ツヤマ
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@farewell-rabaul.bsky.social
戦史用のメモ帳として使っています
(フォロバしていません)
https://yryk.seesaa.net/article/118609397.html
戦後、この辺りの地域でどれくらいの遺骨を収集できたかは承知していませんが、おそらく現在でも、何千人分かの遺骨が、ジャヤプラ~サルミ一帯に眠ったままになっていると思われます。

より詳しい経緯は、以下のページをご覧ください。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...

また、手持ちの書籍から、撤退路の地図を以下に貼ります。
よろしくお願いいたします。
March 14, 2025 at 11:47 AM
これらの部隊のトル河渡河が許可されたのは、要するに、雪兵団にとって役に立つ部隊だと見なされたためですが、ということは、この5航通が何らかの装備を維持することができていたのかな、という推測ができるかもしれません。

ちなみに、ホーランジアからの撤退部隊は、後にサルミ近郊のシハラで自活して(させられて)おり、結局500名程度しか生き残ることができませんでしたが、その部隊編成は以下の通りです(『濠北を征く』より)。
5航通も、その後シハラに移っているようなので、ここで無線を受けた可能性はあるかもしれませんね。

いずれにせよ、良いご示唆をいただき、大変ありがとうございました。
June 19, 2024 at 2:17 PM
(承前)もう1冊は、松岡覚少尉の『戦場の滅びと光り 回想の西部ニューギニア』(開発社)。
著者の属した第4中隊は、ホーランジアでは支隊本部と離れた海岸沿いに配置され、敵上陸後は本隊とはぐれて密林を彷徨。松岡少尉は7月1日、飢餓と病で意識を喪失したところを敵手に落ちる。
なお、冨永少尉と松岡少尉はいずれも、昭和17年2月に松山の西部第62部隊に入隊し、同年10月に久留米第一予備士官学校を卒業、翌年少尉任官。戦後は両名とも愛媛県で公立高校教諭・校長を務め、文部大臣表彰と勲四等瑞宝章を受けている。
June 1, 2024 at 2:03 PM
(承前)南洋第6支隊生還者の回想録は2冊刊行されている。
1冊は、第1大隊歩兵砲中隊の第1小隊長だった冨永尚喜少尉が出版した『悲運薄命の南洋第六支隊』(戦誌刊行会)。部隊の編成から復員までの行動概要を俯瞰的にまとめているほか、全部隊員の名簿も収録しており、半ば部隊史と呼んでもよいような本。
なお、冨永少尉は、サルミ近郊で終戦を迎えた南洋第6支隊の生き残り(大久保中尉以下5名)のうちの1名。
June 1, 2024 at 2:00 PM