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ハンニバルとかローマ史とか興味あります。doing Hannibal !

軍事史が多めです。古典や犬猫史などもたまに話題にするかもしれません。
【参考文献】

論説「平時戦時に兵卒に温食を給する方法に就て」偕行社編纂部 [編]『偕行社記事』(389),偕行社編纂部,1909-02. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/3544488

佐々木吉良 著『輜重勤務講授録』 全,陸軍大学校将校集会所,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/942272

軍事学指針社 編『原則之栞』第12編,軍事学指針社,大正2. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/916428
国立国会図書館デジタルコレクション
dl.ndl.go.jp
October 16, 2025 at 10:59 AM
北清事変や日露戦争でドイツ軍やロシア軍が本国から持ち込んだ輜重車輌は道路事情などのためあまり役に立たなかったとされますが、装備の差が編制や作戦に対しても影響を及ぼすのですね。

輜重車輌の自動車化による効果は、こうした面でも大きかったように思います。
October 16, 2025 at 10:58 AM
大正2年刊の『原則之栞』第12篇(p.65)などもドイツ軍と比較して軍団制の採用は不可としていますが、やはり日本師団の行軍長径が予想する作戦地にあっては約40kmに亘ることを理由の一つに挙げています。

一司令部が統括するには、一道路上を行軍する一日行程が理想的だとすると、二個師団をまとめて軍団とするのは難しいことになります。

もっとも、上述の2書が挙げているドイツ軍の編制は古いもので、第一次世界大戦頃になると輜重車輌が更に増加し、一軍団の行軍長径は一日行程をはるかに超えていました。
October 16, 2025 at 10:58 AM
大正11年刊の佐々木吉良『輜重勤務講授録』(18f.)は、1903年のドイツ軍の軍団における輜重車輌が兵員千人につき44.4輌なのに対して、大正9年の日本の師団は123輌だとしています。

本邦における歩兵4人に対する輜重車1輌という比率は列強に類例のない多数であり、現制のままでは将来戦に必須の莫大な軍需品補給に支障をきたし軍の機動を妨害するとして、軍団編制の採用が不可であることに多言を要しないと記しています。

ここで軍団制の可否に言及しているのが面白いと思います。

当時の師団の行軍長径は約40kmにも及んだようです。

cf. ibid., 86f.
October 16, 2025 at 10:57 AM
本邦では道路・地勢などの問題から一馬曳二輪の輜重車を採用していたため、主食である米の炊飯も含めた炊事車となると、車数が増え、行軍長径が伸びてしまいます。

戦闘行李に付属したほうが温食提供には有利ですが、戦闘部隊の長径が増加してしまうため、大行李に付属するしかないだろうとしています。

この輜重車輌の形態と行軍長径という問題は、他にも大きな影響を与えています。

一馬曳二輪の軽輜重車であっても、複馬曳や四輪などの大型車輌に比べて馬や車間距離を含めた占有範囲は積載重量ほどには減少しないため、部隊の行軍長径は大きくなります。
October 16, 2025 at 10:57 AM
お読みいただきありがとうございます!

ソープの考えは「劇場のステージ管理」という比喩が有名ですが、クラウゼヴィッツの理論的枠組みの中で論じているという点がポイントだと個人的には思っています。

少しでも面白いと思っていただけたら嬉しいです☺️
October 7, 2025 at 10:35 AM
Reposted by cuniculicavum
こちらもすごい
単なる用語の解説を超えて軍事思想の輸入・受容の歴史としてまとまっている。
October 6, 2025 at 4:37 PM
それは、ぜひ知りたいです!
お待ちしております!!
September 14, 2025 at 9:32 AM
Reposted by cuniculicavum
ということで、Twitterでも遊んでみましたが、竜騎兵を選んでください笑
September 6, 2025 at 2:43 PM