨展、ポスターにもある「踊る狐」はキャッチーでかわいいのだが、基本はリアリズム重視の古邨の動物絵の中ではめちゃ異端であることが展示を見るとわかる。急なファンタジー

「楽しそうなポーズの割には、その眼差しは真剣である」と解説にあったが、古邨もそんな眼差しで描いたのかもしれない
May 22, 2025 at 4:41 AM
戦後すぐに訪れた冷戦の開始・赤狩りの暴風のなかでヘーデは公然と人々の前に姿を現し自分がソ連のスパイであったことを告白、以降、「反共の闘士」として共産主義及びソ連に同調するあらゆる者に反対の声を挙げるにいたります。彼女はマッカーシー時代のイコンとなったのでした……。
May 20, 2025 at 3:24 AM
ヘーデは1929年にリヒャルト・ゾルゲと再会、ゾルゲから諜報活動にリクルートされます。やがて彼女はめきめきと頭角を表し、アメリカにおいてはエージェントと情報源からなるネットワークの一部となります。それ以降もアメリカ、フランスでGRUの情報とカネを運ぶクーリエとして活躍しますが、当時結婚していた夫とともにソ連から離反、絶縁します(夫との関係も破綻)。
May 20, 2025 at 3:24 AM
他方、「マルクス主義研究週間」の集合写真には、のちにスパイとなるもう一人の人物が写っていました。それがヘーデ・マッシングでした。

ユダヤ系ポーランド人の家庭で育った彼女は1910年代にウィーンで女優となりますが、オーストリア共産党創立者の一人ゲーアハルト・アイスラーと出会い、女優業のかたわら党活動に接触していきます。その後アイスラーと別れ、非党員のマルクス主義者ジューリアン・グンペルツと交際を開始、そしてグンペルツとともに「マルクス主義研究週間」に参加したのでした。
May 20, 2025 at 3:23 AM
彼はやがてモスクワ・マルクス=エンゲルス研究所からの招聘を受けてソ連に移住し、そこでコミンテルンの分析家として、次に諜報指導員として活動を開始。1929年にソ連軍事諜報部(GRU)に移籍して敵側において専門レベルの情報活動を行う要員として活躍するにいたります。

その後の日本での活動はよく知られているとおりです。アカデミックな訓練を経た彼の新聞論説や情報の的確さは、ナチからも重宝されたのでした。
May 20, 2025 at 3:23 AM
特筆すべきは本書収録のウーヴェ・ロスバッハ「社会研究とスパイ活動との関連について――リヒャルト・ゾルゲとヘーデ・マッシング」です。

もともとクルト・A・ゲルラハ(アーヘン工科大学経済学教授)の助手を務めていたリヒャルト・ゾルゲ(博士)は、ドイツ十一月革命を経てドイツ共産党(KPD)に入党しますが、師ゲルラハの遺志をついで社会研究所設立に協力します。
May 20, 2025 at 3:20 AM
著者ミヒャエル・ブックミラーをはじめ「マルクス主義研究週間100周年」展覧会のプロジェクトメンバーは、綿密な調査を重ね、この有名な集合写真に写っているメンバーほぼ全員を特定、参加者たちのその後の軌跡をたどります。
May 20, 2025 at 3:19 AM