文学少女
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文学少女(文学青年)
だましてください言葉やさしく
ホッケの「迷宮としての世界」ですか!
僕は図書館で借りて少し読んだのですが、たしかに難しかったですね...
November 17, 2025 at 1:05 AM
最後に装丁や水星文庫について。表紙や目次が、迷宮(というよりは迷路)のような模様になっていて、まさに迷宮としての書物になっている。本書は筑摩書房の水星文庫というシリーズに属しているようだが、このシリーズがどういうものなのかは、調べてもよく分からなかった。本書の末尾に種村季弘の水星についての文章があり、それがとても好きだった。

という感じで、かなり好きな本だったので、感想が長くなってしまった。

(4/4)
November 16, 2025 at 5:39 AM
『種村季弘傑作選Ⅰ』にも収録されている『K・ケレーニイと迷宮の構想』はやはり傑作であり、ケレーニイの研究を参照しつつ、迷宮をめぐる歴史、神話、思想、文学、精神病、舞踏が種村季弘の博覧強記の視点からまとめられていて、迷宮に関する断片の集積、迷宮としての迷宮物語になっている。僕は傑作選でこれを読んだから、読むのは2回目になるのだけど、今なお新鮮な刺激を受ける。種村季弘が訳したケレーニイの『迷宮と神話』を、僕は今読み進めている。他にも感想を書きたい好きなエッセイが本書にはたくさんあるのだが、長くなるのでやめておく。

(3/n)
November 16, 2025 at 5:36 AM
『幾頁かをへだてて語と語、文章から文章が呼応し合い、雲が分かれたり結んだりしながら刻々に形を変えるように、次から次へとパースペクティヴを変容させる』『断片相互の組み合わせや対応からほとんど汲めども尽きせぬ無限の構造を生成させる』

この断片に関する評は、カフカの断片集や、パスカルの『パンセ』、僕が最近読んだシオランの『崩壊概論』を彷彿とさせる。断片の集積の構造、それが見事に種村季弘によって評されている。

本書の断片、それは万有浮力の法則が支配するクレリチの絵画、ゲーテの球体造形作品、カール・ケレーニイ、神話的職人、ショーペンハウアー……であり、マニエリスムの迷宮が構築されている。
(2/n)
November 16, 2025 at 5:22 AM
これは寺山修司の演劇論『劇場とは「在る」ものではなく「成る」もの』に通ずる所がある。劇が発生すれば、そこは劇場になる。ものを書けば、そこは机になる。現象的というのだろうか。枠にとらわれず自在に飛びまわる寺山修司らしい考えだと思った。
November 12, 2025 at 3:20 AM
・神でさえ、自分に付されるさまざまな形容詞によってやっと生きのびている。それが神学の存在理由なのである。

・知性の力が言葉の上に光彩を投じ、言葉を磨いてきらきら光らせようとする。この力の組織化されたものが、いわゆる文化である──虚無の大空に打ち上げられる花火なのである。

・崩壊は生命の法則の第一の定めである。われわれは、無生物が塵と化すよりも先に崩壊して塵となり、星々の見守る下で、われわれ自身の運命の定めるところにまっしぐらに駆けて行くのだ。もっとも星々にしたところで、見かけは永劫不滅でも、この宇宙のなかでやがてぼろぼろに崩れていく。
November 11, 2025 at 5:39 PM