もっと長く語りたくなったときの記事↓
https://note.com/forester_a
美術館に行くとき、いつも夫は抽象度の高い作品(パッと見何を表現しているか分かりにくくて読み取りが必要な作品)を見ると「混乱して疲れるから嫌い」らしいんだけど、多くのアーティストがそれぞれの作品を置くこの展示会では、「夫がここにいるとしたらどこにいるか」を尋ねると楽しそうに即興の物語を作ってた。
彼は、だいたい真ん中ではなく、隅っこにいるどれからしい。笑
美術館に行くとき、いつも夫は抽象度の高い作品(パッと見何を表現しているか分かりにくくて読み取りが必要な作品)を見ると「混乱して疲れるから嫌い」らしいんだけど、多くのアーティストがそれぞれの作品を置くこの展示会では、「夫がここにいるとしたらどこにいるか」を尋ねると楽しそうに即興の物語を作ってた。
彼は、だいたい真ん中ではなく、隅っこにいるどれからしい。笑
美術館の中庭を使って「通常捨てられてしまう」薔薇を使った薔薇園(11月下旬でも少し咲いてた)。
タイのゴムの木材を使った箱の中での、ゴム園の周辺の環境をテーマにした動画。
「炭」の粉を床に配置した立体作品。
部屋全体で大きな「鯨」を配置している大型の立体作品。
美術館の中庭を使って「通常捨てられてしまう」薔薇を使った薔薇園(11月下旬でも少し咲いてた)。
タイのゴムの木材を使った箱の中での、ゴム園の周辺の環境をテーマにした動画。
「炭」の粉を床に配置した立体作品。
部屋全体で大きな「鯨」を配置している大型の立体作品。
メイン会場の愛知県立美術館しか今回は行けなかったけど、すごく良かった。
今回のテーマは「灰と薔薇のあいまに」がテーマで、各国のアーティストが栄枯盛衰とか資本主義至上主義への静かな反逆、資源の持続可能性あたりを題材にしている様子で、私自身の最近の関心ともやもやにもかなり近い部分だったので、すごく楽しかった。
メイン会場の愛知県立美術館しか今回は行けなかったけど、すごく良かった。
今回のテーマは「灰と薔薇のあいまに」がテーマで、各国のアーティストが栄枯盛衰とか資本主義至上主義への静かな反逆、資源の持続可能性あたりを題材にしている様子で、私自身の最近の関心ともやもやにもかなり近い部分だったので、すごく楽しかった。
昨日、あいち2025国際芸術祭のワークショップスペースで見かけて、とても良かったから注文したやつ。(アマプラさん、ありがとう)
昨日、あいち2025国際芸術祭のワークショップスペースで見かけて、とても良かったから注文したやつ。(アマプラさん、ありがとう)
ごちそうさまでした。昼はすき焼きの残り丼にする。
ごちそうさまでした。昼はすき焼きの残り丼にする。
阿弥陀如来に会いに行って、この世の苦難は苦難のまま、いつか極楽浄土にいけば良い、と思えば良いと教わった。()
阿弥陀如来に会いに行って、この世の苦難は苦難のまま、いつか極楽浄土にいけば良い、と思えば良いと教わった。()
すぐに暗くなって、奈良公園で眠っている(目はまだ開けてた)鹿さんの群れを初めて観察した。
タクシーの運転手さんは「夜は鹿は山に帰るからねぇ」みたいなこと行ってたけど、翌朝になれば公園で煎餅もらえるんだから、わざわざ山まで帰るはずもなく…
すぐに暗くなって、奈良公園で眠っている(目はまだ開けてた)鹿さんの群れを初めて観察した。
タクシーの運転手さんは「夜は鹿は山に帰るからねぇ」みたいなこと行ってたけど、翌朝になれば公園で煎餅もらえるんだから、わざわざ山まで帰るはずもなく…
私が自分自身のためには出来なかったご両親との家族旅行を組んでくれたのもなんかすごく感慨深かった。(すてきなご両親と弟さんだったし、ちょっと羨ましい。)
私が自分自身のためには出来なかったご両親との家族旅行を組んでくれたのもなんかすごく感慨深かった。(すてきなご両親と弟さんだったし、ちょっと羨ましい。)
こちらは本日の近江八幡の様子です。
こちらは本日の近江八幡の様子です。
陶芸の森のところにあるカフェは信楽焼でケーキを出してくれました。深まる秋が美しかった。
陶芸の森のところにあるカフェは信楽焼でケーキを出してくれました。深まる秋が美しかった。
幼い頃に母に、秋しか食べれないこの貴重な美しい食べ物は「見つけたら買いなさい」と言われたので、その教えを忠実に今も守っています。(ごちそうさま)
幼い頃に母に、秋しか食べれないこの貴重な美しい食べ物は「見つけたら買いなさい」と言われたので、その教えを忠実に今も守っています。(ごちそうさま)
「宗教と休息観」というコラムに面白いことが買いてあって、旧約聖書でアダムは労働の苦しみを背負わせられ、エバは産みの苦しみを背負わせられて楽園を追放されたらしい。
今の時代、労働の苦しみは女性も背負うことになったが産みの苦しみを男性が背負うことは、少なくともないだろう。
これはジェンダーとか多様性とか公平性とかで喧嘩してる全ての人が前提を改めて認識すべきと思う。
「宗教と休息観」というコラムに面白いことが買いてあって、旧約聖書でアダムは労働の苦しみを背負わせられ、エバは産みの苦しみを背負わせられて楽園を追放されたらしい。
今の時代、労働の苦しみは女性も背負うことになったが産みの苦しみを男性が背負うことは、少なくともないだろう。
これはジェンダーとか多様性とか公平性とかで喧嘩してる全ての人が前提を改めて認識すべきと思う。