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『マラン・シャイエン』翻訳クラファン発起人でした → https://greenfunding.jp/thousandsofbooks/projects/8089
なお、自由主義や反戦運動にまで治安維持法を適用することに対し、検事や警察内部からも立件困難という意見が出るほどだったが、日中戦争の拡大で総力戦体制の構築を急いだこと、1935年のコミンテルン第7回大会での反ファシズム統一戦線の方針が広がることを天皇制権力が恐れたため、弾圧に踏み切ったと言われる。
November 9, 2025 at 2:33 AM
また、以下の行為が政府より禁止されるとか。
未成年者への教育や啓蒙活動、子供向け製品の製作、教壇に立つこと、公的イベントの開催、軍で契約業務に就くこと(兵役は免除される訳ではない)、公的機関や国・地方自治体での勤務、公共入札への参加、選挙管理委員としての勤務、政府の財政支援の受取。つまり、様々な場面での「閉め出し」ですね。
November 8, 2025 at 1:28 PM
Liは第二次大戦中はアメリカに、大戦後は馴染みのあったチューリヒに1960年まで住んでいたが、当時、同性愛嫌悪の高まりと、同性愛者登録制度が導入されたため、香港を経て、カナダのバンクーバーに定住、1993年に亡くなった。そして、亡くなってから、親族がLiのアパートの片付けた際、多くの遺品をよく調べずにアパートのゴミ置場に捨てたものの、隣人が偶然それを見つけ、貴重な内容ではと考え、心当たりのある人を探すため、ネットに投稿。8年後に、学者でLGBT活動家のラルフ・ドーズによって投稿が発見され、親族から遺品を受け取ったことで、日の目を見ることになった。
November 7, 2025 at 2:18 PM
1935年にヒルシュフェルトがナチスの迫害でベルリンに戻れないままニースで亡くなり、また同年にLiの父と兄が急逝した後、Liの家族から中国へ帰国して家業の銀行業を継ぐよう説得したが、Liは拒否。さらにヒルシュフェルトが遺言でLiとギーゼを相続人に指定、Liに研究継続のための財産を残していた。そして、Liはナチスから逃れる際に、「性科学研究所」やヒルシュフェルトに関連する資料などを持ち出していた。

つづく↓
November 7, 2025 at 2:17 PM