ἡαιατο ἰοσιδα
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ἡαιατο ἰοσιδα
@44da8810.bsky.social
1989年生まれ。福島県伊達市出身。歌人、文筆家。博士論文「ジョルジュ・バタイユにおける演劇性の諸相」挫折中。歌集『忘却のための試論』『霊体の蝶』、散文集『死にたいのに死ねないので本を読む』。角川短歌賞、現代歌人協会賞ほか受賞。連絡先→ysd8810@gmail.com
嗅覚がゼロに近いから食事のとき食感を重視してるところがあり、骨とか筋とか種とかが入っていて口のなかで硬いもの、噛み切れないものが紛れている状態がかなりストレスになる ということを30年以上かけて少しずつ自覚してきた
November 14, 2025 at 4:36 AM
デリダがそこで「パロディ」という語についてクロソウスキーにねちこく絡む(そしてドゥルーズやリオタールに仲裁される)のは、そこでニーチェから取り出されたパロディという概念?運動?が、デリダの脱構築にとってもものすごく重要な問題になるからこそで、そのへんを深掘りして検討していく必要がある 同じコロックに参加していたベルナール・ポートラやジャン゠ミシェル・レイの著書も含め、戦後フランスにおけるニーチェ受容をきちっと押さえておく必要もある
November 13, 2025 at 2:58 PM
サラ・コフマンのニーチェ論を読んだり、スリジー・ラ・サールでのコロックを書籍化した『ニーチェは、今日?』(ちくま学芸文庫の邦訳は登壇者のうちドゥルーズ、クロソウスキー、リオタール、デリダの四人ぶんしか訳していない)を久しぶりに再読したりして、途絶している博論のバタイユ論を猛勉強して仕上げたい気持ちがむくむくとわき上がってきた 僕の研究テーマはバタイユにおける「パロディ」を「演劇性(シアトリカリティ)」の問題として捉えなおすことなのだが、このコロックではクロソウスキーの発表後討論で、デリダがねちこく絡むようなかたちでクロソウスキーがニーチェについて使う「パロディ」の語を掘り下げている
November 13, 2025 at 2:58 PM
Reposted by ἡαιατο ἰοσιδα
あそこ、ロシアとイランの紐付きだからね。反米反トランプだからって信用しちゃダメなんよ
November 12, 2025 at 10:12 PM