『日本人が築いてきたもの壊してきたもの』等の記述によると、1956年に2回(1回目が約200輌、2回目が約90輌)に渡って米軍戦車が民間に払い下げられ、所沢兵器廠で解体されました。当時の数枚の写真から、解体された戦車はM46パットンだったことが確認出来ます(M46と共に写っているのは解体業者の髙野静雄氏)。
1回目の200輌分の用途は不明ですが、2回目の90輌分のスクラップはトラックで東京製鐵千住工場に搬入され、平炉で溶かされて形鋼に加工。鉄不足の時代にあって米軍戦車の装甲材は良質なものだったことから、東京タワーの大展望台より上部の細い鉄骨(1000~1500トン程度)として使用されました。
『日本人が築いてきたもの壊してきたもの』等の記述によると、1956年に2回(1回目が約200輌、2回目が約90輌)に渡って米軍戦車が民間に払い下げられ、所沢兵器廠で解体されました。当時の数枚の写真から、解体された戦車はM46パットンだったことが確認出来ます(M46と共に写っているのは解体業者の髙野静雄氏)。
1回目の200輌分の用途は不明ですが、2回目の90輌分のスクラップはトラックで東京製鐵千住工場に搬入され、平炉で溶かされて形鋼に加工。鉄不足の時代にあって米軍戦車の装甲材は良質なものだったことから、東京タワーの大展望台より上部の細い鉄骨(1000~1500トン程度)として使用されました。