仏教学(三論宗、真言宗)博士後期課程
(一社)エア寺理事 勧学院担当
リュート好きの真言行者です。
もっぱら仏教と歴史についてつぶやいてます。
非常によく分かりました🙏
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デジタル情報として扱える(つまり検索できるとか)事で
より実際の姿が解像度高くわかるようになってきたんです!
今、仏教学は熱いですよ~
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より実際の姿が解像度高くわかるようになってきたんです!
今、仏教学は熱いですよ~
三論宗(中観)、法相宗(唯識)、天台宗、華厳宗
の論戦など非常に興味深いのだけど、この面白さをもっと知ってほしい…
三論宗(中観)、法相宗(唯識)、天台宗、華厳宗
の論戦など非常に興味深いのだけど、この面白さをもっと知ってほしい…
そして、こうした基礎研究の積み重ねの上に、鎌倉・室町時代の真言教学興隆を迎える事になります。
そして、こうした基礎研究の積み重ねの上に、鎌倉・室町時代の真言教学興隆を迎える事になります。
重誉は興教大師覚鑁(1095-1143)とほぼ同時代を生きた人物です。つまり、重誉が生きた時代には、後代の学僧が参照するような著作が、まだ限られていました。
その一方で、天台宗の安然は、弘法大師の著作を熱心に研究したことで知られていました。そのような状況下で、重誉が安然の著作を参照したのは当然だったでしょう。
重誉は興教大師覚鑁(1095-1143)とほぼ同時代を生きた人物です。つまり、重誉が生きた時代には、後代の学僧が参照するような著作が、まだ限られていました。
その一方で、天台宗の安然は、弘法大師の著作を熱心に研究したことで知られていました。そのような状況下で、重誉が安然の著作を参照したのは当然だったでしょう。
重誉の師である東大寺東南院の覚樹(1079-1139)は、日宋貿易船を通じて大陸から最新の仏典を積極的に将来し、門下生と共にその研究を行いました。
当時、遼や宋では密教が盛んであり、その最新の学説に注目することは自然な事でした。覚苑の教学も、そうした最新学説の一つとして将来されたのです。
重誉の師である東大寺東南院の覚樹(1079-1139)は、日宋貿易船を通じて大陸から最新の仏典を積極的に将来し、門下生と共にその研究を行いました。
当時、遼や宋では密教が盛んであり、その最新の学説に注目することは自然な事でした。覚苑の教学も、そうした最新学説の一つとして将来されたのです。