冬の蠅/梶井基次郎
女生徒/太宰治
春琴抄/谷崎潤一郎
銀河鉄道の夜/宮沢賢治
眠れる美女/川端康成
城の崎にて/志賀直哉
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない/桜庭一樹
ティファニーで朝食を/カポーティ
ライ麦畑でつかまえて/サリンジャー
ロリータ/ナボコフ
主に迷宮に関するエッセイが集められている。著者はあとがきで『迷宮としての書物を書こうとすれば、人はたちまち書物の迷宮に閉じ込められる』『迷宮物語は不可能だとしても、(中略)断片の集積のまま提出することはさし当たり可能かもしれない』と述べているように、この本は、様々な視点による世界の断片の集積であって、一つ一つの断片が繋がり、ミクロからマクロへと、迷宮としての書物が構築されていく。本書に収録されている『断片からの世界』にある、ノヴァーリスの『断章』を評した次の文章が、この書物の最も優れた説明であるように感じた。
(1/n)
主に迷宮に関するエッセイが集められている。著者はあとがきで『迷宮としての書物を書こうとすれば、人はたちまち書物の迷宮に閉じ込められる』『迷宮物語は不可能だとしても、(中略)断片の集積のまま提出することはさし当たり可能かもしれない』と述べているように、この本は、様々な視点による世界の断片の集積であって、一つ一つの断片が繋がり、ミクロからマクロへと、迷宮としての書物が構築されていく。本書に収録されている『断片からの世界』にある、ノヴァーリスの『断章』を評した次の文章が、この書物の最も優れた説明であるように感じた。
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寺山修司のエッセイ集。芸術論から自叙伝、競馬に関するものまで幅広く収録されている。『にせ絵葉書』や『童謡』にある「贋作づくり」といった過去に虚構を加えて物語にしていく様や、『かくれんぼ』など、寺山修司の重要なモチーフが散見される。中でも僕が興味深かったのは『机の物語』である。寺山は机を持たず、喫茶店や中華料理屋を転々としていたという。
『机という「ものを書くための台」が製作販売されるようになってから文学者は書斎という座敷牢に自己監禁するマゾヒスティックな快楽の虜になり、街のダイナミズムから遠ざかってしまった』『机とは「在る」ものではなく「成る」ものなのだ』
寺山修司のエッセイ集。芸術論から自叙伝、競馬に関するものまで幅広く収録されている。『にせ絵葉書』や『童謡』にある「贋作づくり」といった過去に虚構を加えて物語にしていく様や、『かくれんぼ』など、寺山修司の重要なモチーフが散見される。中でも僕が興味深かったのは『机の物語』である。寺山は机を持たず、喫茶店や中華料理屋を転々としていたという。
『机という「ものを書くための台」が製作販売されるようになってから文学者は書斎という座敷牢に自己監禁するマゾヒスティックな快楽の虜になり、街のダイナミズムから遠ざかってしまった』『机とは「在る」ものではなく「成る」ものなのだ』
危険な書物であり、僕は完全に毒されてしまった。僕はとても嬉しい。読書は毒されるに限る。シオラン自身の言葉を借りるなら、シオランは「発作的な思想家」だ。断章によってシオランの思想は紡がれる。懐疑主義や悲観主義というには乾いているというか、透明であると感じた。無味乾燥や純粋さということではなく、何も信じず、「全てのものは崩壊する」という事実をただ見つめている。シオランの文章には強烈な何かが宿っている。詩的と表現したくなるが、少し違うように思う。透明な詩情と言えばいいのだろうか。数多くの、思わず立ち止まりたくなる文章に出会うことになる。いくつか紹介しようと思う。
危険な書物であり、僕は完全に毒されてしまった。僕はとても嬉しい。読書は毒されるに限る。シオラン自身の言葉を借りるなら、シオランは「発作的な思想家」だ。断章によってシオランの思想は紡がれる。懐疑主義や悲観主義というには乾いているというか、透明であると感じた。無味乾燥や純粋さということではなく、何も信じず、「全てのものは崩壊する」という事実をただ見つめている。シオランの文章には強烈な何かが宿っている。詩的と表現したくなるが、少し違うように思う。透明な詩情と言えばいいのだろうか。数多くの、思わず立ち止まりたくなる文章に出会うことになる。いくつか紹介しようと思う。
x.com/g_bungeibu/s...
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