要するに気候変動という実在の問題に、「解決(=少女の自己犠牲)vs解決しない(=少女の犠牲を防ぐ)」という現実の構造とはかけ離れた二者択一のトロッコ問題的なセッティングをしてしまったせいで、話としてはエモくなったのかもしれないが、気候変動の寓話として観た場合は幼稚というか、ぶっちゃけ気候変動否定論者に都合がよすぎる話になってしまってる(作り手のスタンスさえ疑われかねない)と
この評は決して作品そのものの魅力は否定してないが、批判点は正直かなり同意
frogkun.com/2019/09/22/w...
要するに気候変動という実在の問題に、「解決(=少女の自己犠牲)vs解決しない(=少女の犠牲を防ぐ)」という現実の構造とはかけ離れた二者択一のトロッコ問題的なセッティングをしてしまったせいで、話としてはエモくなったのかもしれないが、気候変動の寓話として観た場合は幼稚というか、ぶっちゃけ気候変動否定論者に都合がよすぎる話になってしまってる(作り手のスタンスさえ疑われかねない)と
この評は決して作品そのものの魅力は否定してないが、批判点は正直かなり同意
frogkun.com/2019/09/22/w...
「自分には高度なメディア・リテラシーがあり、メディアの嘘を見抜くことができる」という自意識は、自分が信じている「真実」を守るうえで非常に効果的だ。
そこからは、しばしば「メディア陰謀論」が展開され、たとえばNHKには在日コリアンが数多く雇用されており、そのせいで反日的な偏向報道をするのだといった完全なデマを信じることになったりする。
「自分には高度なメディア・リテラシーがあり、メディアの嘘を見抜くことができる」という自意識は、自分が信じている「真実」を守るうえで非常に効果的だ。
そこからは、しばしば「メディア陰謀論」が展開され、たとえばNHKには在日コリアンが数多く雇用されており、そのせいで反日的な偏向報道をするのだといった完全なデマを信じることになったりする。