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1日1ミリ。1944年7月28日。第4カナダ機甲師団第29偵察連隊(サウス・アルバータ連隊)のシャーマンV(M4A4)のオリジナルのカラーフィルム。コダクロームの色調だ。
鋳造のドライバーフードのエッジ部分に塗料の光沢の反射が読み取れるが、車体の傾斜部分は白く砂埃をかぶっていて、これが白黒写真なら光沢なのか砂埃かは判然としなくなるだろう。3ピースの鋳造デフカバーの表面に製造時にディスクサンダーで均した切削痕が残っている。このデフカバーの辺りの塗装には光沢の反射が顕著ではないので、一見すると艶消しのようにも見えるが、履帯の金属の地肌も特に光って見えている訳ではないので、一概には判断できない。
November 17, 2025 at 8:59 PM
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1日1ミリ。第二次大戦当時、ドイツではアグファーのカラーフィルムが個人で普段使いできるほど普及していて、前線でも個人のカメラで撮影した写真にはカラーフィルムのものが多い。しかしこれをプリントするには(ポジペーパーが普及していなかったため)カラーポジを白黒ネガにデュープしたものからプリントした白黒写真が配られたという。
そうした経緯によるカラーポジと同一カットの白黒ネガの紙焼きを比較するとフィルムによる明暗の再現力がよくわかる。ハーフトラックのRAL7021で塗装された車体はカラーポジでは黒く沈んでいるが白黒ネガではラティチュードの広さにより明暗が平均化して明るめのグレーで拾われている。
November 16, 2025 at 9:18 PM
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1日1ミリ。滝口コレクションのカラーフィルムから。1941年夏のロシア戦線。II号戦車の砲塔後部に描かれる髑髏マークの第18装甲師団。中隊ごとに白、黄色、赤と変わる縁取りは黄色だろうか(白ではない)晴天下、車体の塗装(RAL7021 DunkelGrau)は黒に近い発色に落ちている。砲塔後ろのヘルメットはブラックグリーンであろうから、これも背景に合わせた露出の関係で相対的に暗めに落ちているから、実物よりは黒く写っていると考えた方がいいかもしれない。
遠景の畑の明るい部分は収穫前(or刈取り後)の麦畑だろうか。冬小麦は7−8月下旬が収穫期になるのでその頃になると麦畑は金色に変わる。
November 15, 2025 at 9:19 PM
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1日1ミリ。滝口氏のフィルムコレクションから。1940年6月、フランスに侵攻するドイツ軍 第5戦車連隊のII号戦車C型。砲塔周りは塗装の光沢による反射が読み取れる、砂埃で白くなったフェンダー。エンジンデッキに積まれた木箱の上の迷彩布はテントの設営に使うツェルトバーンだろうか。塗装が剥がれたアルミの飯盒、キャンバス地のザック。カラーフィルムだと色と素材の情報量は飛躍的に増える。
車体側面に描かれる国籍マーク(バルケンクロイツ)がアンテナケースがあるために分割して描くところまではよくある話なのだが、ケースの角度に沿って下半分が斜めに傾いて描かれてるのが、そうなってしまった感があってちょっと面白い。
November 14, 2025 at 8:19 PM
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1日1ミリ。滝口氏が公開しているアグファのカラー写真コレクションから。1939年ポーランド戦役の1号戦車B型。RAL7021(Dunel Grau/PanzerGrey/ジャーマングレー)は現在のRALではブラックグレーと呼び替えられているので分かるようにほとんど黒に近いグレー。これが屋外の強い光の下ではミディアムグレー程度の色で見えるはずなのだが、アグファのカラーフィルムに写るRAL7021は黒に近い発色を示す。モノクロのネガフィルムに比べてラティチュードの狭いカラーポジの場合、明るい背景に露出を合わせると明度の低いRAL7021は実際の見た目よりも黒く落ちてしまうことによるものだ。
November 13, 2025 at 8:51 PM
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スケールエフェクトとは縮尺が小さくなるにつれて色の明度を上げで塗る必要があるという理論なのだが、これはオカルトだと考えている。 どこを探しても明快な筋立てで説明できる人間がいない。 定量化の試みもないわけではないが、艦船モデルのような大きな構造物を離れて眺める時に空気に霞んで白っぽく見える話くらいにしか説明ができない。 ちょっと前を見てみればすぐ分かる話だ。10メートル先で微笑む友人が明るく見えたりするとこがあっただろうか?
November 13, 2025 at 5:08 AM
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1日1ミリ。ヒューゴ イェーガーのカラーフィルムから。1940年5月15日、オランダがドイツに降伏した日の撮影。ユトレヒト郊外のレイスオールト(Rijsoord)
ドイツ軍の戦車はIII号戦車E/F型。カラーフィルムなのでマフラーの熱サビの具合などよくわかる。車体の塗装はデュンケルグラウ(RAL7021)だが、完全な艶消しではなく3分ツヤ程度。砲塔後部の傾斜面と車体後部の傾斜が塗料の光沢で明るく見えている。これがモノクロ写真だと車体後部は光沢面と認識できずに「巻き上げた砂塵でバルケンクロイツが霞んでいる」というキャプションがつくのだろう。カラーだとRAL7021は黒に近いグレーに発色する。
November 11, 2025 at 9:29 PM
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1日1ミリ。引き続きヒューゴ・イェーガーの写真から。1940年5月、ベルギー国境付近ソール=ル=シャトーで放棄されたフランス軍のB1 bis。車体側面の装甲をよく見るとオリーブグリーンとブラウンの2色迷彩が施されていることが微かに分かる。塗料は完全な艶消しではなく三分ツヤくらいだろうか。ハッチの周りには反射があり、車体側面全体が色被りしているように見えるのは塗料の反射によるものだろう。光沢のあるマフラーカバーのエッジ部分のトーンと同じだから、そのくらいのツヤがあるということだ。

カラーポジは光によるトーンの変化を拾うので写真に写る色調の変化が大きく、色の濃淡と光の反射の違いを識別しやすい。
November 10, 2025 at 9:34 PM
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1日1ミリ。昨日のカラー写真と同じオチキスH38/39 no.40824のモノクロ写真があった。道路脇にスタックした状態で時系列的にはこちらが先だろう。横の空き地に移動させた後にカラーで撮影している。
天候が違うので単純な比較はできないものの、モノクロネガフィルムのラティチュードの広さがわかる。カラーポジフィルムのように反射の強い部分が白トビせず、砲塔防盾のバッスル上面の塗装の光沢も明るい色調の中にディテールを失うことなく描写されている。砲塔のエッジの反射もグレートーンに収まっている。
AFVモデリングで支配的な「艶消し塗装」がモノクロフィルムの描写に習慣づけられたものだということに気がつく。
November 9, 2025 at 9:38 PM
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1日1ミリ。ドイツ人写真家ヒューゴ・イェーガー(Hugo Jaeger)が撮影したカラー写真。
1940年5月、フランス北部のアルデンヌ地方だろうか。オチキスH39を写したアグファのカラーポジフィルムには塗装の光沢が捉えられているが、これはカラーフィルムが記録する質感だと思う。モノクロで撮影してもこのようには光沢が写らない。ラティチュードが広いモノクロネガフィルムには明るい部分も白飛びせずにそこそこのディテールが写せる。

写真を読む意識も注意が必要だ。カラーの白トビは「反射」と認識するように習慣づけられているが、モノクロでは同じ部分も「塗装の褪色かうっすら砂埃を被った」と読み取ってしまう。
November 8, 2025 at 9:53 PM
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1日1ミリ。ドイツのノルウェイ進駐に対抗して送られた連合軍のオチキス軽戦車。イギリス兵と会話するフランス兵とポーランド軍(独立ポドハランライフル旅団)兵士。
オチキス戦車は単砲身の21口径37mm砲SA-18のH38型(タミヤのキットは長砲身33口径SA38のH39型)

フィヨルドの小さな船着場なのだろうか。水辺に続く道に並ぶ丸太小屋の屋根に草が生えている。これはノルウェイでは一般的なものだという。
写真:IWM( N 229)
November 7, 2025 at 9:12 PM
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1日1ミリ。1940年5月のフランス北部の街だろうか。放置されたフランス軍軽戦車、左はルノーR35、右はオチキスH39。フランス軍の軽戦車は2台一組で行動することが多かったのか、こうした写真をよく目にするのだが、ルノーとオチキスのバディは珍しい。迷彩パターンも全く違うことから、残存部隊で車両を寄せ集めた臨時編成なのかもしれない。
奥の建物は塗り壁に窓を白く縁どるフランスの田舎でよく見かけるスタイル。3軒それぞれ似ているようで窓周りの意匠のルールが微妙に違ってたりの三者三様で面白い。
街路の縁石はオチキス戦車の辺りに排水の溝蓋があるのか、そこに向かって路面に勾配がつけられ、雨水に濡れている。
November 6, 2025 at 9:35 PM
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1日1ミリ。1944年8月のパリ解放。17区のサントゥアン(Saint-Ouen)で自由フランス軍(FFl)に鹵獲されたドイツ軍の工兵用装甲車:Pionier Panzerwagen auf SPW S307(f)。元はフランス軍のソミュアMGCハーフトラックを1940年に接収してアルフレート・ベッカー少佐がパリの改造工場で装甲車に仕立てたもので、その多くはノルマンディ戦に投入されている。
ベッカーの改造車両のうち小数は工場に残されていたのかパリ解放時の写真でも時々見かける。左の建物にはロレーヌ十字の旗。その隣の店はレストランであろうか。そんなに繁盛はしなかったのか現在は青果店に変わっている。
November 5, 2025 at 9:17 PM
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1日1ミリ。1945年8月、パリ市内を牽引されるドイツ軍の火炎放射戦車 Pz.Kpfw.B2 (f) ( Bis 740 (f))。フランスのChar B1-bisを1940年にドイツ軍が鹵獲して火炎放射形に改造したもので後部に大きな装甲燃料タンクを装備している。
牽引する車両には自由フランス軍(Forces Françaises Libre,FFL)のロレーヌ十字が描かれている。ジャンヌ・ダルクの象徴でもあり、アルザス・ロレーヌがドイツに併合された時代にも国土回復のシンボルだった。フランス開放に参加した自由フランス軍兵士の多くは海外の植民地出身で1944年までパリを見たことのなかったという。
November 4, 2025 at 8:29 PM
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1日1ミリ。1940年5月17日、ベルギー国境から40kmほど進んだフランス北部の小さな街ギーズ(Guise) の街角。トランスミッションの故障で放置されたフランス第2戦車師団第8戦車大隊のB1-bis戦車260号車。
少し鄙びた感じではあるがパリを思わせる街角。看板にConfiserie(キャンディ)Glaces(アイス)Patisserie(ケーキ)の文字が読み取れる。窓ガラスにはガラスの飛散対策でテープを蜘蛛の巣の形に貼っているのが面白い。
この街角は現在もほとんどそのままの店構えで残っている。この洋菓子店も戦後80年を過ぎても同じ姿で営業している。
November 3, 2025 at 8:43 PM
朝鮮戦争休戦後、所沢兵器分廠に集積されているM36。1954年9月29日撮影。

手前の個体は車体右側面最後部下側のボスが削除されており、且つE9仕様では無いことから、ALCO製M36 1944年10月~12月生産車(フォード製M10A1車体)と推察。主砲はシングルバッフル型マズルブレーキとエバキュエーターを備えた戦後仕様のM3A1又はM3A2に換装。車体前面には前方機銃ソケットが追加されているようです。これらの車輛がその後、どうなったのかは不明です。屑鉄用として民間に払い下げられて解体されたのか、あるいは韓国軍に供与されたのかも知れません。
November 3, 2025 at 3:36 AM
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1日1ミリ。45年2月、シュリーファースミューレ(Schriefersmühle)のB57沿いのESSOのガソリンスタンドの近くと思われる。路上に放棄されたIII号突撃砲は砲塔天板のピルツ(簡易クレーン用台座)の数が三個から五個に増えた44年10月以降のアルケット社生産車。鋳造の防盾には何やら動物の顔らしきものが描かれている。エンジンデッキに荷物を積めるだけ積んで、戦闘室天板上に載ってる小さなバスケットは何を入れているのか。
投降したドイツ兵の後に見える電柱はドイツ国内でよく見かけるタイプ。
November 2, 2025 at 9:12 PM
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1日1ミリ。1945年2月、B57沿いのシュリーファースミューレ(Schriefersmühle)に到達したアメリカ軍部隊。車体前面に土嚢を積んだM36はフェンダーのヤレ具合など先日の写真と同一の車両。平原の中の離れ小島のような小さな集落を制圧して、次の目標地点の様子を探っているのか。
トラスを組んだ送電用の鉄塔は現在もこのスタイルものが付近に点在する。建物は手前を増築したのか壁の仕上げが違っている。簡易なハーフティンバーとレンガ積みを組み合わせた工法がドイツとオランダの折衷様式になっているところに地域性が出ている。
その向こうに先日の写真に写っていたESSOのガスステーションがある。
November 1, 2025 at 10:09 PM
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1日1ミリ。引き続きB57沿いの風景。平原に放置されたドイツ軍8.8cm PaK 43/3。ヤークトパンターに搭載する砲架をそのままコンクリートの台座に据えただけの簡易トーチカだったようだ。本来はドイツ国境地帯の防衛用にRegelbau677と言われる専用のコンクリート掩体を500基ほど作る予定だったらしいが殆どが完成せず、大半はこのような露座のトーチカとなってしまったようだ。
周囲に何のシールドもなく、砲座の周りには他陣地との連絡と待避用の塹壕を掘っただけのお粗末なもので何とも切ない。
October 31, 2025 at 9:43 PM
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1日1ミリ。1945年2月。ドイツ国内、メンヒェングラートバッハ(Mönchengladbach)に向かう街道(現在のアウトバーンB57)の並木が見える。靄の立ち込める平原に展開するアメリカ軍戦車部隊のM36とM8装甲車。M36は足回り、駆動輪のスプロケットが穴あきタイプ、VVSSサスペンションはリターンローラーアームが水平の比較的初期のタイプか。オープントップの砲塔には機銃周りにスリット付きのシールドが追加されている。(すみません M36のこと何もわからん)
October 30, 2025 at 9:14 PM
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1日1ミリ。1945年2月。ドイツ国内、アーヘンからメンヒェングラートバッハ(Mönchengladbach)に向かう街道(B57)沿いのガソリンスタンド。 サービスルームの壁にあるSTANDARDとESSOのロゴからドイツアメリカン石油系列(DAPOLIN、Standard Gasolineを経て1938年からESSOブランド)であることがわかる。
スタンドにはアメリカ軍のM3ハーフトラックとジープ。街道を進む戦車隊の先頭はM36B1(M4A3車体)だろう。 
道路脇に放置されているのはソ連製52-K 85mm高射砲 M1939。ドイツ軍がロシア戦線で鹵獲して使用していた。
October 29, 2025 at 8:44 PM
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1日1ミリ。1945年2月。連合軍はドイツ国境を超える。
デュレーン近郊で捕獲された「ドイツ軍のM5M1」とIII号突撃砲。
鹵獲したアメリカ軍のM5系戦車を自軍編成に組み込んで使用していたのだろう。自軍の誤射を避けるために車体側面にドイツ軍マークの鉄十字を描き込んでいるが、ノーマルな白縁付きバルケンクロイツではなく縁なしの黒い十字になっている。
道端で放棄されたIII号突撃砲は足回りのトラブルがあって牽引を試みたのか、Cクレビスが荷物ラックに引っ掛けてあったりジャッキが無造作に置かれている。転輪には履帯連結ピンのスペア。機銃弾薬箱など荷物の雑然とした様子がこの車両の最後の状況を想像させる。
October 28, 2025 at 8:39 PM
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1日1ミリ。シチリア、アチリアーレの街で防衛線を張るドイツ軍降下猟兵部隊の7.5cm対戦車砲PAK40。防盾の内側に戦車の絵が貼られている。チャーチル、M3リー/グラント、M4シャーマン。敵の戦車の弱点を色分けしたもので、エッジが少しめくれていることから、ペイントや琺瑯プレートのようなパーマネントのものでなく紙に印刷されたシートだと推測できる。
アフリカ・チュニジアの戦いで得た情報を元にシチリアの防衛隊に周知すべく急ぎ印刷して配布したのだろう。
写真はBundesarchiv Bild 101I-567-1515-29の部分
October 27, 2025 at 8:55 PM
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1日1ミリ。1943年8月。シチリア島カターニアから撤退したドイツ軍がアチレアーレ(Acireale)で防衛ラインを張る。アチリアーレの大聖堂を望む坂道を横切るのはヘルマンゲーリング師団のIII号突撃砲F/8型。
坂道の下にはバリケードが見え、突撃砲は坂の途中の路地に隠れるためバックしているところか。坂道に合わせて揺動幅の大きいトーションバーサスペンションが効いている。こうした場所ではリーフスプリングサスペンションのIV号戦車よりIII号突撃砲の使い勝手が良かったことが伺える。
Bundesarchiv Bild 101I-567-1511-02
October 26, 2025 at 9:20 PM
1943年3月11日、フォード・ハイランドパーク工場で試験走行を行うM10A1。砲塔後部に楔型カウンターウェイトを装備。車体吊り上げリングはパッド無しの鋳造品(フォードはフィッシャーに比べ、パッド付きからパッド無しへの移行時期が早い)。前照灯プラグホルダーは車体前面と平行に設置(フォード製M10A1は生産終了まで平行設置?)。右奥にはM4A3も見えます。

背景に「FORD」の看板を掲げた5本の煙突が立っています。これはかつて工場の電力を自給していた発電所の煙突です。1926年頃に新しいリバー・ルージュ工場から電力供給を受けるようになったために発電所は稼働を終了し、1956年に解体されました。
October 26, 2025 at 6:26 AM