まわるフリフリのフリ
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つましい生活をしています。
ギデンズ・コー監督『赤い糸 輪廻のひみつ』最終上映。実は昨日も観に行き、クライマックスでインサートされる場面の流れを注視していたら、これまで全く気付いていなかったのだけれど、直前にシャオミーが

「思い出した…」

と言うのである。つまり、最初からその場面が入ることは決まっていたのだ。それにしても、5回鑑賞しておきながらその台詞に昨日まで気が付かなかったと言うのはどう言うことであるか?おそらく、この場面の前後では感情が強く攪拌されており、ついでに顔面にある水栓がほぼ開放状態に陥っていたことで機微を取り逃していたのではないか。ただ、この場面は初見時から注目していたので、台詞は耳に入っていたものの
November 30, 2025 at 2:49 PM
『赤い糸 輪廻のひみつ』鑑賞。何度観ても本当に素晴らしい娯楽映画である。ギデンズ・コー監督はネットでの作家から映像に入ってきたという経歴らしいのだけれど、本作を見ると脚本の段階でどれくらい映像の仕上がりを脳内で設計していたのか非常に興味がある(本作は編集の巧みさでも快楽をもたらす)。今回の鑑賞では(※ネタバレはしません)クライマックスでほんの4〜5秒ほど挿入される、そこまでの流れから見ると唐突な印象もあるシーンがあるのだけれど、そこである人物から静かで落ち着いた、しかし強い意思を込めて発声される「必ず見つける」の一言が凄まじく感動的(かつカッコイイ)で身震いした。
November 24, 2025 at 2:43 PM
だいぶ昔、どこで見かけたのか覚えていないのだけれど、蓮實重彦『ボヴァリー夫人論』で、原作テキストで描写された、とある場面を(脳内で)3Dに起こしてレイアウトを確定させ、その状況から登場人物の動作が受ける制約や可動範囲を見込んで論評する…というようなことが書かれてあると紹介されており、そんな読み方があるのかと衝撃を受けたのだが、この若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』の冒頭で紹介されるナボコフ文学講義におけるトルストイ『アンナ・カレーニナ』での「白樺の老樹の霜の針」の場面レイアウトへの言及を読んで、再びえも言われぬ感激を覚えた。この序文で掴みは十分で、多大な興味を持って本文考察へ突入する。
November 2, 2025 at 4:41 PM
読書10月分1冊目。まずは地球温暖化を主題にしたSF『ターミネーション・ショック』が出ると聞いて、なぜか今さら古本でニール・スティーブンスン『スノウ・クラッシュ』購入。刊行当時はどこの書店でも見かけ、いつか読んでみたいと思いつつ27年(!)が経過してしまったのだけれど、今見ても個性的な装丁だと思う。
さて、上半期に読み進めたハン・ガンの詩のような簡素な文体作品の反動で、久々にコテコテのアメリカSFを読み始めたものの、何かが欠落しているような印象を覚え、その正体は何だろうと考える。→
November 2, 2025 at 2:14 PM
マルグリット・ユルスナール『火 散文詩風短篇集』。短編集だし薄い本だから軽く読めるかなと思ったら、3週間弱かかった…。神話・伝説モチーフという、没入するには敷居の高い題材であったことも要因だろうけれど、これまで読んだユルスナールの作品を思い返してみて気付いたのは(僕に限って言えば)ユルスナールの小説世界が魅力を発揮するのは一人称で書かれた場合なのではないか?という点。本書でも三人称で書かれたものはなかなか読み進めるのが困難で、一人称のもの(主に独白となる)は主題と表現が密接にリンクし、情況を把握しやすく感じた。積読状態の『ハドリアヌス帝の回想』は世間の評価の高さから一人称なのではないかと推測。
November 2, 2025 at 12:30 PM
体調不良と日々に忙殺されて書けなかった読書メモ、まずは9月分。

宮沢章夫『きょうはそういう感じじゃない』。2001年頃『青空の方法』を同僚に貸してもらって電車内で笑いを噛み殺していたのが最初の出会い。本書に収録されたメインパートは2014〜2015年に書かれたもので、作者独特のズレた視線・笑いの質は相変わらずそのまま。 →
November 2, 2025 at 12:12 PM
昨日11月1日、新文芸坐にてギデンズ・コー監督『赤い糸 輪廻のひみつ』同作3回目の鑑賞。1回目と同じ場面でボロ泣きが始まり、映画ラストまで大量の涙と鼻水を垂れ流し続け、ポケットティッシュを使い果たした。周囲の観客の迷惑にならなかったことを願う。

あらゆるエンタメ要素をごった煮のてんこ盛りにした本作から装飾を剥がしとって現れる大筋は、失われた記憶を取り戻していくことにある。主人公の置かれた立場が最も分かりやすいけれども、2人のヒロインやその他のほとんどの登場人物も、転生が成功して記憶がリセットされれば同じような状況に置かれる。つまり本作では「覚えている事」が苦悩を呼び寄せる要因となるのだ。 →
November 2, 2025 at 10:07 AM
ヨアヒム・ローニング監督『トロン:アレス』鑑賞。とても不思議なのだが、アクションシーンでのCG云々よりも登場人物の間で交わされる「言葉」になぜか惹かれるものがあって、そのピークは中盤でとある感情を表す際に「言葉に出来ない」という翻訳不能な事象に、「面白い」と返すジェフ・ブリッジスの場面だったりする。幾度か立ち現れる、面白い奴と認識して異種の間に奇妙な仲間意識が生まれる瞬間、それが本作のドラマではないか。期待値マイナスで出掛けたせいか、ジェフ・ブリッジスが本物(笑)だったことの感激もあってとても好印象。オリジナル含め本シリーズの3作は全て公開時に劇場で観たことになった。我が人生の欠片の一部。
October 25, 2025 at 4:01 PM
岩井澤健治監督『ひゃくえむ。』鑑賞。原作は知らないのだけれど、本作を観た限りでは10秒が主人公。なので10秒が現れる時にセリフは無いし、何も語らないけれどその周辺は登場人物が様々な解釈で埋めてくれる。その周辺とはもちろん多様な人生であって、そこに注視してしまうと本作も凡庸に堕ちてしまうのだが、10秒という時間の尺度に気付くとそれまで見ていた景色が一瞬で変わる。考えようによっては10秒はいわばドラッグでもある。僕はそんな風に考えるし、そうやって思い返せばかなり攻めたアニメーション映画だった。監督の前作『音楽』が好きな人は本作も観るべし。
October 18, 2025 at 2:22 PM
ポール・トーマス・アンダーソン監督『ワン・バトル・アフター・アナザー』鑑賞。冒頭の場面で音楽が流れてきて「この音楽、誰だろう?」と思ったのだが、すぐそこにストリングスが絡んできて「ああ、ジョニー・グリーンウッドか」と分かる(そう言えば『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の鑑賞時も、この音楽誰だろう?と思ってしばらくしてから、ああ、ジョニー・グリーンウッドか、と気付いたことを思い出した。もう17年前の事だ)。事前情報全く無しだったけれど、内容の割には笑える場面も多く、何より次世代の「こんな人たち」に未来を賭けているところに希望があって個人的に鑑賞後の印象はとても良かった。最後の場面は泣いてしまった。
October 4, 2025 at 3:50 PM
「BEAT」来日公演@武道館ライブに行ってきました。80年代クリムゾンの楽曲のみを詰め込み、当時の音(いわゆる80年代の軽い感じの音)を現代に合わせかなり重厚にブラッシュアップした1時間40分ほどのプレイを堪能しました(19時スタート、途中20分休憩を挟み21時前まで)。エイドリアン・ブリューの声量は全く衰えておらず、また、トニー・レヴィンのスティックは、これまで過去に聴いてきたどのライブよりも低音が前に出ており、かつ輪郭のエッジも効いていて、そのベース音だけでも素晴らしかったです。近年の本家クリムゾンではスルーされていた「パート3」をライブで直に聴くことも叶い、行って良かったと思いました。
September 1, 2025 at 3:13 PM
ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』。詩集。ゆっくり読み進めている中で、てっきり、僕は、これらの詩篇は作者が病んでいる状態から次第に回復していくような印象を持ったのだけれど、訳者あとがきの対談を読んで、時系列としては逆であると知って驚いた。なるほど最後の第5章に満ちている活力のようなものは、若さ、を起因としているのか…と。
収められた詩の中にある幾つかのモチーフは、以前読んだ短編などにも頻繁に出てくる。

僕も少しだけ回復…したような気がする。この狂った夏の間、数年ぶりに「本を読んでいる時間がとても楽しい」と肉体と精神で実感したのが、8月の印象である。
August 31, 2025 at 3:21 PM
死を扱う小説が続いたので、積読の中からケヴィン・ブロックマイヤー『終わりの街の終わり』をサルベージ。冒頭からの細かい描写にアメリカの小説だなあと感じつつ、しかし地球に残った最後の一人をどう描き切るのかというところに興味が湧いた。ピクサー『リメンバー・ミー』を観ていると比較的スムーズに本作の世界設定が飲み込める。いかにもアメリカ的主人公は僅かな可能性に掛けて行動を起こすが、ファンタジー的な「向こう側」を配置しているからこそ、主人公に降りかかる現実は過酷で容赦がない。文字通りの意味で「人知れず迎える死」は、『ある一生』や『サイレントシンガー』が持つ視座と共通しているのかもしれない。
August 31, 2025 at 2:57 PM
小川洋子『サイレントシンガー』。久々に訪れた書店で棚の間を回遊している時にたまたま見かけて、音楽を題材にしているのだろうかとタイトルに興味を持って読んでみた。小川洋子の作品を読むのは、今から20数年前にたまたま購入した文芸誌に全文掲載されていた『博士の愛した数式』以来である。淡々とした人生の描写とその静かな終わりが描かれているのだけれど、読み終えたときの印象がローベルト・ゼーターラー『ある一生』にとても近く、おそらく多くの市井の人はこうやって人知れず、突然に死んでいくのだろうと思い、近年はそういう終わりの迎え方に惹かれるのだが…最後のイベントは全くプラン通りに行かないものであるよ。
August 31, 2025 at 2:31 PM
ハン・ガン『少年が来る』。光州事件を扱っているということで、読み始めるのに気合いが必要だった。これまで読んできた余白の多い文体とは違うのだろうかと思ったが、意外にもそのままのスタイルで、事件に居合わせた人たちと場所と時間を遷移しながら、あの出来事を風化させないよう紙面に刻み込んでいる。子を失った母親の視点は、個人的にこれまでにない読書体験で強く印象に残る。酷な描写も多々あり、誰にでも勧められる本というわけではないけれど、不思議なのだが、いつか再読したいと思った。
August 31, 2025 at 2:09 PM
久しぶりに5時台に目が覚めたので、小川洋子『サイレントシンガー』を横になったまま少し読み進める。ちょうど物語の真ん中あたり、全く不意に訪れた、新しい展開を見せる場面。
August 7, 2025 at 8:54 PM
第5章「夜の瞳」に入ると間もなく、先の聴取が医師の問診ではなく、事件に関する学者の論文のためのものだったか…と気付く。話者が「先生」と言っていたのを精神科の医師かと思ったが、インタビューだったのだろう、おそらく(まだ5章の序盤なので仮定)。
July 21, 2025 at 10:44 PM
だらりと横になって、極めてゆっくり読み進めているハン・ガン『少年が来る』の第4章「鉄と血」は最後、過酷な拷問を経験した話者が、自分を診る医師に問いかけるところで終わる。
July 21, 2025 at 3:57 AM
先々週からハン・ガン『少年が来る』を極めてゆっくりと読み始め、ようやく第2章の終盤まで来た。酷な内容である。
久しぶりに体調が良く、どこかへ出かけても良い許可が脳内から出たので数ヶ月ぶりに紀伊國屋へ行く。本を求めている人がまだこんなにも居るのだ、という光景に喜びを覚える。

詩集コーナーに寄って見知らぬ詩人たちの新刊を眺める。
外国文学の棚の前でゆっくり世界を一周する。

迷いに迷って、ひとまず次の3冊を買う。
ルシア・ベルリン『楽園の夕べ』
小川洋子『サイレントシンガー』
ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』
July 6, 2025 at 3:07 PM
今朝は構想だけ。
一旦、『P-S#424』の作業は保留にして、物理音源をメインに据えた音楽を作りたい。頭の中ではなんとなく、奥行きを伴う形状と色彩、サイズ、細部の脈動はイメージできているけれど、生き物なので途中で成長と衰退を繰り返すのだろう。

骨格にはハードウェアのMutable Instruments Elementsを使う。それを覆う外観にソフトウェアのPlasmonic、imagineを使うつもり。
June 16, 2025 at 10:53 PM
早朝作業『P-S#424』全編を繰り返し試聴して気になる箇所のピックアップ。今週、意外にも早く調整が進んで、もしかしたら今月中に終わるかもしれない。何気なく、ZynaptiqのINTENSITY2を試用してみたのが、かなり大きく影響した。

これが終わったら、ゼロから何か新しい音楽を作ってみたいな…と思う。久々に。
June 6, 2025 at 10:12 PM
今日の早朝作業は昨日「無限音階」を終えたので、「轟音パート」のミックス調整。一番難しい曲。気分が乗らないと捗らない相手だが、今朝の気分は今ひとつ。余裕を持たせて今週中に目処が経てば良い…という態度で始めてみる。
June 3, 2025 at 10:23 PM
DP「無限音階」を開いて作業開始。水滴の音の選別とリタイミング。仕事に出る前に終わらせる。
June 2, 2025 at 9:48 PM
帰宅即DP「ノスタルジア」展開してミックス調整作業。今朝、イントロ部分で装飾的なトラックをざっくり削ってすっきりしたので、今アウトロもそれに即したエディットを施し、いい感じにまとまってきた、ような気がする。
June 2, 2025 at 12:56 PM
全く想定外に9時間寝てしまった。ついさっき起きたばかりである。9時間寝てしまうって10代かよ。というのも昨日は基本的にずっと音楽作りに集中していたのだけれど、合間合間にプロテイン飲みながら簡単でささやかな筋トレを一日していたからかもしれない。もう歳なので年々睡眠時間が短くなり、近年は長くても6時間なんだけれど、9時間というのは10年ぶりくらいの気がする。失われた時を求めてこれから珈琲を淹れ、音楽作り開始。
June 1, 2025 at 12:10 AM