音楽について。本当は有名な曲を使いたかったが、自分たちのような規模の映画制作では使用料だけで映画一本分ぐらいかかってしまうため、作曲家にラジオのヒット曲っぽいものを作ってくれるよう頼んだ。その中では監督本人が歌っているものもあるとのこと。
音楽について。本当は有名な曲を使いたかったが、自分たちのような規模の映画制作では使用料だけで映画一本分ぐらいかかってしまうため、作曲家にラジオのヒット曲っぽいものを作ってくれるよう頼んだ。その中では監督本人が歌っているものもあるとのこと。
物語の着想源となった『ボヴァリー夫人』との関係で言えば、ひたすら自滅していく『ボヴァリー』のエマに対し、こちらのエマには、同じく浮気を繰り返しながらもより強い主体性が感じられる。家父長制的な世界から離脱していくような凄みすら漂わせており、例えば『ジャンヌ・ディエルマン』や『ワンダ』あたりと並べて語りたくもなる。
物語の着想源となった『ボヴァリー夫人』との関係で言えば、ひたすら自滅していく『ボヴァリー』のエマに対し、こちらのエマには、同じく浮気を繰り返しながらもより強い主体性が感じられる。家父長制的な世界から離脱していくような凄みすら漂わせており、例えば『ジャンヌ・ディエルマン』や『ワンダ』あたりと並べて語りたくもなる。
(伝記映画にありがちな)ディラン本人の歌を最後の最後まで流さなかったのも良かった。実在の人物の人生に基づく伝記映画でありながら、同時にティモシー・シャラメ主演の非常に面白い劇映画でもあることを強く感じさせた。
(伝記映画にありがちな)ディラン本人の歌を最後の最後まで流さなかったのも良かった。実在の人物の人生に基づく伝記映画でありながら、同時にティモシー・シャラメ主演の非常に面白い劇映画でもあることを強く感じさせた。
史実を知る者にとっては、この映画は冒頭からどこか不穏だ。ディランとピート・シーガーの車内での会話や、シーガーが子供たちに冗談めかして「この裏切り者!」と言う台詞などに、すでに後のディランの転向(=映画のクライマックス)を思わせる伏線が仕込まれているように感じてしまう。
史実を知る者にとっては、この映画は冒頭からどこか不穏だ。ディランとピート・シーガーの車内での会話や、シーガーが子供たちに冗談めかして「この裏切り者!」と言う台詞などに、すでに後のディランの転向(=映画のクライマックス)を思わせる伏線が仕込まれているように感じてしまう。
映画の内容については、森の中で吉開さんと沖縄の語り部の方が突然話し始めるロングショットの場面について、小田監督が「二人が勝手に話し出した」と語ると、吉開さんが「いや、監督の指示があった」と返し、記憶の相違をめぐってやり合う(もちろん和やかに)場面では、会場が大いに沸いた。
映画の内容については、森の中で吉開さんと沖縄の語り部の方が突然話し始めるロングショットの場面について、小田監督が「二人が勝手に話し出した」と語ると、吉開さんが「いや、監督の指示があった」と返し、記憶の相違をめぐってやり合う(もちろん和やかに)場面では、会場が大いに沸いた。