ぬま
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ぬま
@pinoakkey.bsky.social
20世紀仏哲学、近代政治哲学、精神分析、現象学に関心があります。レヴィナスをしばらく勉強し、最近ではバトラーをよく読みます。たまにnoteも書きます。
https://note.com/pinoakkey
バトラー『ジェンダー・トラブル』読了。何箇所か飛ばしてはいるが読了に2ヶ月弱かかった。あまり長く読みすぎるのもよくないなと思いつつ、複雑で込み入った晦渋な文体になかなかに惹かれるものがある。バトラーは、「男」を無色透明な普遍的主体と見なす存在論に対抗するために、「言語」の獲得を通じて「語る私」として「女」というカテゴリーを普遍化するウィティッグを批判する。結局それは、フェミニズム理論が批判してきたはずの男性主体の普遍化と同じロジックに陥っている。また、普遍的な主体として措定すること自体が誤りであるとも述べる。
August 18, 2025 at 7:16 AM
フロイト『自我論集』に収録された「自我とエス」(1923)を読んでいる。これまでフロイトは、「無意識的なもの」はすべて「抑圧されたもの」であると論じてきたが、「抑圧されていない無意識」すなわち「無意識的な罪責感」という新たな概念を分析する必要性に思い至る。それはまた「自我理想」や「超自我」と呼ばれ、エディプス的状況における二重の同一化、「父への同一化」と「母への同一化」の間で生じる「沈殿」であるという。
July 17, 2025 at 11:00 AM
バトラー『ジェンダー・トラブル』第1章読了。あまりにも有名な一節、「セックスはつねにすでにジェンダーなのだ」(p.29)。生物学的性差あるいは自然なものとして措定される「セックス」は、実は、社会的性差としての「ジェンダー」と同様に、権力と言説の力学によって偶発的に生産された社会的構築物であることを、大胆に定義した一節である。本章では、フェミニズムの主体を「女」という普遍的・統一的なカテゴリーとして措定するイリガライらの態度を、フーコーやウィティッグの言説を通じて批判したうえで、
July 12, 2025 at 7:34 AM
最近こちらでつぶやいていなかったが、なんだかんだ色々ありつつも生きています。
June 15, 2025 at 7:23 AM
アレント『革命について』第2章読了。なぜフランス革命は疑惑と暴力に満ちた恐怖政治に陥ったのか。それはロベスピエールが「哀れみ」という「感傷」を政治的領域に持ち込んだことに端を発する。「哀れみ」は「同情」と似て非なるもので、「肉体的に打ちのめされることなく、その感情的距離を保っているから、同情がいつも失敗するところで成功を収めることができる。」「同情」は特殊的なもの・個人的なものにのみ関わる情緒である。そのため「多数性」を前提とする政治的領域の連帯形成や問題解決は本来不可能である。ところが、ロベスピエールは、この特殊的な「同情」を、一般的な「哀れみ」と混同してしまい、
May 29, 2025 at 9:49 AM
アレント『革命について』第2章中盤まで読了。まずアレントは、マルクスは「社会問題」が革命の原動力になりうることを発見したと述べる。「社会問題」とはすなわち「貧困」であるが、この「貧困」は生命維持という「必然性」に縛られており、革命はこの貧困の解決が目的であると考えられた。革命の目的が、政治的な「自由」から物質的な「豊かさ」へと変化したのである。ところが、マルクスに典型的な「すべての革命の起源は社会的なものであるという十九世紀の偏見は、依然として十八世紀の理論や経験にはまったく欠けていた」。
May 24, 2025 at 12:54 PM
アレント『革命について』第1章読了。「革命」概念は、天体の周期的運動という意味で「不可抗力」を含んでいたが、やがて「歴史的必然」へと変化した。フランス革命の担い手たちは、「歴史と歴史的必然の代理人」と自負するが、実際、「その主役たちのだれひとりとして事件の成行きをコントロールでき」ないばかりでなく、「その成行きが人びとの意志的な目的とまるで関係のない方向に進んだだけでなく、逆に生き残ろうと思えば自分たちの意志や目的を革命の匿名の力に従属させなければならなかった」。つまり、相反するかのように見える「自由」と「歴史的必然」は革命において一致する。革命は主体の意志とは関係なく、
May 18, 2025 at 1:36 AM
ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』第2章を読んでいる。相変わらず複雑でよくわからないが、大まかな流れとして、フロイト以降の精神分析は、本来無関係であるはずの「性愛」と「家族的コンプレックス」とを「溶接」することで、「無意識の生産」をオイディプス的構造に閉じ込めてしまう。オイディプス的精神分析の批判を通じて彼らが目標とするのは、「オイディプスの首枷を吹きとばし、いたるところで欲望的生産の力を再び見いだすために、無意識の領野も歴史的社会的領野も分裂症化すること」である。そもそも性愛と家族的コンプレックスのこのような混同は、「総合」の「不当な使用」に起因しているという。
May 14, 2025 at 4:12 AM
最近は「家族」の在り方について考えを巡らせる機会が増えた。もちろん、直接的なきっかけとしては結婚や出産があるものの、それ以上に、妻の実家が家族観が、僕が抱いている家族観に再考を迫っている。
May 11, 2025 at 8:32 AM
アレント『革命について』第1章中盤まで読了。「革命」は近代以前にも用いられていた政治的概念ではあるが、それは「事物の変化」あるいは「政情の変動」にとどまっていた。元々「革命」という概念は、天文学における天体の「循環する周期的運動」を指しており、それが政治的領域に転用された当初は、人間を超越した抵抗しがたい永遠不変の循環を意味していた。近代以降、それ以前とは全く異なる意味合いが付与される。それは非支配者が支配者を打倒して新たな秩序を創設する「はじまり」という意味である。例えば、マキャヴェリの政治理論においては、近代的革命概念に通ずる要素がないわけではないのだが、
May 11, 2025 at 8:26 AM
子供の散歩を終えて帰宅。お昼。
May 11, 2025 at 2:39 AM
久しぶりにキリンの一番搾りを飲んだ。美味い。あまり夜に響かない程度に嗜む。
May 10, 2025 at 12:31 PM
慢性的な寝不足だから寝れる時に寝た方がいいのだけど、休日に寝るともったいないと感じて、睡眠を蔑ろにしてしまう。楽しむための休日と、寝るだけの休日を分けたいな。
May 10, 2025 at 8:14 AM
小一時間昼寝するつもりが、3時間も寝てしまって、無事休日の一人時間が終了した…。
May 10, 2025 at 7:52 AM
そろそろ17時。子供が落ち着いていたら夕飯やらお風呂やらの準備をぼちぼち始める時間帯。あるいは、今日も一日終わるのかと時の流れの早さについ溜め息を吐いてしまうような、そんな一抹の淋しさを覚える時間帯。
May 6, 2025 at 7:53 AM
本日は雨のため家でゆっくり。子供をあやしていると風のように時間が過ぎ去っていく。
May 6, 2025 at 3:22 AM
アレント『革命について』序章読了。まずアレントは、現代に至ってようやく「戦争」とその「暴力」の「正当化」に関する議論、すなわち「自由」との関連についての議論が浮上してきたと述べる。第一次世界大戦以前の伝統的議論において、戦争は「国際政治の最後の手段」と捉えられており「必要事」であるとさえ考えられていた。つまり、戦争による暴力はそもそも正当化されうるのかを問う「自由の論拠がまるで欠けていた」のである。ところが、科学技術の発展が生み出した核兵器が登場した現代では、戦争は最終的な外交手段ではもはやあり得ず、「人類全滅の脅威」という「生と死の問題」に変容した。
May 6, 2025 at 3:21 AM
休日といえどあまりのんびりしていられない。朝、妻と一日の予定を話し合い、それぞれが一人になれる時間を確保できるよう大まかな段取りを決める。テキパキ動かないと、自分たちの時間を作れない。あとは、子供の調子次第。
May 4, 2025 at 7:30 AM
言葉を無かったことにするのは、おそらくそこまで難しくはない。誰にも言わずに自分の中だけに留めておけばいい。だが、考えや気持ちそれ自体を無かったことにするのは難しい。言語化されずに黙殺された思考や情念は、言語化される日を辛抱強く待って、胸の内に残り続ける。
May 3, 2025 at 2:34 PM
書くのに必要なインプットが減り、いざ書こうとする段になると疲れて書けず、全体的にマイナス方向へと向かっている。妻と共有。
May 3, 2025 at 2:24 PM
今日から連休だが、普段と変わらない土日。家事と子守と、わずかな一人時間。
May 3, 2025 at 3:50 AM
言語というのは、自己と外界との間から生まれる「違和感」なのではないかと思う。この「違和感」、自己の許容範囲を超えて私に到来し、何らかの負荷(不快感と言ってもいい)をもたらすこの「違和感」が、かなり大袈裟だが、言語の起源にあるのではないか。
May 1, 2025 at 9:30 AM
ここ1ヶ月間単調な(しかし決して楽ではない)生活リズムとなっており、呟く内容が限定的になってきている。自分の心の機微を察知しづらくなってきているような気がする。言語が生まれにくくなるということは、外界からの刺激や負荷に対して適切に反応できなくなりつつあることの兆候なのではないか。
May 1, 2025 at 9:26 AM