運転距離が随分短いな、と思ったのだが、早朝には弥富始発と桑名始発が1本ずつあったようだ。もっと以前は矢田普通とか小阪普通みたいに、近距離普通ということで多数あった系統なのか
運転距離が随分短いな、と思ったのだが、早朝には弥富始発と桑名始発が1本ずつあったようだ。もっと以前は矢田普通とか小阪普通みたいに、近距離普通ということで多数あった系統なのか
実際、奈良交通の小型バスは平地の新設ニュータウン路線での躍進が早く、山間のローカル線にまで小型バスが入るようになったのは、奈良交通の小型バス導入の歴史からするとやや後年のことです。
2000年代初頭までの山間部には小型車もいましたが支線系統に多く、ローカル線でも幹線筋は大・中型車が少なからずいたわけです。
実際、奈良交通の小型バスは平地の新設ニュータウン路線での躍進が早く、山間のローカル線にまで小型バスが入るようになったのは、奈良交通の小型バス導入の歴史からするとやや後年のことです。
2000年代初頭までの山間部には小型車もいましたが支線系統に多く、ローカル線でも幹線筋は大・中型車が少なからずいたわけです。
じゃあ閑散路線の維持対策として小型バスを積極導入してきた奈良交通はどういう理屈なのだというわけですが、端的に言って、経験が浅く賃金が未だ上がっていない運転士は小型バスのみ運転可として、見かけ上の小型バスに要する人件費を少なくしているので…
じゃあ閑散路線の維持対策として小型バスを積極導入してきた奈良交通はどういう理屈なのだというわけですが、端的に言って、経験が浅く賃金が未だ上がっていない運転士は小型バスのみ運転可として、見かけ上の小型バスに要する人件費を少なくしているので…
で、MD-26の方ですが、車両カタログを見る限り「回り弁座の…」とか書いてあるので、回り弁だったようです。だとすると、減圧制限弁が欲しかったのかしらん…?それだとME-24Cに後付けすることもできたように思うのですが
で、MD-26の方ですが、車両カタログを見る限り「回り弁座の…」とか書いてあるので、回り弁だったようです。だとすると、減圧制限弁が欲しかったのかしらん…?それだとME-24Cに後付けすることもできたように思うのですが
1910年頃だと思われるが、15秒間隔で110lb(ポンド)のBPを20lbずつ繰り返し減圧した場合の、BC圧力を測定している。対象は客車用として当時最新のL三動弁と、一世代前のP三動弁、それぞれLN、PMブレーキになる。
L三動弁の方は大幅なBC圧低下はないが、P三動弁はもう2回目で、はっきりBC圧が半分程度まで低下している。110lbに対し20lbだと、駅停車での常用制動程度と思うが…急速又込めの機能が切望されることがよく分かる
1910年頃だと思われるが、15秒間隔で110lb(ポンド)のBPを20lbずつ繰り返し減圧した場合の、BC圧力を測定している。対象は客車用として当時最新のL三動弁と、一世代前のP三動弁、それぞれLN、PMブレーキになる。
L三動弁の方は大幅なBC圧低下はないが、P三動弁はもう2回目で、はっきりBC圧が半分程度まで低下している。110lbに対し20lbだと、駅停車での常用制動程度と思うが…急速又込めの機能が切望されることがよく分かる
dl.ndl.go.jp/pid/2482161/...
二圧式の滑り弁構造らしいとは分かっていたものの、これが技術的にどういう系統なのかは分かっていなかったが、日本エヤーブレーキ三十年史に僅かながら記述があった。
要は昭和25年頃、電車用ブレーキとして試作されたNREブレーキというのがあって、これを電制併用としたAMCD自動空気ブレーキという系譜らしい。二圧式だが、WHや国鉄の制式型から脱したものを目指したのだろうか。
dl.ndl.go.jp/pid/2482161/...
二圧式の滑り弁構造らしいとは分かっていたものの、これが技術的にどういう系統なのかは分かっていなかったが、日本エヤーブレーキ三十年史に僅かながら記述があった。
要は昭和25年頃、電車用ブレーキとして試作されたNREブレーキというのがあって、これを電制併用としたAMCD自動空気ブレーキという系譜らしい。二圧式だが、WHや国鉄の制式型から脱したものを目指したのだろうか。
繋ぎ図だと常用部と非常部やCR、QCが別々に書かれているが、どうも部品としては一体構造のようだが…
繋ぎ図だと常用部と非常部やCR、QCが別々に書かれているが、どうも部品としては一体構造のようだが…
いま博物館鉄道として800mが復元されているとは聞いたが…
いま博物館鉄道として800mが復元されているとは聞いたが…
旧月潟駅に保存された新潟交通のモハ11もM-24(-Cかどうかは未確認 圧力計にツリアイ空気ダメと書いてあるので、M-24-Cと思われるが)を積んでいて保存運転がなされているが、運転体験として21世紀の今、実際に触って体感できる直接排気の、しかも直通部と自動部を備えた操作域の狭いブレーキ弁…自動空気ブレーキ最盛期の生きる産業遺産である。
旧月潟駅に保存された新潟交通のモハ11もM-24(-Cかどうかは未確認 圧力計にツリアイ空気ダメと書いてあるので、M-24-Cと思われるが)を積んでいて保存運転がなされているが、運転体験として21世紀の今、実際に触って体感できる直接排気の、しかも直通部と自動部を備えた操作域の狭いブレーキ弁…自動空気ブレーキ最盛期の生きる産業遺産である。
ところで上電の資料館のほうには通常のM-18ブレーキ弁が、電気車の科学の該当箇所の記事付きで(!)展示されている。クハのブレーキ弁はM-18-Mにする必要はないので、そこから外されたものの保存なのだろうか。
担当者氏が通常のSMEとSME-DMを認識して、動態保存車にSME-DMを、資料館にSMEの機器を…ということなら面白いのだが。
ところで上電の資料館のほうには通常のM-18ブレーキ弁が、電気車の科学の該当箇所の記事付きで(!)展示されている。クハのブレーキ弁はM-18-Mにする必要はないので、そこから外されたものの保存なのだろうか。
担当者氏が通常のSMEとSME-DMを認識して、動態保存車にSME-DMを、資料館にSMEの機器を…ということなら面白いのだが。
ある頃から3連がなくなって、貫通路側にしかクハを連結しなくなったから、元空気ダメ管は要らぬということなのだろうか。ブレーキ管用枝管が連結されていれば貨車牽引そのものは可能だし、枝管は非常管としても機能はするのでデハ同士の連結も可能ではある。
ただ床下もSME-DMそのものかと覗き込んでみたが、ブレーキシリンダは盲栓付きの蓋でD-1-M非常弁を見つけられなかった。もっとも3本管式の変形なので、BCとは別体で付いている?
ある頃から3連がなくなって、貫通路側にしかクハを連結しなくなったから、元空気ダメ管は要らぬということなのだろうか。ブレーキ管用枝管が連結されていれば貨車牽引そのものは可能だし、枝管は非常管としても機能はするのでデハ同士の連結も可能ではある。
ただ床下もSME-DMそのものかと覗き込んでみたが、ブレーキシリンダは盲栓付きの蓋でD-1-M非常弁を見つけられなかった。もっとも3本管式の変形なので、BCとは別体で付いている?
なぜ4本管なのかと考えたが、上電だとデハ101形が戦後に連結運転していた頃は貫通路側にクハ連結が常態で、クハを連結するということは3本管としての機能は必要だ。すなわち4本目の、緑色のコックが元空気ダメ管らしい。クハ連結時は非常管・直通管・元空気ダメ管を、貨車牽引時はブレーキ管用枝管を連結するということか。
なぜ4本管なのかと考えたが、上電だとデハ101形が戦後に連結運転していた頃は貫通路側にクハ連結が常態で、クハを連結するということは3本管としての機能は必要だ。すなわち4本目の、緑色のコックが元空気ダメ管らしい。クハ連結時は非常管・直通管・元空気ダメ管を、貨車牽引時はブレーキ管用枝管を連結するということか。
現存かつ現役のSME-DM非常弁付直通空気ブレーキだった。保存車含めて、現存唯一ではないか?もっともSME-DMでも原型は非常管・直通管・ブレーキ管用枝管の3本なので、メーカ標準のSME-DMでもないということにはなるが。
現存かつ現役のSME-DM非常弁付直通空気ブレーキだった。保存車含めて、現存唯一ではないか?もっともSME-DMでも原型は非常管・直通管・ブレーキ管用枝管の3本なので、メーカ標準のSME-DMでもないということにはなるが。
自社更新車とかに比べて短命だった印象なのだが、上電にとっては近代的なセミモノコック構造での車種統一を果たした歴史的な車両ってことなのだろうか もちろん機器的には貴重なものです
自社更新車とかに比べて短命だった印象なのだが、上電にとっては近代的なセミモノコック構造での車種統一を果たした歴史的な車両ってことなのだろうか もちろん機器的には貴重なものです
機械扱いなのは確かだが、動かしてる時は制動不貫通なのか?
機械扱いなのは確かだが、動かしてる時は制動不貫通なのか?