森川成美
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森川成美
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作家 Author『マレスケの虹』小峰書店で日本児童文芸家協会賞、「アサギをよぶ声」シリーズ偕成社、『はなの街オペラ』『かわらばん屋の娘』くもん出版 、『恋愛相談』静山社
(基本、タイムラインではなく、リストとフィードで拝見しておりますので、言及に気づかないことも、フォローバックさせていただかないこともございます。ご容赦ください)
Bluesky興隆をねがって、一日一ポストを心がけております。下らん話におつきあいいただき、いつもありがとうございます。
承前 物資の出入りは沼のままでも監視可能。ならばなぜこんなことをしたのか。現地で私なりに考えてみたけど、おそらく兵糧はためこんでいた。でも水浸しにすれば(城内は床上、床下浸水)それはだめになるし、心理的にも追い込まれるということだったんじゃないかなって。今は数キロに渡る堤防を築いたというよりは、水の出口をふさぎ、自然堤防にかさ上げした程度、と言われていますが、実際水の取り入れ口まで自転車で行って見ましたが相当遠い。ちょっと洪水のときに近所の人が見に行くぐらいじゃすみません。レンタル自転車あって助かった。これは大工事、今でいえば、工兵隊の勝利です。やっぱり現地って大事だなって思いました。
November 20, 2025 at 12:19 AM
前に『豊臣秀吉』(国土社)を書いたときに、私として書きにくい謎があって、そのひとつは中国大返し、もう一つは墨俣一夜城、そして備中高松城の水攻めでした。知らん、なんとかやったんだろ、では伝記になりません(笑)。資料を調べて書きましたが、現地は見たかった。今回ちょうど機会があったので、遅ればせながら備中高松城に行きました。このビデオは本丸跡から、南西方向をぐるっと見たものです。この見渡す限りが水浸しになったという。そもそもこの城が攻めにくかったのは、周りが沼だったから。だったら水浸しにして孤立させてやれという奇策だったといいますが。そもそも沼なら、物資の出入りの監視は可能だから(続く)
November 20, 2025 at 12:06 AM
November 1, 2025 at 12:43 AM
最近、イラストレーターさん選定でいろいろやりとりがあり、とはいっても私にはほぼほぼ選択権はないんだけど。で、思うのが、私が本文で書いたのがこの写真だとすれば、イラストレーターさんが描いてきたのがこの絵だとして、落ちている者は何かということです。
October 20, 2025 at 7:45 AM
October 11, 2025 at 10:21 AM
15枚の色紙って書くんだけど、画家さんじゃないし、でもなんかちょっと絵は、入れたいしって思って消しゴムハンコいんじゃね、と印材を買ってみた。うちの子たちが残していった彫刻刀あるんじゃね? って探したらあった。でも消しゴムハンコの印材は、カッターに特化してて、切り出し刀以外はうまくいかなかったし、昔自分がゴム版で年賀状を作ってた時は、水彩絵の具でよかったような気がしたけど、やっぱなじむのはインクパッドのほうらしくて失敗。色紙は手書きでいく。、。・¥でも、って思うけど、全国の小学生がこの彫刻刀を持ってる(今でも?)ってのは文化としてすごいこと。おそらくべらぼうの時代のなごりだよね。先生ブラボー!
October 8, 2025 at 5:36 AM
国立近代美術館で開催されている『記録をひらく 記憶をつむぐ』展に行ってきました。戦争協力画を戦後GHQが接収したものを、無期限貸与という形で国がひきとって所蔵していたものを、展示したものです。無事展示されて見られたのはよかったと思います。
小磯良平もありましたし、藤田嗣治が何点も。藤田はやっぱりすごいです。なにより構図がすばらしい。それから戦争に関してはこの時代は写真という媒体もありましたが、やはり絵のほうがずっと一度に見られる情報量が多く、これはこれからの電子の時代にも絵の強みと感じました。
10月26日までです。
なお写真撮影は一部を除いて可でした。
September 30, 2025 at 5:49 AM
↓のビデオに出てきたヒロ・アイアン・ワークス(鉄工所?)、スイサン(魚市場 今は閉めている)、シンマチがありました、の表示。2011年に行ったとき撮ったものだから、今は違っているかもだけど。
September 4, 2025 at 9:06 PM
承前(どこから?)オアフ島のプランテーションビレッジには、いろいろな移民の出身地ごとにどう家の中が違うかを見せていておもしろかった。けど人の映ってない写真がとりにくく、なおかつどの国出身の人の家なのか忘れちゃった。これはおそらくポルトガルからの移民(マデイラからが多かったそうだけど)の家。庭に焼き釜があって、パンを焼いてたんだと思う。家の中にはストーブ式のコンロ。ベッド。ハンモック。いっしょだった団体さんは、大学生で引率に来てたのは日本語ぺらぺらの西洋人だったけど、この家を見て深く納得してた「そうだよね」って感じで。日本に染まっててもこの感じなつかしかったんでしょうね。
August 7, 2025 at 9:41 PM
承前 オアフ島プランテーションビレッジのたぶんチャイニーズの部屋。たくさんの研修生といっしょにまわったので、人の入らない写真が取りにくく、どの部屋だったのか忘れた部分があって。もしちがうの混じってたら、チャイニーズ系の方ご免なさいね。
July 28, 2025 at 9:05 PM
承前 プランテーションビレッジの日系の家は、こんな感じ。他のところでも見たけど、学校の机みたいなのの脚を切って、座り机にしたものが多い。押し入れはないから、江戸時代のように部屋の片隅に畳んでおく。
July 28, 2025 at 7:46 AM
承前(どこから(笑))当時の書き物では、プランテーションは耕地と訳されて、キャンプ(住宅)は館府と訳されたのを見ます。うちの戸籍にも〇〇耕地と書いてありますね。耕地っていうのは、サトウキビ畑と製糖工場とキャンプのセットのようです。キャンプは人種ごとに固まっていたみたいで、それぞれお寺や教会があったもよう。住居も社宅は外側は同じですが中はいろいろ違っていたもよう。よくわかるのがオアフ島にある「プランテーションビレッジ」でいろいろなところから移築したプランテーション時代の住宅や施設を展示してあります。あまり観光で行く人もいないかもだけど、私が行ったときは京都の大学の研修旅行のような方々が来てた。
July 26, 2025 at 10:47 PM
出先でUSBメモリを差し込んだまま忘れて帰った。取りに行ったら遺失物の部署にあって、どんなUSBですかと聞かれた。キーホルダーなどついてましたかとも。キティちゃんのですというと心なしか笑われたような
なんせおばあさんですんで。でもね、言い訳するとこのキティちゃんはEU大使館のオープンデーでもらったレアものなんですぜ😹
July 17, 2025 at 11:04 AM
July 14, 2025 at 4:31 AM
38 音声磁気テープ125分で450円でその頃普通のノートは10円から30円だったと知っている ちなジャポニカ学習帳はまだない
June 29, 2025 at 10:37 PM
31 昔、共通一次というものすらなかった昔、東大一次という独自試験を受けたことがある。ちな60パーセントぐらい取れれば二次を受けられたが、科目は多く文系でも理科二科目だった
June 25, 2025 at 9:11 AM
June 24, 2025 at 10:11 PM
そのうちの一つ
June 23, 2025 at 10:30 AM
で、これも取ってあったくせにいったい何なのかわからない
June 21, 2025 at 8:31 PM
こういう姉様人形のほうが好きだけど、今は探すの難しいしそれは仕方ないなあと思っている
June 20, 2025 at 11:20 AM
昔、何かのおまけを何かの鍵につけて大事にしていたが、なんのおまけで何の鍵だったか忘れている
June 19, 2025 at 4:06 PM
まこもだけを頂いて食べたことがある
June 18, 2025 at 9:40 PM
最初に買ってもらったトランプはミッキー柄でニンテンドー製だった
June 17, 2025 at 4:29 PM
なんでも拾って宝物にする小学生のころ、だれかがこれはトランジスタだぞーというので拾って取ってあったが、未だにトランジスタの役割がわからない
June 16, 2025 at 3:03 AM
小学校五年生のとき放送部長に選出されたのはハムの資格を持ってた男子だったのだが、どういうわけかお前がやれと先生方に言われて変えられてなった。居心地悪かった笑
June 14, 2025 at 9:50 PM