麻井 朝
asaiasadesu.bsky.social
麻井 朝
@asaiasadesu.bsky.social
ライターらしいにんげん。
いぬが好きです
里見弴を調べている
note https://note.com/kapibara2/
多分、自分で思いたい以上に、「女々しく」感情的になったんじゃないかなあと思うんですけどね

あえて「女々しい」と書いたのは、志賀直哉に仮託されがちな「雄々しさ」「男らしさ」とは対極の行動をとったのではないかという意味で選択してます
November 18, 2025 at 2:43 PM
しかし志賀が自分の絶縁状の話を言って回ったことによって、この絶縁は、
「ガミガミうるさかった志賀直哉が里見弴に愛想をつかされて絶交された」
という話ではなく、
「一本気な志賀直哉が、失礼な里見弴に腹を立てて絶縁を申し渡した」
という、あくまで志賀が主体の話に切り替わって伝わっているわけです。
個人的には、志賀直哉が「俺が捨てられたわけじゃない」と見栄を張ったのではないかという気持ちがどうしてもぬぐえない……
November 18, 2025 at 2:25 PM
先ほども書いたように、一切善心悪心について触れていない弴の謝罪を志賀は受け入れています。当時の日記には「気持ちのいい謝罪だった」と書いてもいて、わだかまりを残しつつ謝罪を受け入れたわけでもない。
志賀自身も、本当は絶縁を言い渡されたのは自分の方だとわかっていたのではないかと思います。
なのになぜ彼が、「自分が絶縁状を出した」と言いふらしたのか。
ぶっちゃけ私には志賀の見栄にしか見えませんが、もしかしたら当時の考え方として、絶縁を言い出したほうが悪役に見えるので自分が泥をかぶったというようなこともあるかもしれず、断定はできません。
November 18, 2025 at 2:20 PM
なんで「文壇暗流史」の記者(あるいは記者に話した人)は、志賀が怒ったのが大正5年7月の作品とわかったのか?
それを知ってるのは志賀だけです。
弴ではないでしょう。志賀が弴に送りつけた絶縁状には善心悪心のことは書かれてなかったので、弴にはわかっていません。
それどころか、晩年の里見の発言などを見ても、志賀との絶縁の理由は、自分の没交渉宣言にあると考えていたことがわかります。
言えるのは志賀しかいません。大正5年7月の雑誌に掲載された里見作品を読んで激怒した、と知っているのは志賀だけだからです。
November 18, 2025 at 2:16 PM
ここで「正誤」の話に戻る。
志賀の「正誤」は、雑誌の「文壇暗流史」という記事に、「志賀が怒ったのは里見弴の『俄あれ』である」とされたことへの反論として書かれています。
この「俄あれ」という作品は、「善心悪心」と同じ大正5年7月に発表されているので、おそらく「文壇暗流史」は「大正五年7月に発表された里見作品が原因で、二人は絶縁に至った」という話を耳にして「それは俄あれであろう」と判断したのではないでしょうか。もしくは判断した誰かから「俄あれ」と聞かされた。そう考えるとつじつまが合います。そこで志賀は「善心悪心です」と訂正した。
しかし、ここで考えてほしいのですが
November 18, 2025 at 2:08 PM
「自由な里見弴の自由さまで自分と一体化させたい=支配下に置きたい」という矛盾した欲望が志賀にあったと思うしそれはサルトルで解釈できると思うけど、今時サルトルでもあるまい 40年代くらいなら実存主義的コンビとして一躍志賀&弴が評壇で大人気になってたかもしれないのに……
November 18, 2025 at 1:27 PM
清らかで無垢と思ってたかはわからんが、「俺の定義する無垢」ではあったかもしらんですね
November 18, 2025 at 1:23 PM
ウケる 
昭和のBLだったんですねえ
November 18, 2025 at 1:18 PM
わからないけど、個人的には、ラズベリーを顔周りに持ってきたら顔色がよく見えるという実体験があるので、服はブルベで選んでますが……
November 15, 2025 at 2:17 PM