冬の蠅/梶井基次郎
女生徒/太宰治
春琴抄/谷崎潤一郎
銀河鉄道の夜/宮沢賢治
眠れる美女/川端康成
城の崎にて/志賀直哉
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない/桜庭一樹
ティファニーで朝食を/カポーティ
ライ麦畑でつかまえて/サリンジャー
ロリータ/ナボコフ
中島らもの処女作(正確にはその前に自費出版の「全ての聖夜の鎖」がある)。物語は主人公の家出から始まる。所在なき放浪。それは、会社で働きながらもどこかちぐはぐな、主人公の世界に対する心情にも重なる。『ぼくはガスのように希薄で不安定です』という言葉のように、崩れてしまいそうな、ギリギリの均衡の生。この作品の中島らもの言葉は、俗で汚い。しかし、透明で美しい。作中の言葉『きれいは汚い、汚いはきれい』そのものだ。そして、作者自身はあとがきで次のように述べている。『全てドキュメントを素にして再構成されている。だから痛痒く、美しく、糞の匂いがしつつも透明だ』
中島らもの処女作(正確にはその前に自費出版の「全ての聖夜の鎖」がある)。物語は主人公の家出から始まる。所在なき放浪。それは、会社で働きながらもどこかちぐはぐな、主人公の世界に対する心情にも重なる。『ぼくはガスのように希薄で不安定です』という言葉のように、崩れてしまいそうな、ギリギリの均衡の生。この作品の中島らもの言葉は、俗で汚い。しかし、透明で美しい。作中の言葉『きれいは汚い、汚いはきれい』そのものだ。そして、作者自身はあとがきで次のように述べている。『全てドキュメントを素にして再構成されている。だから痛痒く、美しく、糞の匂いがしつつも透明だ』
『語の意味とは何か』という言葉から始まるウィトゲンシュタインの言語との格闘。全ての哲学問題を解決したとする前期の「論理哲学論考」から変化し、ここには暗闇の中でもがき、格闘するウィトゲンシュタインの姿がある。語の意味と問われると、僕らはそこに何かを対応させようとしてしまう。だがウィトゲンシュタインはこれは陥りやすい誤りだとする。『実際の用法にはきっぱりした境界がないのだから』ウィトゲンシュタインは徹底して、実際に言語がどのように使われているかという視点を持つ。「私」の感覚と「他者」の感覚に関する考察も面白かった(永井均を彷彿とさせる)。
『語の意味とは何か』という言葉から始まるウィトゲンシュタインの言語との格闘。全ての哲学問題を解決したとする前期の「論理哲学論考」から変化し、ここには暗闇の中でもがき、格闘するウィトゲンシュタインの姿がある。語の意味と問われると、僕らはそこに何かを対応させようとしてしまう。だがウィトゲンシュタインはこれは陥りやすい誤りだとする。『実際の用法にはきっぱりした境界がないのだから』ウィトゲンシュタインは徹底して、実際に言語がどのように使われているかという視点を持つ。「私」の感覚と「他者」の感覚に関する考察も面白かった(永井均を彷彿とさせる)。
youtu.be/CK9e6M2sc3M?...
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www.youtube.com/live/sW4hsmy...
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主に迷宮に関するエッセイが集められている。著者はあとがきで『迷宮としての書物を書こうとすれば、人はたちまち書物の迷宮に閉じ込められる』『迷宮物語は不可能だとしても、(中略)断片の集積のまま提出することはさし当たり可能かもしれない』と述べているように、この本は、様々な視点による世界の断片の集積であって、一つ一つの断片が繋がり、ミクロからマクロへと、迷宮としての書物が構築されていく。本書に収録されている『断片からの世界』にある、ノヴァーリスの『断章』を評した次の文章が、この書物の最も優れた説明であるように感じた。
(1/n)
主に迷宮に関するエッセイが集められている。著者はあとがきで『迷宮としての書物を書こうとすれば、人はたちまち書物の迷宮に閉じ込められる』『迷宮物語は不可能だとしても、(中略)断片の集積のまま提出することはさし当たり可能かもしれない』と述べているように、この本は、様々な視点による世界の断片の集積であって、一つ一つの断片が繋がり、ミクロからマクロへと、迷宮としての書物が構築されていく。本書に収録されている『断片からの世界』にある、ノヴァーリスの『断章』を評した次の文章が、この書物の最も優れた説明であるように感じた。
(1/n)