あえて「女々しい」と書いたのは、志賀直哉に仮託されがちな「雄々しさ」「男らしさ」とは対極の行動をとったのではないかという意味で選択してます
あえて「女々しい」と書いたのは、志賀直哉に仮託されがちな「雄々しさ」「男らしさ」とは対極の行動をとったのではないかという意味で選択してます
「ガミガミうるさかった志賀直哉が里見弴に愛想をつかされて絶交された」
という話ではなく、
「一本気な志賀直哉が、失礼な里見弴に腹を立てて絶縁を申し渡した」
という、あくまで志賀が主体の話に切り替わって伝わっているわけです。
個人的には、志賀直哉が「俺が捨てられたわけじゃない」と見栄を張ったのではないかという気持ちがどうしてもぬぐえない……
「ガミガミうるさかった志賀直哉が里見弴に愛想をつかされて絶交された」
という話ではなく、
「一本気な志賀直哉が、失礼な里見弴に腹を立てて絶縁を申し渡した」
という、あくまで志賀が主体の話に切り替わって伝わっているわけです。
個人的には、志賀直哉が「俺が捨てられたわけじゃない」と見栄を張ったのではないかという気持ちがどうしてもぬぐえない……
志賀自身も、本当は絶縁を言い渡されたのは自分の方だとわかっていたのではないかと思います。
なのになぜ彼が、「自分が絶縁状を出した」と言いふらしたのか。
ぶっちゃけ私には志賀の見栄にしか見えませんが、もしかしたら当時の考え方として、絶縁を言い出したほうが悪役に見えるので自分が泥をかぶったというようなこともあるかもしれず、断定はできません。
志賀自身も、本当は絶縁を言い渡されたのは自分の方だとわかっていたのではないかと思います。
なのになぜ彼が、「自分が絶縁状を出した」と言いふらしたのか。
ぶっちゃけ私には志賀の見栄にしか見えませんが、もしかしたら当時の考え方として、絶縁を言い出したほうが悪役に見えるので自分が泥をかぶったというようなこともあるかもしれず、断定はできません。
それを知ってるのは志賀だけです。
弴ではないでしょう。志賀が弴に送りつけた絶縁状には善心悪心のことは書かれてなかったので、弴にはわかっていません。
それどころか、晩年の里見の発言などを見ても、志賀との絶縁の理由は、自分の没交渉宣言にあると考えていたことがわかります。
言えるのは志賀しかいません。大正5年7月の雑誌に掲載された里見作品を読んで激怒した、と知っているのは志賀だけだからです。
それを知ってるのは志賀だけです。
弴ではないでしょう。志賀が弴に送りつけた絶縁状には善心悪心のことは書かれてなかったので、弴にはわかっていません。
それどころか、晩年の里見の発言などを見ても、志賀との絶縁の理由は、自分の没交渉宣言にあると考えていたことがわかります。
言えるのは志賀しかいません。大正5年7月の雑誌に掲載された里見作品を読んで激怒した、と知っているのは志賀だけだからです。
志賀の「正誤」は、雑誌の「文壇暗流史」という記事に、「志賀が怒ったのは里見弴の『俄あれ』である」とされたことへの反論として書かれています。
この「俄あれ」という作品は、「善心悪心」と同じ大正5年7月に発表されているので、おそらく「文壇暗流史」は「大正五年7月に発表された里見作品が原因で、二人は絶縁に至った」という話を耳にして「それは俄あれであろう」と判断したのではないでしょうか。もしくは判断した誰かから「俄あれ」と聞かされた。そう考えるとつじつまが合います。そこで志賀は「善心悪心です」と訂正した。
しかし、ここで考えてほしいのですが
志賀の「正誤」は、雑誌の「文壇暗流史」という記事に、「志賀が怒ったのは里見弴の『俄あれ』である」とされたことへの反論として書かれています。
この「俄あれ」という作品は、「善心悪心」と同じ大正5年7月に発表されているので、おそらく「文壇暗流史」は「大正五年7月に発表された里見作品が原因で、二人は絶縁に至った」という話を耳にして「それは俄あれであろう」と判断したのではないでしょうか。もしくは判断した誰かから「俄あれ」と聞かされた。そう考えるとつじつまが合います。そこで志賀は「善心悪心です」と訂正した。
しかし、ここで考えてほしいのですが