映像、音声、言葉、文字、身体など、複数のアスペクトが多面的に組み合わさる場としての「画面」の中で何が起こっているのかを具体的かつ丁寧に読み解いていくことで、映画監督がそれぞれの作品群で反復している「クセ」にフォーカスを当てる演出論。シンプルで軽やかな語り口ときわめて独創的な指摘の数々に、ページを繰るのが楽しくて仕方がなかった。「論」としては若干食い足りない部分もあれど、「映画を語る」際の入門書として、塩田明彦『映画術』と(「批評家視点/実作者視点」という対としても)抱き合わせで広く読まれてほしい本だな、と思った次第。
映像、音声、言葉、文字、身体など、複数のアスペクトが多面的に組み合わさる場としての「画面」の中で何が起こっているのかを具体的かつ丁寧に読み解いていくことで、映画監督がそれぞれの作品群で反復している「クセ」にフォーカスを当てる演出論。シンプルで軽やかな語り口ときわめて独創的な指摘の数々に、ページを繰るのが楽しくて仕方がなかった。「論」としては若干食い足りない部分もあれど、「映画を語る」際の入門書として、塩田明彦『映画術』と(「批評家視点/実作者視点」という対としても)抱き合わせで広く読まれてほしい本だな、と思った次第。
TVのちっさい画面にはもったいないほど贅沢な撮影、セット、美術、役者陣をふんだんに揃えた、堂々たる「映画」だった。「河川を2つに割ってド真ん中を走る遊歩道」というロケ地選びの時点で優勝。
旧宅の上空写真/新宅の図面と、沖田監督印の「俯瞰」モチーフが序盤からバシバシ出てくるけども、今回はドールハウス状の断面で見せる新宅セットが、枠をはみ出て撮影現場にまでフレームを後退させる徹底ぶりで、それはもはや『ライフ・アクアティック』を超えて『底抜けもててもてて』なんよ。ひたすら眼福。
TVのちっさい画面にはもったいないほど贅沢な撮影、セット、美術、役者陣をふんだんに揃えた、堂々たる「映画」だった。「河川を2つに割ってド真ん中を走る遊歩道」というロケ地選びの時点で優勝。
旧宅の上空写真/新宅の図面と、沖田監督印の「俯瞰」モチーフが序盤からバシバシ出てくるけども、今回はドールハウス状の断面で見せる新宅セットが、枠をはみ出て撮影現場にまでフレームを後退させる徹底ぶりで、それはもはや『ライフ・アクアティック』を超えて『底抜けもててもてて』なんよ。ひたすら眼福。
永劫回帰も、あの大哲人ニーチェが……!と気負わずに、そのへんの船大工のおっちゃんもこねくり回してた与太話だと思うと、なんだか取っつきやすく感じてきますわね。
永劫回帰も、あの大哲人ニーチェが……!と気負わずに、そのへんの船大工のおっちゃんもこねくり回してた与太話だと思うと、なんだか取っつきやすく感じてきますわね。
官僚社会/会社社会の不条理を生き抜こうと七転八倒するフリーランスの話でもあり、すごく虚無的で厭~な気持ちになる。少なくとも「笑える」小説ではないですね個人的には。
官僚社会/会社社会の不条理を生き抜こうと七転八倒するフリーランスの話でもあり、すごく虚無的で厭~な気持ちになる。少なくとも「笑える」小説ではないですね個人的には。
「性」「重力」「時間」といった、人間にとっての「生得性=逃れ得ないもの」にとことん抗いつづける、「アンチ・セクシャル」「アンチ・フィジカル」「アンチ・クロノス」的感性の表出としての「ボーカロイド」論。その「厨二病」的潔癖性を全面擁護する著者の姿勢が何より誠実だと思った。「個別の具体的な複数の歌声が、同じ「時間のプール(貯水池)」から生まれ」「あらゆる可能な組み合わせによる歌が噴出しつづける」(502頁)ボーカロイドを、「愚直なほどに」「真に音楽な」営為として評する最終章は、ぽわぽわP(椎名もた)への追悼という意味でも感動的。
「性」「重力」「時間」といった、人間にとっての「生得性=逃れ得ないもの」にとことん抗いつづける、「アンチ・セクシャル」「アンチ・フィジカル」「アンチ・クロノス」的感性の表出としての「ボーカロイド」論。その「厨二病」的潔癖性を全面擁護する著者の姿勢が何より誠実だと思った。「個別の具体的な複数の歌声が、同じ「時間のプール(貯水池)」から生まれ」「あらゆる可能な組み合わせによる歌が噴出しつづける」(502頁)ボーカロイドを、「愚直なほどに」「真に音楽な」営為として評する最終章は、ぽわぽわP(椎名もた)への追悼という意味でも感動的。
>小笠原鳥類『吉岡実を読め!』(ライトバース出版)
>小笠原鳥類『吉岡実を読め!』(ライトバース出版)
「これもまるで鳥のようなパウロの体が足を蹴上げて飛び出したが、上部に多すぎない肉附きのある脚の動きは、水面を飛ぶ蛙のように跳ね踊るようで、ギドウの眼を楽しませるのだ。」(168頁)
「(今ギドが向うから来たら、僕は飛んで行って飛びつくんだ。そうしてどんな時だって、どんなことがあったって、獅噛みついているんだ)」(181頁)
これ、猫の動き以外の何物でもないんだわ。猫のしなやかで気まぐれで用心深い仕草1つ1つを細やかに観察した人にしか描けない描写のつるべ打ち。それが1人物の筆致の内に昇華されてる。めっちゃ感動した。
「これもまるで鳥のようなパウロの体が足を蹴上げて飛び出したが、上部に多すぎない肉附きのある脚の動きは、水面を飛ぶ蛙のように跳ね踊るようで、ギドウの眼を楽しませるのだ。」(168頁)
「(今ギドが向うから来たら、僕は飛んで行って飛びつくんだ。そうしてどんな時だって、どんなことがあったって、獅噛みついているんだ)」(181頁)
これ、猫の動き以外の何物でもないんだわ。猫のしなやかで気まぐれで用心深い仕草1つ1つを細やかに観察した人にしか描けない描写のつるべ打ち。それが1人物の筆致の内に昇華されてる。めっちゃ感動した。
心して読みますぞ。
心して読みますぞ。
「みんながそれぞれに理解していたのよ。そして、彼らは彼らなりに正しく理解していた。」(p.361)という台詞が示すとおり、人は他者、出来事、世界、ひいては自分自身すらも「彼らなりに正しく理解」することしかできず、それはつまり「何かを本質的に理解することなど、端的に不可能である」ことの逆説的言い換えに過ぎないのだ。
このシニカルなテーゼを根幹に据え、「一見無関係な痕跡の断片から意味の体系を見出し「理解」に至る」プロセスをプロット上に組み込んだ「推理小説」というジャンルのフォーマット上で繰り広げる批評性の高さ。これは名作……。
「みんながそれぞれに理解していたのよ。そして、彼らは彼らなりに正しく理解していた。」(p.361)という台詞が示すとおり、人は他者、出来事、世界、ひいては自分自身すらも「彼らなりに正しく理解」することしかできず、それはつまり「何かを本質的に理解することなど、端的に不可能である」ことの逆説的言い換えに過ぎないのだ。
このシニカルなテーゼを根幹に据え、「一見無関係な痕跡の断片から意味の体系を見出し「理解」に至る」プロセスをプロット上に組み込んだ「推理小説」というジャンルのフォーマット上で繰り広げる批評性の高さ。これは名作……。
「大村湾内を疾走しているあいだに私は一種の指揮官としての呼吸を体得して行ったようであった。」(p.159)
「呼吸を体得して行った」という、あくまで語り手の身体の感覚に即して内側から知覚した世界を緻密に描きつつ、直後に「ようであった」を連結することで、その内実であるはずの出来事=記憶は、どこまでも曖昧で茫漠としてとらえどころがないものとして現出する。こんな奇体な文章を作品全編にわたって展開する島尾敏雄、めたんこテクニカルな作家やんけ、と改めて思った。
「大村湾内を疾走しているあいだに私は一種の指揮官としての呼吸を体得して行ったようであった。」(p.159)
「呼吸を体得して行った」という、あくまで語り手の身体の感覚に即して内側から知覚した世界を緻密に描きつつ、直後に「ようであった」を連結することで、その内実であるはずの出来事=記憶は、どこまでも曖昧で茫漠としてとらえどころがないものとして現出する。こんな奇体な文章を作品全編にわたって展開する島尾敏雄、めたんこテクニカルな作家やんけ、と改めて思った。
ということで、田辺聖子『週末の鬱金香』(中公文庫)読み。おせいさんの書く、「はんなり」という情緒を体現したまろやかな大阪弁のダイアローグの数々が、どこまでも心地よい短編集。普段は「よそ行き」のことばである標準語で喋っている一人暮らしのキャリアウーマンや妙齢の女性のヒロインが、「温い湯にほとびるように、男に心が寄り添ってゆく」瞬間、ふとやわらかな大阪弁が口からまろび出る。そのつつましい官能性。
根底にある死生観が存外ドライでシビアなことにも、背筋がソクソクするようなよさがございました。
ということで、田辺聖子『週末の鬱金香』(中公文庫)読み。おせいさんの書く、「はんなり」という情緒を体現したまろやかな大阪弁のダイアローグの数々が、どこまでも心地よい短編集。普段は「よそ行き」のことばである標準語で喋っている一人暮らしのキャリアウーマンや妙齢の女性のヒロインが、「温い湯にほとびるように、男に心が寄り添ってゆく」瞬間、ふとやわらかな大阪弁が口からまろび出る。そのつつましい官能性。
根底にある死生観が存外ドライでシビアなことにも、背筋がソクソクするようなよさがございました。
・自宅の本棚
・買った本
・借りてきた本
・積ん読本
を惜しげもなく軽率に見せびらかしてほしいところある。、と思ったので発言者が率先して本棚をさらします(なお9割積ん読本です)。
・自宅の本棚
・買った本
・借りてきた本
・積ん読本
を惜しげもなく軽率に見せびらかしてほしいところある。、と思ったので発言者が率先して本棚をさらします(なお9割積ん読本です)。