イカノボシ
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戦車のスクラップを平炉で溶かした際、シャフトの軸受に銀が使われていることが判明。銀は約10kg採れ、解体を発注した業者が「戦車解体記念に」と鍋に加工して得意先に配ったとのこと。米軍戦車の重要部品の軸受にはスウェーデンSKF社の部品が使用されていました。
November 5, 2025 at 10:08 AM
『日本人が築いてきたもの壊してきたもの』等の記述によると、1956年に2回(1回目が約200輌、2回目が約90輌)に渡って米軍戦車が民間に払い下げられ、所沢兵器廠で解体されました。当時の数枚の写真から、解体された戦車はM46パットンだったことが確認出来ます(M46と共に写っているのは解体業者の髙野静雄氏)。

1回目の200輌分の用途は不明ですが、2回目の90輌分のスクラップはトラックで東京製鐵千住工場に搬入され、平炉で溶かされて形鋼に加工。鉄不足の時代にあって米軍戦車の装甲材は良質なものだったことから、東京タワーの大展望台より上部の細い鉄骨(1000~1500トン程度)として使用されました。
November 3, 2025 at 3:50 AM
朝鮮戦争休戦後、所沢兵器分廠に集積されているM36。1954年9月29日撮影。

手前の個体は車体右側面最後部下側のボスが削除されており、且つE9仕様では無いことから、ALCO製M36 1944年10月~12月生産車(フォード製M10A1車体)と推察。主砲はシングルバッフル型マズルブレーキとエバキュエーターを備えた戦後仕様のM3A1又はM3A2に換装。車体前面には前方機銃ソケットが追加されているようです。これらの車輛がその後、どうなったのかは不明です。屑鉄用として民間に払い下げられて解体されたのか、あるいは韓国軍に供与されたのかも知れません。
November 3, 2025 at 3:36 AM
フォードは1943年9月にM4A3及びM10A1の生産から撤退。M10A1は直ちにフィッシャー、M4A3は1944年からフィッシャーとクライスラーに生産が移管され、フォードはエンジンと装甲板の生産を継続しました。

予算局戦争計画課が1943年8月に計上した推定単価によると、フォード製M4A3が64,500ドル、同M10A1が63,400ドルなのに対し、クライスラー製M4A3は39,370ドル、フィッシャー製M4A3は40,500ドル、同M10A1は33,682ドルとなっています。巨額の国費を投じて建設された戦車工廠を擁する2社に対し、フォードは生産コストの面で大きく水を開けられていました。
October 26, 2025 at 6:48 AM
1943年3月11日、フォード・ハイランドパーク工場で試験走行を行うM10A1。砲塔後部に楔型カウンターウェイトを装備。車体吊り上げリングはパッド無しの鋳造品(フォードはフィッシャーに比べ、パッド付きからパッド無しへの移行時期が早い)。前照灯プラグホルダーは車体前面と平行に設置(フォード製M10A1は生産終了まで平行設置?)。右奥にはM4A3も見えます。

背景に「FORD」の看板を掲げた5本の煙突が立っています。これはかつて工場の電力を自給していた発電所の煙突です。1926年頃に新しいリバー・ルージュ工場から電力供給を受けるようになったために発電所は稼働を終了し、1956年に解体されました。
October 26, 2025 at 6:26 AM
ライマ・ロコモーティブ製M4A1。1942年8月~9月頃の生産車。
同一車輛の別カットからライマ特有の4本脚(3本の細い板を溶接した構造)の後部ライトガードが確認出来ます。他社製シャーマンではM3型VVSSは直視バイザー付き車体に装備されているのが一般的ですが、ライマでは補助ペリスコープ付き車体へ移行後も使用しており、イタリア戦線の車輛でよく見られます。
October 22, 2025 at 7:11 AM
M3A1/M3A2砲はM26A1やM46と共通仕様だったのと、シングルバッフルのマズルブレーキはエバキュエーターと対になっていたからだと思います。
October 21, 2025 at 12:58 PM
現存するエバキュエーター付きのM36/M36B1を調べたところ、生産時期が判明している個体は、いずれも1944年10月以降に生産されたシリアル番号601以降の車輛でした。つまり、マズルブレーキ対応のM4A1砲架を搭載したとされる車輛です。M36B1にはS/N 601~787が割り当てられていますが、現存する7輌全てがエバキュエーターを装備しています。

以上のことから、M4砲架を搭載していたM36は、大戦後もM4A1砲架に交換されることは無かったことが示唆されます。そのため、主砲にエバキュエーターを装備したM36は、M4A1砲架を搭載していた後期生産車に限定されていたのでは無いかと思います。
October 19, 2025 at 11:45 AM
写真のM36の90mm砲はマズルブレーキとボア・エバキュエーターを装備していませんが、ガスポートは付いています。現存車輛の砲身はこの仕様が非常に多いです。

『IMAGES OF WAR M36/M36B1』に同仕様の砲身を持つM36の内部写真が掲載されています。フィッシャー製M10A1車体なので、初期に改修された300輌の内の1輌である可能性が高いと思います。主砲はガスポート付きのM3A1又はM3A2ですが、砲架は初期のM4のままで、平衡装置も装備していません。リコイルガードの内側にはカウンターウェイトが取り付けられていますが、これは生産時からのものなのか、後付けされたものなのかは不明です。
October 19, 2025 at 11:34 AM
改良型のM4A1砲架。シリアル番号601以降の車輛に搭載されたと云われています。俯仰機構と砲架トラベルロックを強化し、バネ式平衡装置を設置。足場は撤去。但し、1944年末までの生産車にはマズルブレーキが未装備だったため、平衡装置は砲架と接続されていない状態でした(1枚目)。この時期の生産車は先端の径が小さくなったネジ山保護リング付きの砲身を装備しているようです。

リコイルガードの内側にはカウンターウェイトが追加され、ロッドが無くなっています。砲塔側面上端部にはパッドを追加。

1945年生産のM36/M36B2にはようやくマズルブレーキが導入され、平衡装置が砲架に接続されました(2枚目)。
October 17, 2025 at 3:24 PM
T71/M36のM4砲架。シリアル番号1~600の車輛に搭載されたと云われています。砲架左側のバネ式平衡装置が未装備で、消火器の下に足場が設置されています。左右のリコイルガードの上部にはクランク型のロッドが溶接されています。主砲は生産当初はストレート型砲身でしたが、フィッシャーでの生産途中からマズルブレーキ取付用のネジ山が切られ、先端まで同径のネジ山保護リングが装着されたようです。

タミヤのM36(3枚目)はM4砲架を再現しています(足場は無し)。
October 17, 2025 at 3:21 PM
1945年5月、日本侵攻に備えてロサンゼルスで出荷を待つM36B2。

エンジンデッキ上に装備品を収納した木箱が積まれているため、M36との判別は難しいですが、右側手前から2番目の個体のボス基部が四角形(M10極初期生産車の仕様)であることから、M36B2と判断しました。M10A1のボス基部は生産当初から円形だったようです。車体右側面最後部下側のボスが削除されています。上側は見えませんが、撮影日からALCO製M36B2と推察します。

足回りはE9仕様。履帯は恐らくT74。T54E1に似ていますが、裏面がラバー製で、基本的に戦後から使用されたタイプのようです。大戦中の写真は極めて珍しいです。
October 15, 2025 at 8:36 AM
米英の戦車対ナチスのタイガー戦車の戦いが始まった。「スラッガー」が必要だった!

ALCOは「スラッガー」をクリスマス・イブまでに生産するだけでなく、大規模な機関車計画を完遂するという任務も請け負った。

1944年12月は連合軍にとって長く記憶に残る月となった。それはフォン・ルントシュテットが攻勢を仕掛けた、ドイツ軍の大反撃の月だった。それは天下分け目の「バルジ」の月だった。そしてALCOが最後の「スラッガー」を納品した月でもあった―—期日通りに。

写真はALCO製M36 1944年12月生産車
October 14, 2025 at 5:23 PM
「ナチスのタイガー戦車を手懐ける猛獣使い」

欧州でD-デイが過ぎた頃、ALCOは戦時下で最も困難な任務の一つを請け負った―—数百輌のM10A1戦車駆逐車を、米軍最強のタンクキラーへと大急ぎで改修する作業である。

この任務、すなわちM36戦車駆逐車(戦車兵達は「スラッガー」と呼んだ)の生産は1944年半ばに割り込んできた。当時、ALCOは政府の要請を受け、既に設備を転換し、戦時下で急務だった機関車の生産に大きく乗り出していた。連合軍は既にフランス沿岸に上陸していた。サン=ロー突破は目前に迫っていた。ジークフリート線への進撃が迫っていた。
October 14, 2025 at 5:23 PM
M36への改修作業のため、マッセイ・ハリスのラシーン工場に鉄道輸送されたM10A1。写真の6輌はいずれも車体と砲塔の側面にボスが付いており、砲塔後部に楔形のカウンターウェイトを装備していることから、フォード製M10A1であることが判ります。

ラシーン工場でのM10A1やM36の写真は数枚が公開されています。撮影時期は不明ですが、被写体の車輛の大部分はフォード製車体のようです。新しいフィッシャー製M10A1は早期に同社製T71/M36やライマ戦車補給廠でのM35への改修に回されたため、マッセイ・ハリスやALCOに供給されたM10A1は中古のフォード製車体が多数を占めていたものと推察します。
October 13, 2025 at 3:38 PM
600輌目以降のM36には、マズルブレーキ装着に必要な改良型の平衡装置、俯仰機構、砲架トラベルロックの3点全てが備わっていたとする一方で、ネジ切り加工が施された砲身の導入時期については言及されていません。

写真は1944年9月にフランスに到着した最初の40輌のM36の一部とされています(同10月の訓練時の撮影)。主砲は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身です。時期や車体の仕様から、1944年4月~7月にフィッシャーで改修されたT71/M36から抽出された車輛と推察します。つまり初期の300輌の段階で、一部の砲身にはマズルブレーキ装着に対応したネジ切り加工が施されていたことを示唆しています。
October 13, 2025 at 1:51 AM
M36のマズルブレーキに関して、ハニカット氏の『SHERMAN』には以下のように記述されています。

「マズルブレーキの追加には、新型の平衡装置、強化された俯仰機構、より頑丈な砲架トラベルロックが必要となった。最初の600輌以降にはこれら3点全てが装備されたが、最初の1400輌の砲架にはマズルブレーキが装備されていなかったため、平衡装置は接続されなかった。ただし、最初の600輌以降の車輌には必要な装備が全て備わっていたため、前線でマズルブレーキを後付けすることは可能であった。しかし、実際には膨大な工数が必要となるため実施されなかった」
October 13, 2025 at 1:51 AM
デフモデルのタミヤ M36用金属砲身3種類。

「初期型」はストレート砲身。主にフィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)が装備。フォード製M10A1ベースのT71試作車も使用。

「中期型1」は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身。フィッシャー製M10A1ベースのM36とフォード製M10A1ベースのM36が装備。

「中期型2」は先端の径が小さいネジ山保護リング付き砲身(恐らく「1」を軽量化した改良型)。主にフォード製M10A1ベースのM36とフィッシャー製M36B1が装備。フィッシャー製M10A1ベースのM36(マッセイ・ハリス又はALCOで改修された個体)でも使用例有り。
October 11, 2025 at 10:59 AM
M36系の制式な装甲屋根は上部ドアが前方に向けて開きますが、映像のM36B1の屋根は後方に向けて開いています。又、前方や側方の庇が無い簡素な構造で、左前部に機銃を追加しているため、その部分は覆われていないようです。

大戦中のM36は1944年12月生産車でも未だ屋根が付いていないので、制式な装甲屋根は1945年5月以降に生産されたM36/M36B2から(E9仕様のスペースドVVSSやマズルブレーキと共に)導入されたようです。それ以前に生産されたE9仕様では無いM36やM36B1にも設置されている例が有りますが、それらは恐らく大戦後に後付けされたものと推察します。
October 10, 2025 at 11:48 PM
第654戦車駆逐大隊所属のM36B1。1945年、ドイツ・テューリンゲン州タンバッハで撮影された米軍の記録映像。

登録番号40190913、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、14輌目に当たります。主砲にはハット型とも呼ばれる先端の径が小さくなったネジ山保護リング付き。M36では先端の径が異なる2種類のネジ山保護リングが確認出来ますが、M36B1は生産開始当初からハット型を装備していたようです。砲塔上部には現地製作らしき屋根が追加されています。防盾の照準孔の上には(同部隊のM36B1の有名な個体でも見られる)ハーケンクロイツのキルマークが5枚貼り付けられています。
October 10, 2025 at 8:21 AM
アバディーン試験場でのT71。車体側面に書かれた数字が「395」と読めるので、登録番号40177395、フィッシャー製1944年5月生産車と推察。側面ボスが廃止された車体、円筒型の前照灯ソケット、垂直に設置された前照灯プラグホルダー、大径のマーズ型サイレン、車体前面右上部に設置されたアンテナブラケットといったフィッシャー製T71/M36の特徴がよく判ります。

この個体のリターンローラーアームは水平型と斜め持ち上げ型が混在しています。元のM10A1車体は1944年1月にフィッシャーでT71用として(砲塔無しで)生産されているので、恐らくその頃に斜め持ち上げ型アームが導入されたものと推察します。
October 9, 2025 at 11:16 AM
『The Pacific』に登場したM4A2のレプリカに似ている気がするので、製造元が同じなのかも知れませんね。M4A2(76)W VVSSはソ連軍のみに供与されたので、10年ほど前にバレンツ海から引き揚げられた車輛以外は現存が確認されていない状態です。
October 8, 2025 at 8:10 AM
同じ場所での写真。手前のM36はフィッシャー製M10A1からの改修車。2番目はM36B1。3番目と4番目のM36はフォード製M10A1からの改修車(起動輪もフォード型?)。履帯は鋼製のT54E1が主体で、4番目のM36のみ平坦ラバーのT51を装着しています。
October 7, 2025 at 9:39 AM
第771戦車駆逐大隊所属のM36B1。1945年、ドイツ・バイエルン州オルテンブルクのマルクト広場で撮影。

M36B1の記録写真は少なく、戦地に送られた車輛で登録番号が読み取れるものはかなり貴重だと思います。登録番号40190927、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、28番目に当たる初期生産車。履帯は拡張エンドコネクター付きで、転輪は大径ハブの溶接スポーク型(クローズドスポーク型)。同時期のフィッシャー製シャーマンで、大径ハブのディッシュ型と共に一般的に使用された転輪です。前から5番目の転輪は小径ハブのプレススポーク型に交換されているようです。
October 7, 2025 at 7:34 AM
ALCO製M4の初期生産車。
車体上部後端が傾斜しており、エアクリーナーは円筒型。車体後部吊り上げリングはパッド付きの鋳造品。プルマン製M4も後端が傾斜した車体ですが、エアクリーナーは角型で、初期生産車で既にパッドの無い吊り上げリングを使用しています。砲塔はALCOで一般的に使用したゼネラル・スチール・キャスティング・エディストーン工場製で、ピストルポートの右下に「D50878 [GSCのロゴ] E」と鋳込まれています。同仕様の砲塔がフォート・ベニングに現存するALCO製M4 1943年4月生産車に搭載されています。
October 7, 2025 at 3:33 AM