1回目の200輌分の用途は不明ですが、2回目の90輌分のスクラップはトラックで東京製鐵千住工場に搬入され、平炉で溶かされて形鋼に加工。鉄不足の時代にあって米軍戦車の装甲材は良質なものだったことから、東京タワーの大展望台より上部の細い鉄骨(1000~1500トン程度)として使用されました。
1回目の200輌分の用途は不明ですが、2回目の90輌分のスクラップはトラックで東京製鐵千住工場に搬入され、平炉で溶かされて形鋼に加工。鉄不足の時代にあって米軍戦車の装甲材は良質なものだったことから、東京タワーの大展望台より上部の細い鉄骨(1000~1500トン程度)として使用されました。
手前の個体は車体右側面最後部下側のボスが削除されており、且つE9仕様では無いことから、ALCO製M36 1944年10月~12月生産車(フォード製M10A1車体)と推察。主砲はシングルバッフル型マズルブレーキとエバキュエーターを備えた戦後仕様のM3A1又はM3A2に換装。車体前面には前方機銃ソケットが追加されているようです。これらの車輛がその後、どうなったのかは不明です。屑鉄用として民間に払い下げられて解体されたのか、あるいは韓国軍に供与されたのかも知れません。
手前の個体は車体右側面最後部下側のボスが削除されており、且つE9仕様では無いことから、ALCO製M36 1944年10月~12月生産車(フォード製M10A1車体)と推察。主砲はシングルバッフル型マズルブレーキとエバキュエーターを備えた戦後仕様のM3A1又はM3A2に換装。車体前面には前方機銃ソケットが追加されているようです。これらの車輛がその後、どうなったのかは不明です。屑鉄用として民間に払い下げられて解体されたのか、あるいは韓国軍に供与されたのかも知れません。
予算局戦争計画課が1943年8月に計上した推定単価によると、フォード製M4A3が64,500ドル、同M10A1が63,400ドルなのに対し、クライスラー製M4A3は39,370ドル、フィッシャー製M4A3は40,500ドル、同M10A1は33,682ドルとなっています。巨額の国費を投じて建設された戦車工廠を擁する2社に対し、フォードは生産コストの面で大きく水を開けられていました。
予算局戦争計画課が1943年8月に計上した推定単価によると、フォード製M4A3が64,500ドル、同M10A1が63,400ドルなのに対し、クライスラー製M4A3は39,370ドル、フィッシャー製M4A3は40,500ドル、同M10A1は33,682ドルとなっています。巨額の国費を投じて建設された戦車工廠を擁する2社に対し、フォードは生産コストの面で大きく水を開けられていました。
背景に「FORD」の看板を掲げた5本の煙突が立っています。これはかつて工場の電力を自給していた発電所の煙突です。1926年頃に新しいリバー・ルージュ工場から電力供給を受けるようになったために発電所は稼働を終了し、1956年に解体されました。
背景に「FORD」の看板を掲げた5本の煙突が立っています。これはかつて工場の電力を自給していた発電所の煙突です。1926年頃に新しいリバー・ルージュ工場から電力供給を受けるようになったために発電所は稼働を終了し、1956年に解体されました。
同一車輛の別カットからライマ特有の4本脚(3本の細い板を溶接した構造)の後部ライトガードが確認出来ます。他社製シャーマンではM3型VVSSは直視バイザー付き車体に装備されているのが一般的ですが、ライマでは補助ペリスコープ付き車体へ移行後も使用しており、イタリア戦線の車輛でよく見られます。
同一車輛の別カットからライマ特有の4本脚(3本の細い板を溶接した構造)の後部ライトガードが確認出来ます。他社製シャーマンではM3型VVSSは直視バイザー付き車体に装備されているのが一般的ですが、ライマでは補助ペリスコープ付き車体へ移行後も使用しており、イタリア戦線の車輛でよく見られます。
以上のことから、M4砲架を搭載していたM36は、大戦後もM4A1砲架に交換されることは無かったことが示唆されます。そのため、主砲にエバキュエーターを装備したM36は、M4A1砲架を搭載していた後期生産車に限定されていたのでは無いかと思います。
以上のことから、M4砲架を搭載していたM36は、大戦後もM4A1砲架に交換されることは無かったことが示唆されます。そのため、主砲にエバキュエーターを装備したM36は、M4A1砲架を搭載していた後期生産車に限定されていたのでは無いかと思います。
『IMAGES OF WAR M36/M36B1』に同仕様の砲身を持つM36の内部写真が掲載されています。フィッシャー製M10A1車体なので、初期に改修された300輌の内の1輌である可能性が高いと思います。主砲はガスポート付きのM3A1又はM3A2ですが、砲架は初期のM4のままで、平衡装置も装備していません。リコイルガードの内側にはカウンターウェイトが取り付けられていますが、これは生産時からのものなのか、後付けされたものなのかは不明です。
『IMAGES OF WAR M36/M36B1』に同仕様の砲身を持つM36の内部写真が掲載されています。フィッシャー製M10A1車体なので、初期に改修された300輌の内の1輌である可能性が高いと思います。主砲はガスポート付きのM3A1又はM3A2ですが、砲架は初期のM4のままで、平衡装置も装備していません。リコイルガードの内側にはカウンターウェイトが取り付けられていますが、これは生産時からのものなのか、後付けされたものなのかは不明です。
リコイルガードの内側にはカウンターウェイトが追加され、ロッドが無くなっています。砲塔側面上端部にはパッドを追加。
1945年生産のM36/M36B2にはようやくマズルブレーキが導入され、平衡装置が砲架に接続されました(2枚目)。
リコイルガードの内側にはカウンターウェイトが追加され、ロッドが無くなっています。砲塔側面上端部にはパッドを追加。
1945年生産のM36/M36B2にはようやくマズルブレーキが導入され、平衡装置が砲架に接続されました(2枚目)。
タミヤのM36(3枚目)はM4砲架を再現しています(足場は無し)。
タミヤのM36(3枚目)はM4砲架を再現しています(足場は無し)。
エンジンデッキ上に装備品を収納した木箱が積まれているため、M36との判別は難しいですが、右側手前から2番目の個体のボス基部が四角形(M10極初期生産車の仕様)であることから、M36B2と判断しました。M10A1のボス基部は生産当初から円形だったようです。車体右側面最後部下側のボスが削除されています。上側は見えませんが、撮影日からALCO製M36B2と推察します。
足回りはE9仕様。履帯は恐らくT74。T54E1に似ていますが、裏面がラバー製で、基本的に戦後から使用されたタイプのようです。大戦中の写真は極めて珍しいです。
エンジンデッキ上に装備品を収納した木箱が積まれているため、M36との判別は難しいですが、右側手前から2番目の個体のボス基部が四角形(M10極初期生産車の仕様)であることから、M36B2と判断しました。M10A1のボス基部は生産当初から円形だったようです。車体右側面最後部下側のボスが削除されています。上側は見えませんが、撮影日からALCO製M36B2と推察します。
足回りはE9仕様。履帯は恐らくT74。T54E1に似ていますが、裏面がラバー製で、基本的に戦後から使用されたタイプのようです。大戦中の写真は極めて珍しいです。
ALCOは「スラッガー」をクリスマス・イブまでに生産するだけでなく、大規模な機関車計画を完遂するという任務も請け負った。
1944年12月は連合軍にとって長く記憶に残る月となった。それはフォン・ルントシュテットが攻勢を仕掛けた、ドイツ軍の大反撃の月だった。それは天下分け目の「バルジ」の月だった。そしてALCOが最後の「スラッガー」を納品した月でもあった―—期日通りに。
写真はALCO製M36 1944年12月生産車
ALCOは「スラッガー」をクリスマス・イブまでに生産するだけでなく、大規模な機関車計画を完遂するという任務も請け負った。
1944年12月は連合軍にとって長く記憶に残る月となった。それはフォン・ルントシュテットが攻勢を仕掛けた、ドイツ軍の大反撃の月だった。それは天下分け目の「バルジ」の月だった。そしてALCOが最後の「スラッガー」を納品した月でもあった―—期日通りに。
写真はALCO製M36 1944年12月生産車
欧州でD-デイが過ぎた頃、ALCOは戦時下で最も困難な任務の一つを請け負った―—数百輌のM10A1戦車駆逐車を、米軍最強のタンクキラーへと大急ぎで改修する作業である。
この任務、すなわちM36戦車駆逐車(戦車兵達は「スラッガー」と呼んだ)の生産は1944年半ばに割り込んできた。当時、ALCOは政府の要請を受け、既に設備を転換し、戦時下で急務だった機関車の生産に大きく乗り出していた。連合軍は既にフランス沿岸に上陸していた。サン=ロー突破は目前に迫っていた。ジークフリート線への進撃が迫っていた。
欧州でD-デイが過ぎた頃、ALCOは戦時下で最も困難な任務の一つを請け負った―—数百輌のM10A1戦車駆逐車を、米軍最強のタンクキラーへと大急ぎで改修する作業である。
この任務、すなわちM36戦車駆逐車(戦車兵達は「スラッガー」と呼んだ)の生産は1944年半ばに割り込んできた。当時、ALCOは政府の要請を受け、既に設備を転換し、戦時下で急務だった機関車の生産に大きく乗り出していた。連合軍は既にフランス沿岸に上陸していた。サン=ロー突破は目前に迫っていた。ジークフリート線への進撃が迫っていた。
ラシーン工場でのM10A1やM36の写真は数枚が公開されています。撮影時期は不明ですが、被写体の車輛の大部分はフォード製車体のようです。新しいフィッシャー製M10A1は早期に同社製T71/M36やライマ戦車補給廠でのM35への改修に回されたため、マッセイ・ハリスやALCOに供給されたM10A1は中古のフォード製車体が多数を占めていたものと推察します。
ラシーン工場でのM10A1やM36の写真は数枚が公開されています。撮影時期は不明ですが、被写体の車輛の大部分はフォード製車体のようです。新しいフィッシャー製M10A1は早期に同社製T71/M36やライマ戦車補給廠でのM35への改修に回されたため、マッセイ・ハリスやALCOに供給されたM10A1は中古のフォード製車体が多数を占めていたものと推察します。
写真は1944年9月にフランスに到着した最初の40輌のM36の一部とされています(同10月の訓練時の撮影)。主砲は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身です。時期や車体の仕様から、1944年4月~7月にフィッシャーで改修されたT71/M36から抽出された車輛と推察します。つまり初期の300輌の段階で、一部の砲身にはマズルブレーキ装着に対応したネジ切り加工が施されていたことを示唆しています。
写真は1944年9月にフランスに到着した最初の40輌のM36の一部とされています(同10月の訓練時の撮影)。主砲は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身です。時期や車体の仕様から、1944年4月~7月にフィッシャーで改修されたT71/M36から抽出された車輛と推察します。つまり初期の300輌の段階で、一部の砲身にはマズルブレーキ装着に対応したネジ切り加工が施されていたことを示唆しています。
「マズルブレーキの追加には、新型の平衡装置、強化された俯仰機構、より頑丈な砲架トラベルロックが必要となった。最初の600輌以降にはこれら3点全てが装備されたが、最初の1400輌の砲架にはマズルブレーキが装備されていなかったため、平衡装置は接続されなかった。ただし、最初の600輌以降の車輌には必要な装備が全て備わっていたため、前線でマズルブレーキを後付けすることは可能であった。しかし、実際には膨大な工数が必要となるため実施されなかった」
「マズルブレーキの追加には、新型の平衡装置、強化された俯仰機構、より頑丈な砲架トラベルロックが必要となった。最初の600輌以降にはこれら3点全てが装備されたが、最初の1400輌の砲架にはマズルブレーキが装備されていなかったため、平衡装置は接続されなかった。ただし、最初の600輌以降の車輌には必要な装備が全て備わっていたため、前線でマズルブレーキを後付けすることは可能であった。しかし、実際には膨大な工数が必要となるため実施されなかった」
「初期型」はストレート砲身。主にフィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)が装備。フォード製M10A1ベースのT71試作車も使用。
「中期型1」は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身。フィッシャー製M10A1ベースのM36とフォード製M10A1ベースのM36が装備。
「中期型2」は先端の径が小さいネジ山保護リング付き砲身(恐らく「1」を軽量化した改良型)。主にフォード製M10A1ベースのM36とフィッシャー製M36B1が装備。フィッシャー製M10A1ベースのM36(マッセイ・ハリス又はALCOで改修された個体)でも使用例有り。
「初期型」はストレート砲身。主にフィッシャー製T71/M36(同社製M10A1ベース)が装備。フォード製M10A1ベースのT71試作車も使用。
「中期型1」は先端まで同径のネジ山保護リング付き砲身。フィッシャー製M10A1ベースのM36とフォード製M10A1ベースのM36が装備。
「中期型2」は先端の径が小さいネジ山保護リング付き砲身(恐らく「1」を軽量化した改良型)。主にフォード製M10A1ベースのM36とフィッシャー製M36B1が装備。フィッシャー製M10A1ベースのM36(マッセイ・ハリス又はALCOで改修された個体)でも使用例有り。
大戦中のM36は1944年12月生産車でも未だ屋根が付いていないので、制式な装甲屋根は1945年5月以降に生産されたM36/M36B2から(E9仕様のスペースドVVSSやマズルブレーキと共に)導入されたようです。それ以前に生産されたE9仕様では無いM36やM36B1にも設置されている例が有りますが、それらは恐らく大戦後に後付けされたものと推察します。
大戦中のM36は1944年12月生産車でも未だ屋根が付いていないので、制式な装甲屋根は1945年5月以降に生産されたM36/M36B2から(E9仕様のスペースドVVSSやマズルブレーキと共に)導入されたようです。それ以前に生産されたE9仕様では無いM36やM36B1にも設置されている例が有りますが、それらは恐らく大戦後に後付けされたものと推察します。
登録番号40190913、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、14輌目に当たります。主砲にはハット型とも呼ばれる先端の径が小さくなったネジ山保護リング付き。M36では先端の径が異なる2種類のネジ山保護リングが確認出来ますが、M36B1は生産開始当初からハット型を装備していたようです。砲塔上部には現地製作らしき屋根が追加されています。防盾の照準孔の上には(同部隊のM36B1の有名な個体でも見られる)ハーケンクロイツのキルマークが5枚貼り付けられています。
登録番号40190913、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、14輌目に当たります。主砲にはハット型とも呼ばれる先端の径が小さくなったネジ山保護リング付き。M36では先端の径が異なる2種類のネジ山保護リングが確認出来ますが、M36B1は生産開始当初からハット型を装備していたようです。砲塔上部には現地製作らしき屋根が追加されています。防盾の照準孔の上には(同部隊のM36B1の有名な個体でも見られる)ハーケンクロイツのキルマークが5枚貼り付けられています。
この個体のリターンローラーアームは水平型と斜め持ち上げ型が混在しています。元のM10A1車体は1944年1月にフィッシャーでT71用として(砲塔無しで)生産されているので、恐らくその頃に斜め持ち上げ型アームが導入されたものと推察します。
この個体のリターンローラーアームは水平型と斜め持ち上げ型が混在しています。元のM10A1車体は1944年1月にフィッシャーでT71用として(砲塔無しで)生産されているので、恐らくその頃に斜め持ち上げ型アームが導入されたものと推察します。
M36B1の記録写真は少なく、戦地に送られた車輛で登録番号が読み取れるものはかなり貴重だと思います。登録番号40190927、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、28番目に当たる初期生産車。履帯は拡張エンドコネクター付きで、転輪は大径ハブの溶接スポーク型(クローズドスポーク型)。同時期のフィッシャー製シャーマンで、大径ハブのディッシュ型と共に一般的に使用された転輪です。前から5番目の転輪は小径ハブのプレススポーク型に交換されているようです。
M36B1の記録写真は少なく、戦地に送られた車輛で登録番号が読み取れるものはかなり貴重だと思います。登録番号40190927、フィッシャー製1944年10月生産車。全187輌中、28番目に当たる初期生産車。履帯は拡張エンドコネクター付きで、転輪は大径ハブの溶接スポーク型(クローズドスポーク型)。同時期のフィッシャー製シャーマンで、大径ハブのディッシュ型と共に一般的に使用された転輪です。前から5番目の転輪は小径ハブのプレススポーク型に交換されているようです。
車体上部後端が傾斜しており、エアクリーナーは円筒型。車体後部吊り上げリングはパッド付きの鋳造品。プルマン製M4も後端が傾斜した車体ですが、エアクリーナーは角型で、初期生産車で既にパッドの無い吊り上げリングを使用しています。砲塔はALCOで一般的に使用したゼネラル・スチール・キャスティング・エディストーン工場製で、ピストルポートの右下に「D50878 [GSCのロゴ] E」と鋳込まれています。同仕様の砲塔がフォート・ベニングに現存するALCO製M4 1943年4月生産車に搭載されています。
車体上部後端が傾斜しており、エアクリーナーは円筒型。車体後部吊り上げリングはパッド付きの鋳造品。プルマン製M4も後端が傾斜した車体ですが、エアクリーナーは角型で、初期生産車で既にパッドの無い吊り上げリングを使用しています。砲塔はALCOで一般的に使用したゼネラル・スチール・キャスティング・エディストーン工場製で、ピストルポートの右下に「D50878 [GSCのロゴ] E」と鋳込まれています。同仕様の砲塔がフォート・ベニングに現存するALCO製M4 1943年4月生産車に搭載されています。