蝸牛
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蝸牛
@dendenfish.bsky.social
図書館員。ニセ詩人。
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ここでも告知を。やや先の長い話ですが、来年の5月に詩集を刊行します。現在、鋭意制作中です。刊行日など確定しましたら、またお知らせします。
「ツルコケモモのジャム」?
〈予約受付中・12月中旬入荷予定〉

金原瑞人『英米文学のわからない言葉』(左右社)

“アルコーヴ? プディング? ターキッシュデライト? マントルピース?
砂色の髪? オリーブ色の肌?
英米文学に登場する“わかるようでわからない”おなじみのアイテムや表現を、翻訳家・金原瑞人がひも解く!”

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November 27, 2025 at 5:45 PM
今夜もケラーQでバルトーク。文句のつけようがあるだろうか。それにしても第6番を聴くたびに、いつもショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番を想起してしまう。同じように率直な悲しみの表出であり、生への哀惜であり、非常に私的な告白のように聞こえる。ケラーQの演奏だと、とりわけそう感じてしまう。
November 27, 2025 at 12:28 PM
出版社から組見本とカバーの見本が届いたので、封を開け、中身を床に置き、しばし眺め、恥ずかしい話だけれど、ちょっと涙ぐんだ。胸が一杯になった。これ以上望むべくもない。見本には3篇が刷られており、どれも自分が書いたようではなかった。なんとまあ、綺麗にしてくださって。子供が書いたように、拙い、たどたどしい詩を、こんな装いで送り出してくれるというのだ。ありがたいことではないか。ま、自費出版だけれどね。
November 27, 2025 at 11:07 AM
今夜はケラーQのバルトーク弦楽四重奏曲。どの弦楽四重奏団も、緩徐楽章はやや線が細くなる傾向がある気がするのだが、ケラーQはそんなことはなく、しっかりした芯のある演奏。そして音色の美しさ、豊かさにおいて図抜けている。アルバン・ベルクQと比肩、いや、凌駕しているかもしれない。今聴き始めたばかりだが、第一番は後期ロマン派に合い通じる、新ウィーン楽派に似た官能美があり、びっくりしながら聞き惚れてしまう。
November 26, 2025 at 11:09 AM
フェルメールQのバルトーク弦楽四重奏曲全集が届いたので、早速聴きながらこれを書いている。素晴らしい。これまでは、第一番などは四番や五番と比べると少し見劣りがすると思っていたが、この演奏では全然そんなふうに感じない。老成とみずみずしさ、陰鬱と華麗の交錯する、豊かな傑作だと感じ入る。
November 25, 2025 at 11:09 AM
ここでも告知を。やや先の長い話ですが、来年の5月に詩集を刊行します。現在、鋭意制作中です。刊行日など確定しましたら、またお知らせします。
November 25, 2025 at 10:12 AM
ショスタコーヴィチは24の全ての調性を使って24曲の弦楽四重奏曲を書く構想を立てていたが、第1番から順に聴いていくと、なるほど、少年期、思春期、青年期、壮年期を経て老年に至る楽想が、おぼろげにではあるが見えてくる気がする。どの曲が好き、というより、全体が切れ目のない連作として成立している、その流れに身を任せて聴くのが楽しい。やや芝居がかった狂乱のように聞こえていた曲も、素直に耳に入ってくるようになった。余計な先入観が取り払われたせいだろうか。
November 25, 2025 at 10:08 AM
吉田秀和は若い頃、ショスタコーヴィチの交響曲の中では第9番が一番快い自発性を感じる、と述べており、僕はその言葉が載った文庫本に疑問符を書きこんだ。第9番をあえて軽快な音楽にしたのはいかにも挑発的だが、自発性と呼んでいいだろうか。僕の耳に第9番は、どこか無理をしているような、気乗りしない仕事に向かっているような苦味を感じる。ショスタコーヴィチの交響曲で、もっとも集中力がみなぎる自発性を感じるのは第4番で、ああ、やりたいことを無我夢中でやっているなあ、と思う。もちろん、作品の出来不出来とはまた別の問題である。
November 24, 2025 at 9:33 AM
このところ毎夜ショスタコーヴィチの弦楽四重奏を聴いている。ボロディン弦楽四重奏団による演奏は実に素晴らしく、第14番と15番が入っていないのを残念に思う。彼らならどんな演奏をしただろうと思わずにはいられない。僕が他に聴いているのはエマーソン四重奏団の全集で、バイタリティに溢れた、これはこれで優れた演奏だと感じる。
November 22, 2025 at 12:14 PM
ツイッター(と今でも呼んでいる)は日記を書くには短すぎるし、最近は世相に呼応して気分が荒れたり消沈したりしがちで、ツイートしても消してしまうことが多く、積極的に何かを書きたいという気持ちが失われ、撮った写真をアップするのだけが楽しみになった。
ここは日記に向いていて、気ままに書けるのがいい。
とはいえ、ツイッターを離れるのは寂しいものだ。あの場所がなければ乗りきれなかったことがある。詩集ができたら、あちらで宣伝したり、朗読してみたりしようと考えている。
November 20, 2025 at 12:28 PM
原稿を送った出版社からは、何も返事がない。受領した、のひとこともない。でもまあ、こんなものなのだろう。詩の世界では有名でも、本当に小さな、小さな出版社なのだ。僕も言を左右して迷惑をかけてしまっている。いずれは着地すべきところに着地する。着地した後、在庫の山を抱えて途方に暮れている自分の姿が、今から見えるようだ。
November 20, 2025 at 12:19 PM
今日は久しぶりに疲れが出てしまい、仕事を休んだ。何も疲れるようなことはしていないし、休んでもすることはないのだが、ともあれ午前中は眠って過ごした。
たぶん、食事の栄養バランスが著しく損なわれているからだと思う。
ともかく痩せることが至上命題で、痩せるのならどんなものを食べてもいい、という方針を勝手に立て、パンがなければお菓子を食べればいいのよを文字どおり実践し、それで順調に痩せ、3か月で血液検査は全て適正値になり、主治医を愕然とさせた。嘘のような話だが、本当だ。ほどなくBMIも許容範囲に戻る。だがもし痩身を実現したとしても、目に見えないどこかで何かが確実に失われつつあるだろう。
November 20, 2025 at 12:13 PM
現代詩手帖の投稿欄の選者の方に、「サイコホラーのように怖い」という感想をいただいたことについてあらためて考え、的確な指摘だと思った。たぶん、二つの要因が関係しているのだろうな。
一つは、長年小説を書いてきたこと。描写の過剰な、マジック・リアリズムの影響の濃い小説は、自ずと怪奇に近づく。実際、昔、リトルモアの雑誌で小さな賞をもらった時、「ホラー小説を書いてみませんか」と提案されたこともあった。
もう一つは、2023年10月7日以降、暴力の過剰な情報に曝露されるうちに、詩のありようが自分の中で変わってしまったこと。これは仕方ない、防ぎようのない事態だった。
November 20, 2025 at 12:00 PM
最後に一つエピローグのような短い詩を書いて、これで本当に思い残すことはないと見定め、カバーに使う写真ともども、今日、出版社に入稿した。やれることはやったという気がするが、もとより僕にできることなど大きくも多くもないし、これからしなければならない作業や選択を思うと、達成感にはほど遠い。実際に本の形になったものを見るまでは、茫洋とした気分のままなのだろうな。
November 18, 2025 at 9:18 AM
僕も同じことを考えていた。
だが中国の人々に二度と信用されなくなるほど酷い嫌がらせを、日本人たちはするかもしれない。犬笛を誰かが吹けばたちまち犬に変わる者どもの群れなのだから。
どうか杞憂であってほしい。
国内にいる数多くの中国系の人々のことを思うと暗くなる。彼らが心中穏やかに暮らせることを願う。どうか信用してほしいものだ。
November 15, 2025 at 11:59 AM
詩集は詩を2つ書き足して完成させ、もう頭の中は逆さに振っても何も出てこない、すっからかんの状態になった。表紙のデザインも、タイトルや著者名の配置ともども決めてしまった。やり残したことはなく、気にしているのは紙質と印刷の具合と費用だけ。せいせいしたという気分だが、何の感慨もない。本の形になったものを見れば、あるいは心が動くだろうか。
November 7, 2025 at 9:48 AM
圧倒的に美しいものに打ちのめされること、というツイートを読んで、僕が好きな人は皆同じことを言っておられると気づく。僕もまた、圧倒的に美しいものに打ちのめされてしまいたい。『マタイ受難曲』を初めて聴いた時みたいに。
October 30, 2025 at 10:57 PM
表紙の写真にタイトルと著者名をレイアウトして印刷し、書棚に貼ってある。詩集というよりは、創元推理文庫か、一昔前の夏樹静子のミステリーの表紙に近い。中身もそう言えるかもしれない。見ていてうんざりした気分にならないのは、たぶん最初に抱いていたイメージからそう離れていないからだと信じたい。ともあれ、詩集は、中身を書くより装丁を考える方がずっと楽しいということが分かった。
October 30, 2025 at 10:49 PM
問題の中身の方は、すでにあらかた出来上がっているので、今さらじたばたしても仕方ない。あまり長く手元に置いておいたせいで、何が書いてあるのか、自分でもよく分からなくなってしまった。今書いている途中の詩を締切までに付け加えることができるかもしれないし、できないかもしれない。
October 27, 2025 at 2:08 PM
表紙の写真は再考して、当初想定していたのとは別のものを選んだ。写真などいっさいやめにして、峯澤典子さんの詩集のような、無地に文字をあしらっただけの潔い装丁にするかとも考えたが、せっかく10年ばかり写真を撮ってきたのだから、1枚くらい使っておやりよ、という声が聞こえ、それもそうだな、と思い直した。フォトショップを少しいじってタイトルと著者名を入れ、しばらく眺めて、どうやらあきらめがついた。
October 27, 2025 at 2:01 PM
上製本にするか並製本にするか、結局はっきり決めないまま、見切り発車の形で詩集の製作を始めた。並製本の見積りも作ってくれたが、予想していたよりかなり高く、おやおや、と思うくらいの額になった。いずれにせよ、最初からこの出版社にすると決めていたので、今さら河岸を変えるつもりもない。2冊目を作る機会はたぶんないので、まあせいぜい悩みながら進めることにしよう。
October 27, 2025 at 1:51 PM
来年の5月1日に詩集を出すことに決まった。11月末が原稿の締切で、それまでにあと2、3編を加えるだろう。
October 25, 2025 at 6:25 AM
診察の結果、やはり異常なしだった、との連絡が仕事時間中に来たので、モンブランのケーキを買って帰る。酒を飲まなくなって10年以上経つが、こういう時は飲めないのが残念に思う。ともあれ、敷石の下は砂浜、と肝に命じながら生きていこう。意外と薄い敷石であるようだ。
October 24, 2025 at 9:09 PM
ノーノの『断ち切られた歌』を聴きながら泣く。
October 22, 2025 at 11:58 AM
もう一つの懸念の方は、最初に話を聞いた時は青ざめたが、その後の経過から、まあおそらくは取り越し苦労だろう、ということになった。診察してみなければ分からないが、まず大事には至るまい。あまり脅さないでくれと思う。信仰もないのに、気がつけば、どうか自分の命を代わりに、どうかお願いします、と呟き続けていた。苦笑するしかない。
October 21, 2025 at 9:51 AM