城輪アズサ
wheelfort.bsky.social
城輪アズサ
@wheelfort.bsky.social
空木春宵「感応グラン=ギニョル」、いわゆる直球の奇想って記憶の限りはじめて読んだけど、絢爛な文体が目に楽しくてけっこう好きだった。三人称を〈〉で撹乱する夢小説的な仕掛けもSF的だし。ただけっこうシニカルなところもあって、作中で欠損した少女たちが演じる「拡張現実的な」演劇(ハクスリーの「感覚映画」みたいなやつ)があくまでも(われわれにとって)虚構の仕掛けに留まることで、読み手は安全にその残酷な美しさを享受することができるという構造になっている。ここで文体は、むしろ表現内容から読み手を保護するものになっていて、あらゆる痛みや苦しみがまるっきり了解可能なものになっているということ。
December 10, 2025 at 2:51 AM
すべてを容易に見間違え、聴き間違えてしまう証人=目撃者の無力において、しかし光と音が与える拷問と受苦のなかで、死者に「似る」こと。そのとき映画は観客の上に折りたたまれ、見逃すことは見届けることのひとつになり、聴き逃された者たちの沈黙は、受苦する私たちの開かれた口のなかで自らの叫びを持つだろう。私たちの身体はそこで、みずからの輪郭を失いながら、死者たちの方へと完全に溶解することがない。なぜなら私たちは、さしあたりいまは受苦を生きているからだ。もはや「私」とは呼びえぬ私の身体のうちで、受苦する基胎が生きているからだ(平倉圭『ゴダール的方法』p.306)
December 8, 2025 at 3:50 AM
化鳥、あまりに天使のたまごすぎる。鏡花をちゃんと読むべきなのかもしれない
December 5, 2025 at 1:34 AM
www.seidosha.co.jp/book/index.p...

いつか腰を据えて読みたいとずっと思っているのだけど、なかなか時間が取れずにいるな
青土社 ||現代思想:現代思想2023年12月号 特集=感情史
www.seidosha.co.jp
December 4, 2025 at 2:02 PM
『天使のたまご』は押井守の総決算というか起源みたいな作品で、その主軸は超越性みたいなものを信じる少女(=鳥)と自分を見失った男(=犬)の二分法にあるのだけど、そのふたつは微睡むような「半目」の擬似太陽にまなざされていて、世界全体が微睡の中に、すなわち白昼夢のうちにあることを示している。それはまた実体のない魚影というモチーフでもって「水槽」として描き出される。ここには揺らぐイメージ(具象)の否定形、幽霊的な佇まいがあって、あらゆるものはつねにすでに不在のものにされている。廃墟の夢。それは言明されるように「鳥の夢」で、超越性それ自体が予感のままに留まった、静止した廃墟にほかならない
December 4, 2025 at 3:39 AM
谷崎潤一郎の「秘密」、勧められたので読んだがかなりよかった。けっこう散乱しているところがある気もするし(人生に退屈していることと異性装と密会は絶妙に断絶している印象がある)、谷崎自身は東京の迷路的な部分を描きたかったような気もするのだが、異性装パートが精細で、そこだけで満足した。偶然衣服(つまり、表皮)を見かけたことで語り手はそれに圧迫され締め付けられること(「秘密」をつくりだすこと)を欲望するようになるのだけど、しだいに語りは表皮においてなされるようになる。自分に重ねられたイメージ(表象=表皮)こそが本体になって、そこで語り手は(自意識のうちで)「敗北」する。そのことの是非はあろうが……
December 1, 2025 at 10:05 PM
総集編で改めてガルクラを全編通して見たが、やっぱり最終話MCの「私[…]誇らしかった」からの一連は決定的に重要で、ここにおいてこれまでの彼女(ら)が、実効性の次元から切り離された地点で「間違ってなさ」を宣言していたことが明らかになっている(そして、市場における「敗北」によってそれは臨界点に達する)。ここにおいて事は美学的な水準に属していて、そこを経由することで物語は生の問題へと踏み込んでいく。生それ自体が、反-実効性として組織され、根拠づけられているということ
November 22, 2025 at 2:31 PM
阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』読んだ。百万回言われてることだと思うが、かなり映画的な小説だと思う。長谷川和彦っぽい
November 18, 2025 at 12:48 PM
雨夜燕の《理論武装して》、完全に""あの頃""のアニソンすぎるな
November 18, 2025 at 11:38 AM
冷笑、いわゆる「ダメ」なオタクのメンタリティとサブカルのホモソ的な商品選好の和合、みたいなイメージで捉えている
August 11, 2025 at 10:08 PM
Reposted by 城輪アズサ
Xで言われる冷笑の意味がよく分からなかったんだけど、今の冷笑ってサブカル人間と大して変わらない意味なのかもな。
冷笑冷笑言ってる大学生の呟きを見ても、屈折したサブカル人間と大差ないように感じるし。
August 11, 2025 at 11:17 AM
Reposted by 城輪アズサ
劇中のあらゆる描写を社会批評として見るべきとは全く思わないし、面白さを優先して必要以上にそれをやると行儀が悪い(雑な社会反映論、ゴシップと区別がつかないような過度の作り手の私小説扱い、センセーショナルな事件や災害との結びつけなど)と思うけど、「社会派」な作品でじゃあ現実社会のこと考えるかとなるのは妥当な発想であって、ケチがつくのが面白くないというほうが不自然では
June 19, 2025 at 5:25 AM
Reposted by 城輪アズサ
ガンダムの作中の社会や政治について考えていると「ガンダムで政治を分かった気になるべきではないので政治に無関心でいるのが正しい」とか言ってくる人がいるが、完全に逆だろと思う(現実の政治や社会を少しでも勉強して関心があるから、作品内の描写を事例のひとつとして検討して現実のことを考える糧にしている)
June 19, 2025 at 5:19 AM
X死んでるな
May 30, 2025 at 8:26 PM
部分的に移行、というかたちで手を打とう……
X、(たぶん)140字を十全に表示できなくなったということで、しばらくこっちに移行するかも
May 29, 2025 at 10:59 AM
SNSの使用感が不快になるのは実際いいことなんだろうとは思う。滞在時間も減るだろうし……
May 29, 2025 at 7:13 AM
ブルスカ、下書き保存できないのが致命的なんだけど、まあ使ってたら慣れるだろうか
May 29, 2025 at 7:09 AM
X、(たぶん)140字を十全に表示できなくなったということで、しばらくこっちに移行するかも
May 29, 2025 at 7:06 AM
『太陽の墓場』日本論として完璧すぎるな
April 21, 2025 at 2:14 AM
中野独人『電車男』(2004年)
言わずと知れた2ch発祥の「ノンフィクション」恋愛物語。オタクの物語ではあるけれどもインセルや弱者男性の自意識は主題とされない。建て付けはむしろセカチューに近い(既出かも?)。注目すべきはこのベタな物語を下支えするその他大勢の書き込みの方であるように見える。リアクション芸。共同性。祝祭。どこか10年代以降のSNSを思わせる。ありえたかもしれない人生に実存を重ね書きすることの快楽とその祝祭性、という軸で今なら読めるのではないか。そういう意味で注目すべきなのは精神疾患を仄めかすひとつの書き込みだ(祝祭の中で、決して祝祭になりえない事態・実存が束の間閃くこと……)
February 24, 2025 at 12:00 AM
『メイクアガール』(2024年)
個人のCGクリエイターがごく限られた人数で作った初の長編アニメーション……とこう書くとただちに新海誠が想起されてしまうが、本作はまさに『ほしのこえ』の20年代における再来という出立ちをしているように見える。ポスト・エヴァではなく、ポスト・グリッドマンのアニメとして。何かを造形することがただちにはらむ「責任」がどこまでも物語を規定し、最後には決定的な破局をもたらす、という建て付けには、とかく世界の外部として、思考の価値として信じられがちな、「キャラ」との恋愛/性愛をまさにひび割れさせる、きわめて強い信念とアクチュアリティを感じる。本作は20年代を撃っている。
February 7, 2025 at 1:33 PM
『室町無頼』
まずもってわれわれをたじろがせるのは、その物語を語ることへの躊躇いのなさだ。活劇として、ビルドゥングスロマンとしての葛藤の一切を廃したその構成の中で演じられる記号化された男性性のありかたは、どこか2.5次元的でもあるように見える。とはいえ、そこにあるヒロイズムは伝統的なヤクザ映画のそれであり、主眼はあくまでもレトロな男性性にあるのかもしれない。とはいえモチーフのレベルでの美しさは際立っていて、黒く塗られた影のような人々が、業火とともに洛中に攻め入るラストに横溢している、カタストロフィへの後ろ暗い欲望は素直に心地よかった(それがボンクラ的であることは留意しておくべきだろうが……)
February 7, 2025 at 1:25 PM
『グリッドマン・ユニバース』(2023年)
SSSS.二作の合同映画。特撮的ないわゆる「お祭り映画」の体裁をとりながら、前二作のメタフィクション路線をありえないほどラディカルなかたちで叩きつけてみせた怪作。『歪曲王』との前評判があったが、それに違わない全面的な救済と解放が描かれていて、マクロな「お祭り」よりもミクロなコミュニケーション上の「やり直し」、「最高のエンディング」が正しくファンダム的な魅力を醸す佳作だったように思う。ただ『歪曲王』の白眉はあくまでも「失恋」で、そのビターさは『DYNAZENON』を規定していたものでもあったはずなので、そこに明確に背を向けていることは記しておきたい。
February 7, 2025 at 1:20 PM