るね(René)
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るね(René)
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マグリットとラリックとラコステ、それに怖い小説全般が好きな人
待避所として作ってみた
Reposted by るね(René)
実際にはこれが「洗脳」に近いのではないか…という不穏な作品です。
子どもたちの視点で描かれているため、彼らとしては何が行われているのかがはっきり分からない、というところが技巧的です。
ジョニーを始め、はじめは反感を抱いている子どもも結局は言いくるめられてしまう、という過程が授業の形で展開されていき、それがわずか23分間しかかからない…というところに恐ろしさを感じますね。

短めの短篇作品なのですが、集英社文庫版では、後半に英語の原文が掲載されています。なので、すぐに読める作品です。
僕は未見なのですが、ドラマシリーズ「世にも奇妙な物語」でも映像化されているとか。
May 6, 2024 at 1:37 AM
「猫町」は元々ブラックウッド「いにしえの魔術」を読んだ際、「猫町」との関連についてのコメントを見かけたので、題名は知っていても未読だったこともあり手に取ったのがきっかけ。読み比べれば、主人公が目にする光景が似ているだけで、ストーリー展開等に共通性はほぼないのだが。
May 5, 2024 at 5:34 PM
続⑤)収録作品は全てアメリカ人作家によるもの。
本書初版が1963年(約60年前!)で、近年のアンソロジーに載っているような作家/作品毎の解説はないが、執筆時期はおそらく'40年代後半~'50年代の作品と思われる。それゆえ時代は感じられるものの、英米古典怪奇小説とモダンホラーとの間を繋ぐ時期の怪奇/恐怖小説として、個人的にはかなり愉しんだ1冊。

……但しあまりに旧いからかAmazonにもないようで、ブクログに登録できないっていう(´-ω-`)
ポケミス版型でしか出てないこの手のアンソロジーを文庫で再版してくれたらいいのになぁ、ハヤカワさん。
April 15, 2024 at 1:22 PM
続④)
・南極の観測ステーションに現れるという自殺した観測員の幽霊(H.カットナー「幽霊ステーション」)。
超高性能の電子頭脳(演算処理装置であってAIではない)が、図らずも“幽霊”を産み出してしまうという設定がいかにもかつてのSF的設定で、面白い。

・連絡を絶った夫を探して異郷の地の家を訪ねた女性の腕には乳飲み子が抱かれていた(C.ウールリッチ「モンテズマの月」)。恐ろしくも悲しい話。現代ではまた違った文脈で読まれてしまいそうな気が―しないでもない、が。(続→
April 15, 2024 at 1:19 PM
続③)
・勤務先のマネキンに恋焦がれた男の、“彼女”を連れた逃避行とその結末(J.コリア「特別配達」)。人形への恋が成就するような奇蹟は起るはずもなく。

・3カ月前に愛妻を事故で喪った男の周囲で妙なことが次々と起き始める(M.ラインスター「もうひとつの今」)。過去の出来事の僅かな差であり得たかもしれない別の“現在”は果たして存在するのか。そこと繋がることはあり得るのか。

・幼い少年とお気に入りの熊の人形との異常な会話(T.スタージョン「熊人形」)。熊人形=怪物は一種のヴァンパイアとも言える。湿り気を帯びたような薄気味悪さはスタージョンならでは。(続→
April 15, 2024 at 1:17 PM
続②)
・開業医を訪れた異様な風体の男。その左腿には何重にも包帯が巻かれ巨大な瘤のようになっていた(D.ワンドレイ「生えてくる」)。“人面疽”テーマの変奏とも読めるが、このパターンは他にあまりないのでは。

・実は仮死状態にあるという古代エジプトのミイラを蘇生させる実験。成功したように思えたが(D.A.ウォルハイム「骨」)。「腐ってやがる、早過ぎたんだ」ではないが。

・道に突如飛び出してきたウォルフハウンドを車で轢いてしまった男。犬の飼い主は著名な女優だった(L.C.ストウ「ブロンドの犬」)。真相は医師の説明通り、ショック状態下の固定観念が見せた幻覚だったのか、それとも。
(続→
April 15, 2024 at 1:14 PM
続①)
・空き地の地面の下から聞こえてきた助けを求める女の叫び声。少女の訴えを大人は誰も取り合わない(R.ブラッドベリ「泣き叫ぶ女」)。サスペンスの王道パターンと思いきや。

・供述を始めた青年は語る「おれは神通力を失っちまった」(R.ブロック「魔法使いの弟子」)。
タイトルはゲーテの詩(ディズニーのアニメ映画で有名だろう)に倣ったものだろうが、青年が知らなかったのは魔法を止める魔法ではなく―。ショッキングなラストはいかにもブロック風味。(続→
April 15, 2024 at 1:12 PM
連作短編集という形式でありつつも―解説でも言及されている通り―巻頭から順に読むことが望ましく、またどれか1編を取り出してアンソロジーに収録してもわかり難くて意味がない(強いて言うなら最初の「眠れる童女 ポリー・チャームズ」くらいか)という点で、この1冊丸々で一つの作品と考えるべき、なんだろう。

1970年代にアメリカ人の著者が、20世紀初頭の東欧に架空の帝国を設定に書いた物語というのも、改めて興味深い
March 21, 2024 at 5:23 PM
ペダントリ―に彩られ様々な視点や場面が目まぐるしく入れ替わる表現は入り込むまでがややこしいが、読み進めるうちに著者はキャラクターよりもこの世界自体を描きたかったのではないか、そうして愉しみながら書いていったのではないかとも思えてくる。

ちなみに(これが課題書になった)先日の読書会にて「この作品は事件簿というよりも博士の日記と思えばいいのでは」というコメントがあって(あー、なるほど)と何だか腑に落ちた。確かにこのわかりづらさはむしろ日記的な感覚かもしれない。
March 21, 2024 at 5:21 PM
何の役も果たしてないーとまでは言わないにせよ、博士が色々動いてる内に事態の方で収束してしまったり、最終的に"何もしない"ことを博士が選択するなんて話が続く。後半では解決に導く探偵役を全うする話もあるのだが。

舞台が現在の東欧に存在したという設定のスキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国という架空の帝国であり、20世紀初めという時代設定にありながらオカルトや疑似科学、妖精や錬金術といったものが存在し、登場人物らも自然に受け容れているという、スチームパンク的な要素も帯びたSFとファンタジーがミックスされたような世界観のようにも、自分には感じられた。
March 21, 2024 at 5:19 PM
もっとも、その年譜は綺堂没後間もない昭和14年の雑誌「舞台」5月号に掲載されたものなので、当時は作家よりも劇作家、戯曲家として名前が通っていたのかもしれない、が。

中盤の「明治の寄席と芝居」の章では当時の歌舞伎や演劇への批評が延々続き門外漢な自分には少々退屈ではあったが、劇作家として活躍していたとわかると、ここまで細かく記すのも頷ける。
三遊亭円朝の「牡丹燈籠」が高座で人気を博し、歌舞伎化されてさらに評判を呼ぶが、その後高座で人気を呼んだ噺が次々に舞台化されるにあたって噺家と劇作家、役者との間であれこれ起こるのは、つい先日のある事件を思い出し、この手の問題は昔からあるのだな、と。
March 14, 2024 at 4:58 PM
「タグ使えるようになりました」って出てるのに変わらないぞ……と思ってふと更新してみたら、当たり🎯でした👍
February 29, 2024 at 2:23 PM