別紙1では,設置計画のあった1970年代における広報資料を紹介している。千葉NTではNT内の駅を西から順に1~8駅と呼称しており,谷田駅は「4駅」とも呼ばれた。なお,「6駅」の印西天王前駅も谷田駅と同様に開発計画の縮小で未成となった駅だ。
別紙2では,県営鉄道時代における谷田駅の平面図を紹介する。谷田駅を含む小室・千葉NT中央間は県営鉄道を所管していた千葉県が1973~1974年度に工事施行認可を申請しており,その際の図面が公文書として一般公開されている。当時同区間は単線で暫定開業する予定だったが,暫定開業時の谷田駅は下りホームを使った1面2線となる予定だった。
別紙1では,設置計画のあった1970年代における広報資料を紹介している。千葉NTではNT内の駅を西から順に1~8駅と呼称しており,谷田駅は「4駅」とも呼ばれた。なお,「6駅」の印西天王前駅も谷田駅と同様に開発計画の縮小で未成となった駅だ。
別紙2では,県営鉄道時代における谷田駅の平面図を紹介する。谷田駅を含む小室・千葉NT中央間は県営鉄道を所管していた千葉県が1973~1974年度に工事施行認可を申請しており,その際の図面が公文書として一般公開されている。当時同区間は単線で暫定開業する予定だったが,暫定開業時の谷田駅は下りホームを使った1面2線となる予定だった。
すでに新型発車標が稼働しているコンコースとは異なり,ホーム上はまだ設置に至っていない。しかし起点方の既設発車標付近には配線や取付金具が準備されはじめている状況で,こちらも早晩設置されて既設は遠からず撤去されるだろう。
東芝製発車標の淘汰される日は間近に迫っている。
すでに新型発車標が稼働しているコンコースとは異なり,ホーム上はまだ設置に至っていない。しかし起点方の既設発車標付近には配線や取付金具が準備されはじめている状況で,こちらも早晩設置されて既設は遠からず撤去されるだろう。
東芝製発車標の淘汰される日は間近に迫っている。
コンコース上の新型発車標の表示方は既設と一部で異なっている。
1枚目:既設発車標では列車固有の登録分のある早朝深夜の上り列車を除きコンコース上にスクロール文は表示されないのだが,新型では次列車が停車列車の場合にホーム上と同じスクロール文が最下段に表示される。
2枚目:3番線発となる上り列車については注意喚起のため番線表示が点滅する。
3枚目:次列車シフトは新型のほうが早い。
4枚目:既設では入庫列車は到着時の運転方向によって上り側に表示されることがあったが,新型では下り側に統一された模様だ。写真の891Nでは新型は下り,既設は上りに表示される。
コンコース上の新型発車標の表示方は既設と一部で異なっている。
1枚目:既設発車標では列車固有の登録分のある早朝深夜の上り列車を除きコンコース上にスクロール文は表示されないのだが,新型では次列車が停車列車の場合にホーム上と同じスクロール文が最下段に表示される。
2枚目:3番線発となる上り列車については注意喚起のため番線表示が点滅する。
3枚目:次列車シフトは新型のほうが早い。
4枚目:既設では入庫列車は到着時の運転方向によって上り側に表示されることがあったが,新型では下り側に統一された模様だ。写真の891Nでは新型は下り,既設は上りに表示される。
印西牧の原コンコースの新型発車標はすでに稼働していて様々な表示を見せている。
既設と同じく最大3列車分(3段分)の表示枠があり,日英中韓の4ヶ国語で交互に表示される。日本語が最も長く4秒程度,中国語(簡体字)や韓国語は2秒程度といったところか。
画面左下には時刻表示もあるので,電気時計は不要になるだろう。右下にはCUD(カラーユニバーサルデザイン)の表記もあり,バリアフリーにも配慮されている。
印西牧の原コンコースの新型発車標はすでに稼働していて様々な表示を見せている。
既設と同じく最大3列車分(3段分)の表示枠があり,日英中韓の4ヶ国語で交互に表示される。日本語が最も長く4秒程度,中国語(簡体字)や韓国語は2秒程度といったところか。
画面左下には時刻表示もあるので,電気時計は不要になるだろう。右下にはCUD(カラーユニバーサルデザイン)の表記もあり,バリアフリーにも配慮されている。
そして今年度で大きな節目を迎えそうなのが発車標である。印西牧の原に残っていた最後の東芝製発車標に対して,代替となる新型発車標が設置されはじめた。
東芝製発車標は1990年度の北総2期線開業に伴う初代HTC導入にあわせて稼働を開始し,牧の原には1995年の駅開業時に設置された。しかし主要駅では2007年度のHTC更新にあわせて日本信号製の後継機に代替され,中間駅でも2010年度から順次更新,東芝製は牧の原を残すのみとなっていた。
今回はその日本信号製のLED式ではなく,昨今主流になりつつあるLCD式が採用された。一つの時代の終わりと始まりといったところか。
そして今年度で大きな節目を迎えそうなのが発車標である。印西牧の原に残っていた最後の東芝製発車標に対して,代替となる新型発車標が設置されはじめた。
東芝製発車標は1990年度の北総2期線開業に伴う初代HTC導入にあわせて稼働を開始し,牧の原には1995年の駅開業時に設置された。しかし主要駅では2007年度のHTC更新にあわせて日本信号製の後継機に代替され,中間駅でも2010年度から順次更新,東芝製は牧の原を残すのみとなっていた。
今回はその日本信号製のLED式ではなく,昨今主流になりつつあるLCD式が採用された。一つの時代の終わりと始まりといったところか。
施設関係では西白井付近で旧検査庫修繕やレール更換などの動きが見られるが,目を引くのは昨年秋から施工されている鎌ヶ谷高架橋終点方の工事だろう。
北初富高架橋~鎌ヶ谷高架橋はアクセス開業時にスムースボード工法によって既設の高欄を活用する格好で防音壁の嵩上げが施工されていたが,鎌ヶ谷高架橋の終点方は施工区間外で開業当時のブロック壁がそのまま残っていた。今回は既設の壁を解体して吸音板を新設しているのだが,高欄の高さ自体は以前の低いままというのが興味深い。
施設関係では西白井付近で旧検査庫修繕やレール更換などの動きが見られるが,目を引くのは昨年秋から施工されている鎌ヶ谷高架橋終点方の工事だろう。
北初富高架橋~鎌ヶ谷高架橋はアクセス開業時にスムースボード工法によって既設の高欄を活用する格好で防音壁の嵩上げが施工されていたが,鎌ヶ谷高架橋の終点方は施工区間外で開業当時のブロック壁がそのまま残っていた。今回は既設の壁を解体して吸音板を新設しているのだが,高欄の高さ自体は以前の低いままというのが興味深い。
車両関係では7300形の運番表示器更新や7503編成の冷房機更新など細かな動きはあるものの,全体として特筆しておきたいのが非常用設備に関する表示の変更である。
非常用ドアコックや非常通報器等の客室における非常用設備に対する案内表示について,2022年6月に国交省から発出された「車内非常用設備等の表示に関するガイドライン」に準じた表記及び意匠にするというもの。ステッカーは蓄光仕様になっていて,暗所で地色の部分が光る。
既設表示は撤去されたり上から新ステッカーを貼られたり。写真3~4枚目が変更前の表示方である。
車両関係では7300形の運番表示器更新や7503編成の冷房機更新など細かな動きはあるものの,全体として特筆しておきたいのが非常用設備に関する表示の変更である。
非常用ドアコックや非常通報器等の客室における非常用設備に対する案内表示について,2022年6月に国交省から発出された「車内非常用設備等の表示に関するガイドライン」に準じた表記及び意匠にするというもの。ステッカーは蓄光仕様になっていて,暗所で地色の部分が光る。
既設表示は撤去されたり上から新ステッカーを貼られたり。写真3~4枚目が変更前の表示方である。
過去に何度か掲載しているこの写真(3600形によるエアポート快速羽田空港行)も2月の撮影であるが,この列車は2月に限らず当時それなりの頻度で3600形が代走していた。
こちらは時期柄というよりはダイヤの都合上といったところか。3600形が数を減らした今となってはそれも過去の話に過ぎないのだが。
過去に何度か掲載しているこの写真(3600形によるエアポート快速羽田空港行)も2月の撮影であるが,この列車は2月に限らず当時それなりの頻度で3600形が代走していた。
こちらは時期柄というよりはダイヤの都合上といったところか。3600形が数を減らした今となってはそれも過去の話に過ぎないのだが。
8日深夜まで降り続いた雪の影響は翌日以降も続いた。
1枚目:東松戸1番線から出発できなくなった9108編成は翌9日朝まで半日以上足止めされた。撮影した9日早朝は半ば雪に埋もれた状態だった。
2枚目:成田空港への足は9日午後のアクセス線の再開で確保されたが,再開直後は空港利用者で大混雑となった。写真では撮影20分前にアクセス特急が2本連続で走っているが,なお積み残した利用者で新鎌ヶ谷駅のホームが溢れている。
3・4枚目:他社線に取り残された北総車両は10日までに北総線に戻ったが,その過程では7500形が京成成田まで営業列車で1往復するなど大胆な運用調整が行われた。
8日深夜まで降り続いた雪の影響は翌日以降も続いた。
1枚目:東松戸1番線から出発できなくなった9108編成は翌9日朝まで半日以上足止めされた。撮影した9日早朝は半ば雪に埋もれた状態だった。
2枚目:成田空港への足は9日午後のアクセス線の再開で確保されたが,再開直後は空港利用者で大混雑となった。写真では撮影20分前にアクセス特急が2本連続で走っているが,なお積み残した利用者で新鎌ヶ谷駅のホームが溢れている。
3・4枚目:他社線に取り残された北総車両は10日までに北総線に戻ったが,その過程では7500形が京成成田まで営業列車で1往復するなど大胆な運用調整が行われた。
大雪となった2月8日当日に撮影した列車の写真である。
昼頃まではかろうじて撮影もできたが,午後から急速に悪化した天候で撮影どころではなくなった。夕方からは各駅で不転換が多発。東松戸では上り列車が出発できなくなり駅留置,成田湯川では上りアクセス特急列車が副本線に入れず本線通過を余儀なくされた。また,都心方面に直通した車の多くは戻ってこれなくなった。
列車運行や車両運用への影響は10日まで続くことになる。
大雪となった2月8日当日に撮影した列車の写真である。
昼頃まではかろうじて撮影もできたが,午後から急速に悪化した天候で撮影どころではなくなった。夕方からは各駅で不転換が多発。東松戸では上り列車が出発できなくなり駅留置,成田湯川では上りアクセス特急列車が副本線に入れず本線通過を余儀なくされた。また,都心方面に直通した車の多くは戻ってこれなくなった。
列車運行や車両運用への影響は10日まで続くことになる。