統一教会の信者である私の生みの親は、いまも見えない戦争をつづけている。組織に命じられるままに人からお金をとるか命をとるかの違い。
統一教会の信者である私の生みの親は、いまも見えない戦争をつづけている。組織に命じられるままに人からお金をとるか命をとるかの違い。
煽り耐性。熱狂にのらずに孤立する勇気。そういう技術を人が共存するための知恵としてどこかで(まちがいなく義務教育の外で)身につけていかなければいけない。
煽り耐性。熱狂にのらずに孤立する勇気。そういう技術を人が共存するための知恵としてどこかで(まちがいなく義務教育の外で)身につけていかなければいけない。
しかしそうした類の激しさを、80年代消費社会は消費財として残酷に捕捉していくわけである。「自主制作盤」は「インディーズ」に変わっていく。その出口の無さを突破するためには、アイロニーやシニカルな笑いが必要だった、という側面は確実にあるはずだ。2025年からは極めて掴みづらい文脈だが。
しかしそうした類の激しさを、80年代消費社会は消費財として残酷に捕捉していくわけである。「自主制作盤」は「インディーズ」に変わっていく。その出口の無さを突破するためには、アイロニーやシニカルな笑いが必要だった、という側面は確実にあるはずだ。2025年からは極めて掴みづらい文脈だが。
ではそれより上の世代、50年代生まれのプレイヤーたち(年少時にサイケデリックを体験し、パンク・ニューウェーブ期にはプレイヤーになっていたような世代)が共有し得たものとはなにか。それは脱社会的な感覚だったのではないかと思う。既存システムからの、(ときにはエクストリームな形での)離脱。
ではそれより上の世代、50年代生まれのプレイヤーたち(年少時にサイケデリックを体験し、パンク・ニューウェーブ期にはプレイヤーになっていたような世代)が共有し得たものとはなにか。それは脱社会的な感覚だったのではないかと思う。既存システムからの、(ときにはエクストリームな形での)離脱。
いわゆるYMOチルドレンのなかには戦後民主主義的なものを最良の形で表現した作家が多くいる、と書いたけど(高野寛やTHE BOOMらを想定している)、アイロニカルな表現を多用したナゴム関係のプレイヤーたちにも、核の部分では実は同じような作家的資質を抱えた人たちが多くいると、自分は考えている。
いわゆるYMOチルドレンのなかには戦後民主主義的なものを最良の形で表現した作家が多くいる、と書いたけど(高野寛やTHE BOOMらを想定している)、アイロニカルな表現を多用したナゴム関係のプレイヤーたちにも、核の部分では実は同じような作家的資質を抱えた人たちが多くいると、自分は考えている。
なので、インディであろうとすることは、そういう理屈から独立しようとすることでもあるわけで。これもスーパー当たり前の話。
なので、インディであろうとすることは、そういう理屈から独立しようとすることでもあるわけで。これもスーパー当たり前の話。