鋳造のドライバーフードのエッジ部分に塗料の光沢の反射が読み取れるが、車体の傾斜部分は白く砂埃をかぶっていて、これが白黒写真なら光沢なのか砂埃かは判然としなくなるだろう。3ピースの鋳造デフカバーの表面に製造時にディスクサンダーで均した切削痕が残っている。このデフカバーの辺りの塗装には光沢の反射が顕著ではないので、一見すると艶消しのようにも見えるが、履帯の金属の地肌も特に光って見えている訳ではないので、一概には判断できない。
鋳造のドライバーフードのエッジ部分に塗料の光沢の反射が読み取れるが、車体の傾斜部分は白く砂埃をかぶっていて、これが白黒写真なら光沢なのか砂埃かは判然としなくなるだろう。3ピースの鋳造デフカバーの表面に製造時にディスクサンダーで均した切削痕が残っている。このデフカバーの辺りの塗装には光沢の反射が顕著ではないので、一見すると艶消しのようにも見えるが、履帯の金属の地肌も特に光って見えている訳ではないので、一概には判断できない。
そうした経緯によるカラーポジと同一カットの白黒ネガの紙焼きを比較するとフィルムによる明暗の再現力がよくわかる。ハーフトラックのRAL7021で塗装された車体はカラーポジでは黒く沈んでいるが白黒ネガではラティチュードの広さにより明暗が平均化して明るめのグレーで拾われている。
そうした経緯によるカラーポジと同一カットの白黒ネガの紙焼きを比較するとフィルムによる明暗の再現力がよくわかる。ハーフトラックのRAL7021で塗装された車体はカラーポジでは黒く沈んでいるが白黒ネガではラティチュードの広さにより明暗が平均化して明るめのグレーで拾われている。
遠景の畑の明るい部分は収穫前(or刈取り後)の麦畑だろうか。冬小麦は7−8月下旬が収穫期になるのでその頃になると麦畑は金色に変わる。
遠景の畑の明るい部分は収穫前(or刈取り後)の麦畑だろうか。冬小麦は7−8月下旬が収穫期になるのでその頃になると麦畑は金色に変わる。
車体側面に描かれる国籍マーク(バルケンクロイツ)がアンテナケースがあるために分割して描くところまではよくある話なのだが、ケースの角度に沿って下半分が斜めに傾いて描かれてるのが、そうなってしまった感があってちょっと面白い。
車体側面に描かれる国籍マーク(バルケンクロイツ)がアンテナケースがあるために分割して描くところまではよくある話なのだが、ケースの角度に沿って下半分が斜めに傾いて描かれてるのが、そうなってしまった感があってちょっと面白い。
ドイツ軍の戦車はIII号戦車E/F型。カラーフィルムなのでマフラーの熱サビの具合などよくわかる。車体の塗装はデュンケルグラウ(RAL7021)だが、完全な艶消しではなく3分ツヤ程度。砲塔後部の傾斜面と車体後部の傾斜が塗料の光沢で明るく見えている。これがモノクロ写真だと車体後部は光沢面と認識できずに「巻き上げた砂塵でバルケンクロイツが霞んでいる」というキャプションがつくのだろう。カラーだとRAL7021は黒に近いグレーに発色する。
ドイツ軍の戦車はIII号戦車E/F型。カラーフィルムなのでマフラーの熱サビの具合などよくわかる。車体の塗装はデュンケルグラウ(RAL7021)だが、完全な艶消しではなく3分ツヤ程度。砲塔後部の傾斜面と車体後部の傾斜が塗料の光沢で明るく見えている。これがモノクロ写真だと車体後部は光沢面と認識できずに「巻き上げた砂塵でバルケンクロイツが霞んでいる」というキャプションがつくのだろう。カラーだとRAL7021は黒に近いグレーに発色する。
カラーポジは光によるトーンの変化を拾うので写真に写る色調の変化が大きく、色の濃淡と光の反射の違いを識別しやすい。
カラーポジは光によるトーンの変化を拾うので写真に写る色調の変化が大きく、色の濃淡と光の反射の違いを識別しやすい。
天候が違うので単純な比較はできないものの、モノクロネガフィルムのラティチュードの広さがわかる。カラーポジフィルムのように反射の強い部分が白トビせず、砲塔防盾のバッスル上面の塗装の光沢も明るい色調の中にディテールを失うことなく描写されている。砲塔のエッジの反射もグレートーンに収まっている。
AFVモデリングで支配的な「艶消し塗装」がモノクロフィルムの描写に習慣づけられたものだということに気がつく。
天候が違うので単純な比較はできないものの、モノクロネガフィルムのラティチュードの広さがわかる。カラーポジフィルムのように反射の強い部分が白トビせず、砲塔防盾のバッスル上面の塗装の光沢も明るい色調の中にディテールを失うことなく描写されている。砲塔のエッジの反射もグレートーンに収まっている。
AFVモデリングで支配的な「艶消し塗装」がモノクロフィルムの描写に習慣づけられたものだということに気がつく。
1940年5月、フランス北部のアルデンヌ地方だろうか。オチキスH39を写したアグファのカラーポジフィルムには塗装の光沢が捉えられているが、これはカラーフィルムが記録する質感だと思う。モノクロで撮影してもこのようには光沢が写らない。ラティチュードが広いモノクロネガフィルムには明るい部分も白飛びせずにそこそこのディテールが写せる。
写真を読む意識も注意が必要だ。カラーの白トビは「反射」と認識するように習慣づけられているが、モノクロでは同じ部分も「塗装の褪色かうっすら砂埃を被った」と読み取ってしまう。
1940年5月、フランス北部のアルデンヌ地方だろうか。オチキスH39を写したアグファのカラーポジフィルムには塗装の光沢が捉えられているが、これはカラーフィルムが記録する質感だと思う。モノクロで撮影してもこのようには光沢が写らない。ラティチュードが広いモノクロネガフィルムには明るい部分も白飛びせずにそこそこのディテールが写せる。
写真を読む意識も注意が必要だ。カラーの白トビは「反射」と認識するように習慣づけられているが、モノクロでは同じ部分も「塗装の褪色かうっすら砂埃を被った」と読み取ってしまう。
オチキス戦車は単砲身の21口径37mm砲SA-18のH38型(タミヤのキットは長砲身33口径SA38のH39型)
フィヨルドの小さな船着場なのだろうか。水辺に続く道に並ぶ丸太小屋の屋根に草が生えている。これはノルウェイでは一般的なものだという。
写真:IWM( N 229)
オチキス戦車は単砲身の21口径37mm砲SA-18のH38型(タミヤのキットは長砲身33口径SA38のH39型)
フィヨルドの小さな船着場なのだろうか。水辺に続く道に並ぶ丸太小屋の屋根に草が生えている。これはノルウェイでは一般的なものだという。
写真:IWM( N 229)
奥の建物は塗り壁に窓を白く縁どるフランスの田舎でよく見かけるスタイル。3軒それぞれ似ているようで窓周りの意匠のルールが微妙に違ってたりの三者三様で面白い。
街路の縁石はオチキス戦車の辺りに排水の溝蓋があるのか、そこに向かって路面に勾配がつけられ、雨水に濡れている。
奥の建物は塗り壁に窓を白く縁どるフランスの田舎でよく見かけるスタイル。3軒それぞれ似ているようで窓周りの意匠のルールが微妙に違ってたりの三者三様で面白い。
街路の縁石はオチキス戦車の辺りに排水の溝蓋があるのか、そこに向かって路面に勾配がつけられ、雨水に濡れている。
ベッカーの改造車両のうち小数は工場に残されていたのかパリ解放時の写真でも時々見かける。左の建物にはロレーヌ十字の旗。その隣の店はレストランであろうか。そんなに繁盛はしなかったのか現在は青果店に変わっている。
ベッカーの改造車両のうち小数は工場に残されていたのかパリ解放時の写真でも時々見かける。左の建物にはロレーヌ十字の旗。その隣の店はレストランであろうか。そんなに繁盛はしなかったのか現在は青果店に変わっている。
牽引する車両には自由フランス軍(Forces Françaises Libre,FFL)のロレーヌ十字が描かれている。ジャンヌ・ダルクの象徴でもあり、アルザス・ロレーヌがドイツに併合された時代にも国土回復のシンボルだった。フランス開放に参加した自由フランス軍兵士の多くは海外の植民地出身で1944年までパリを見たことのなかったという。
牽引する車両には自由フランス軍(Forces Françaises Libre,FFL)のロレーヌ十字が描かれている。ジャンヌ・ダルクの象徴でもあり、アルザス・ロレーヌがドイツに併合された時代にも国土回復のシンボルだった。フランス開放に参加した自由フランス軍兵士の多くは海外の植民地出身で1944年までパリを見たことのなかったという。
少し鄙びた感じではあるがパリを思わせる街角。看板にConfiserie(キャンディ)Glaces(アイス)Patisserie(ケーキ)の文字が読み取れる。窓ガラスにはガラスの飛散対策でテープを蜘蛛の巣の形に貼っているのが面白い。
この街角は現在もほとんどそのままの店構えで残っている。この洋菓子店も戦後80年を過ぎても同じ姿で営業している。
少し鄙びた感じではあるがパリを思わせる街角。看板にConfiserie(キャンディ)Glaces(アイス)Patisserie(ケーキ)の文字が読み取れる。窓ガラスにはガラスの飛散対策でテープを蜘蛛の巣の形に貼っているのが面白い。
この街角は現在もほとんどそのままの店構えで残っている。この洋菓子店も戦後80年を過ぎても同じ姿で営業している。
手前の個体は車体右側面最後部下側のボスが削除されており、且つE9仕様では無いことから、ALCO製M36 1944年10月~12月生産車(フォード製M10A1車体)と推察。主砲はシングルバッフル型マズルブレーキとエバキュエーターを備えた戦後仕様のM3A1又はM3A2に換装。車体前面には前方機銃ソケットが追加されているようです。これらの車輛がその後、どうなったのかは不明です。屑鉄用として民間に払い下げられて解体されたのか、あるいは韓国軍に供与されたのかも知れません。
手前の個体は車体右側面最後部下側のボスが削除されており、且つE9仕様では無いことから、ALCO製M36 1944年10月~12月生産車(フォード製M10A1車体)と推察。主砲はシングルバッフル型マズルブレーキとエバキュエーターを備えた戦後仕様のM3A1又はM3A2に換装。車体前面には前方機銃ソケットが追加されているようです。これらの車輛がその後、どうなったのかは不明です。屑鉄用として民間に払い下げられて解体されたのか、あるいは韓国軍に供与されたのかも知れません。
投降したドイツ兵の後に見える電柱はドイツ国内でよく見かけるタイプ。
投降したドイツ兵の後に見える電柱はドイツ国内でよく見かけるタイプ。
トラスを組んだ送電用の鉄塔は現在もこのスタイルものが付近に点在する。建物は手前を増築したのか壁の仕上げが違っている。簡易なハーフティンバーとレンガ積みを組み合わせた工法がドイツとオランダの折衷様式になっているところに地域性が出ている。
その向こうに先日の写真に写っていたESSOのガスステーションがある。
トラスを組んだ送電用の鉄塔は現在もこのスタイルものが付近に点在する。建物は手前を増築したのか壁の仕上げが違っている。簡易なハーフティンバーとレンガ積みを組み合わせた工法がドイツとオランダの折衷様式になっているところに地域性が出ている。
その向こうに先日の写真に写っていたESSOのガスステーションがある。
周囲に何のシールドもなく、砲座の周りには他陣地との連絡と待避用の塹壕を掘っただけのお粗末なもので何とも切ない。
周囲に何のシールドもなく、砲座の周りには他陣地との連絡と待避用の塹壕を掘っただけのお粗末なもので何とも切ない。
スタンドにはアメリカ軍のM3ハーフトラックとジープ。街道を進む戦車隊の先頭はM36B1(M4A3車体)だろう。
道路脇に放置されているのはソ連製52-K 85mm高射砲 M1939。ドイツ軍がロシア戦線で鹵獲して使用していた。
スタンドにはアメリカ軍のM3ハーフトラックとジープ。街道を進む戦車隊の先頭はM36B1(M4A3車体)だろう。
道路脇に放置されているのはソ連製52-K 85mm高射砲 M1939。ドイツ軍がロシア戦線で鹵獲して使用していた。
デュレーン近郊で捕獲された「ドイツ軍のM5M1」とIII号突撃砲。
鹵獲したアメリカ軍のM5系戦車を自軍編成に組み込んで使用していたのだろう。自軍の誤射を避けるために車体側面にドイツ軍マークの鉄十字を描き込んでいるが、ノーマルな白縁付きバルケンクロイツではなく縁なしの黒い十字になっている。
道端で放棄されたIII号突撃砲は足回りのトラブルがあって牽引を試みたのか、Cクレビスが荷物ラックに引っ掛けてあったりジャッキが無造作に置かれている。転輪には履帯連結ピンのスペア。機銃弾薬箱など荷物の雑然とした様子がこの車両の最後の状況を想像させる。
デュレーン近郊で捕獲された「ドイツ軍のM5M1」とIII号突撃砲。
鹵獲したアメリカ軍のM5系戦車を自軍編成に組み込んで使用していたのだろう。自軍の誤射を避けるために車体側面にドイツ軍マークの鉄十字を描き込んでいるが、ノーマルな白縁付きバルケンクロイツではなく縁なしの黒い十字になっている。
道端で放棄されたIII号突撃砲は足回りのトラブルがあって牽引を試みたのか、Cクレビスが荷物ラックに引っ掛けてあったりジャッキが無造作に置かれている。転輪には履帯連結ピンのスペア。機銃弾薬箱など荷物の雑然とした様子がこの車両の最後の状況を想像させる。
アフリカ・チュニジアの戦いで得た情報を元にシチリアの防衛隊に周知すべく急ぎ印刷して配布したのだろう。
写真はBundesarchiv Bild 101I-567-1515-29の部分
アフリカ・チュニジアの戦いで得た情報を元にシチリアの防衛隊に周知すべく急ぎ印刷して配布したのだろう。
写真はBundesarchiv Bild 101I-567-1515-29の部分
坂道の下にはバリケードが見え、突撃砲は坂の途中の路地に隠れるためバックしているところか。坂道に合わせて揺動幅の大きいトーションバーサスペンションが効いている。こうした場所ではリーフスプリングサスペンションのIV号戦車よりIII号突撃砲の使い勝手が良かったことが伺える。
Bundesarchiv Bild 101I-567-1511-02
坂道の下にはバリケードが見え、突撃砲は坂の途中の路地に隠れるためバックしているところか。坂道に合わせて揺動幅の大きいトーションバーサスペンションが効いている。こうした場所ではリーフスプリングサスペンションのIV号戦車よりIII号突撃砲の使い勝手が良かったことが伺える。
Bundesarchiv Bild 101I-567-1511-02
背景に「FORD」の看板を掲げた5本の煙突が立っています。これはかつて工場の電力を自給していた発電所の煙突です。1926年頃に新しいリバー・ルージュ工場から電力供給を受けるようになったために発電所は稼働を終了し、1956年に解体されました。
背景に「FORD」の看板を掲げた5本の煙突が立っています。これはかつて工場の電力を自給していた発電所の煙突です。1926年頃に新しいリバー・ルージュ工場から電力供給を受けるようになったために発電所は稼働を終了し、1956年に解体されました。