まさ
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まさ
@careworker.bsky.social
哲学に関心のある介護職。
介護福祉士、介護支援専門員、社会福祉士。

Discordにて読書会「ケアとか倫理とか哲学とか」主宰/参加者随時募集中

高卒。哲学・倫理学の専門教育は受けていません。
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布団のなかで「なぜ私は布団から出て起きなければならないのか」という何度も問うた問いを問うている。
考えることと悩むことの違いについての覚書

考えることは、私と対象とが分離され、私と対象との間に距離がある。
これに対し悩むことは、その問題自体の引き受けがまず問題としてある。その引き受けが成されると、次に考えることが始まる。引き受けるのも嫌な問題だからこそ、それに悩むということは言えるのではないか。
また、悩むことは不要なもののように言われがちだが、引き受け難いものへの態度が深い部分で定まったとき、その人の存在の仕方は、それまでとは異なってくるのではないかと思う。
December 11, 2025 at 12:11 AM
フランクルは学び続けていきたいのはそうなんだけど、キューブラー=ロスの思想も学んでみたくて、人生を捉える視点を『ライフ・レッスン』から学びたい。同じ関心でユングの『人生の午後三時』というのも。どちらも若松さんのVoicyで知ったこと。
December 10, 2025 at 1:13 PM
愛についての覚書

愛は痛みを伴う。愛は自我を超えている。それが自我の中に入ってきたら、自我の殻はひび割れてしまう。しかし、自己の深い部分では、自我が割れてでも迎え入れるべきものであることを、なぜか知っているのだろう。自我はそれに驚く。不意に、「意」を超えた部分で働くそれに。
December 10, 2025 at 8:08 AM
感動についての覚書

愛や美に触れたとき、不意に涙し自分でも驚くようなことがある。これは超越的な何かに触れて、精神の深い部分が共鳴しているからだろう。精神の深い部分の共鳴に、自我は驚嘆する。自我は自己の一部しか知らない。「自己実現」なることは、自我が驚くようなこと実現であるだろう。
December 10, 2025 at 7:54 AM
「ケアの喜びを感じられているか?」
これはいま自分自身に問うべき重要で固有な課題であると感じる。
December 10, 2025 at 6:46 AM
今年もいろいろと忙しく、インプットと行動の比率が多かったけど、来年はインプットから一旦立ち止まって、自分と向き合って、深め、耕す時間を増やしていきたい。そのひとつの方法として「書く」ことに力を入れたい。若松さんの「読むと書く」の講座受講も少し考えてみる。
December 10, 2025 at 6:41 AM
フランクル『死と愛』読了。
独語原題は『医師による魂の癒し』
数年前に邦訳第11版の『人間とは何か』山田訳は読了していたものの、旧版の霜山訳もまた違った魅力があるため読み進めていた。
 フランクルを読みはじめて20年近くになるが、未だに全ての著作は読めていないし、読む時期によって発見が異なる。今回は「特殊実存分析」の部分、不安神経症、強迫神経性、鬱病、精神分裂病を扱った部分に引き寄せられた。
December 7, 2025 at 1:34 AM
フランクル『死と愛』
今日は第二章第二節「特殊実存分析」、神経性を扱った部分を少し読みます。
December 1, 2025 at 8:42 PM
僕の兄は強迫性障害で長年引きこもり状態なのだけど、強迫行為(手を洗うとか確認するとか)をする心理は全く理解できないわけではなくて、社会で活動している人々は不確実性をどこかで受け入れる部分があり、どこかで最終確認をした上で、ある程度の不確実性を受け入れるなり、引き受けるなり、切り捨てるなりするわけだが、強迫性障害の方はその確実性を追求し続け、疲労困憊するまで続け、そしてその確実性が得られないことに絶望しながら日々を過ごしているように思われる。
単純に心理的な側面から語れないのは前提として、そこには自我の不全感のようなものがあるように思え、それがある種の認知症の方にも共通しているように思う。
December 1, 2025 at 8:31 PM
強迫性障害の強迫行為と、認知症の常同行動には類似した部分があるように思うのだけど、そういうことを扱った文献を探索中。
December 1, 2025 at 1:15 PM
老いについての覚書

老いが時に老練な粘り強さを発揮するのは、背後に死が控えている者の諦めと意地があるからかもしれない。諦めと意地は相反するようでいて、同居することで複雑な力を生み出すように思う。
December 1, 2025 at 12:50 PM
育児についての覚書

遊びに飢えた子ども達の顔を前にして本の世界に立て籠ること、それは大人の殻に立て籠ることだ。しかし自我は読書を求める…。
November 29, 2025 at 11:54 PM
自由についての覚書

現実的問題から離れ、思考の自由と孤独を満喫した結果、人はその自由と孤独の意味を問うことになる。フロムが『自由からの逃走』で問うたものは、その「何のために?」と問いかけてくる「自由」であって、風のように奔放な自由ではなく、良心に問いかけてくる「自由」であったろう若松英輔さんが「自由」を「自ら」に「由る」ことと述べていたが、そういう意味での「自由」は、「良心」も含みこむものと言えそうだ。またスピノザの「自由」とはそういうものだと捉えている。自己の深い必然性に従うことは、自由に反するものどころか、一致して然るべきものだと。
November 29, 2025 at 11:44 PM
渡名喜庸哲『レヴィナスの企て』
読みます。
November 29, 2025 at 9:27 PM
フランクル『死と愛』
読んでいきます。
November 29, 2025 at 8:48 PM
今日は読書会でレヴィナスの魅力を伝えられたので良かった。あと臨床哲学の存在も知って頂けた。有意義な時間だった。
November 28, 2025 at 4:20 PM
職員が入院する関係で12月もバタバタ。
November 27, 2025 at 12:24 AM
レヴィナス理解のために。
山田弘明「カントと「デカルト的観念論」」
読みます。

提供元: 名古屋大学学術機関リポジトリ share.google/etLXR1NeAodG...
November 26, 2025 at 12:19 AM
家庭というものをどう捉えているか。物語的自己の再構成の場と捉えているかもしれない。
November 25, 2025 at 3:21 PM
「良心」概念について哲学史的にまとめられた本を探してみたけど、なかなか価格高騰しており足踏みする。
November 25, 2025 at 1:09 PM
『リクール読本』は手元に置いておきたいが…。
November 25, 2025 at 1:02 PM
実存の解釈学というのを考えていたら、ポール・リクールがそういうことを言っているらしい。
November 25, 2025 at 8:00 AM
あまり忙しいと言葉が出なくなるのは、情報処理が追い付かず、言語化の糸口が掴めなくなるからだろう。
November 24, 2025 at 6:27 PM
今日は1日、子どものインフルエンザA型感染への対応に終始しておりました。疲れた。
1日休みだ!と思ったら子どもが熱を出す。育児あるある。子どもとゆっくり過ごそう。
November 21, 2025 at 10:34 AM
1日休みだ!と思ったら子どもが熱を出す。育児あるある。子どもとゆっくり過ごそう。
November 20, 2025 at 11:04 PM