誤解のないように言っておくが別に私は虐待されていたわけではない。どちらかというなら「何不自由ない暮らし」をさせてもらっていた。それがなぜか小学校四年生の時、自分の居場所がどこにもないことに気が付く。私は異物であり、どこにいても弾き飛ばされるのだと、それはもうどうしようもなくそう思ってしまうのだ。そしてあの事件のような悲惨な出来事が自分を救うのだと感じてしまう。
誤解のないように言っておくが別に私は虐待されていたわけではない。どちらかというなら「何不自由ない暮らし」をさせてもらっていた。それがなぜか小学校四年生の時、自分の居場所がどこにもないことに気が付く。私は異物であり、どこにいても弾き飛ばされるのだと、それはもうどうしようもなくそう思ってしまうのだ。そしてあの事件のような悲惨な出来事が自分を救うのだと感じてしまう。
これもずいぶん昔になるのだが、横浜で数人の少年たちがホームレスを襲撃して殺した事件で、少年たちがゴミを掃除しただとかスカッとしただとか言っているのを聞いて衝撃を覚えた。あのホームレスは私だと思った。殴られ蹴られ悲鳴を上げて逃げまどいながら死んでいくのは私だと。現実にはそういう暴力が怖くて堪らないのに、なんでそんなところに救いを感じるのか、自分にもよくわからない。
これもずいぶん昔になるのだが、横浜で数人の少年たちがホームレスを襲撃して殺した事件で、少年たちがゴミを掃除しただとかスカッとしただとか言っているのを聞いて衝撃を覚えた。あのホームレスは私だと思った。殴られ蹴られ悲鳴を上げて逃げまどいながら死んでいくのは私だと。現実にはそういう暴力が怖くて堪らないのに、なんでそんなところに救いを感じるのか、自分にもよくわからない。