sasaki.kouji(佐々木広治)
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sasaki.kouji(佐々木広治)
@sasakikouji.bsky.social
岩手県盛岡市在住のただのおじさんです。
いろいろ教えて学べたら幸い。
よろしくお願いします。
1975年8月1日生まれ。
A型。

カクヨムで書いております。よろしければ。
https://kakuyomu.jp/works/16817330654148299357

ご奇特な方がいらしたら、お恵みいただけますと幸い。
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3HE9DETGUVIGK?ref_=wl_share

よろしくお願いします。
#読了 幸田露伴著『囲碁雑考』。露伴は囲碁も愛好されたのだろう。囲碁の蘊蓄を綿々と披瀝してゆく。棋歴はないものの。もっともあっても無意味ではあり。生憎私は囲碁にもさまで、いや、つゆさら関心のなく。祖父がやっていたことをうっすり憶えているばかり。さりながら、はっと目を見張る箇所はいくつかあり。「意旁通するとは、対ふところのみに心の滞らずして、思慮の左右前後に及ぶを言ふ也。心執一するとは、心の一に執着して、他面に及ぶ能はざるを言ふ也。」等。やはりいずれのことも極めれば人の生きる道に通ず
November 19, 2025 at 6:03 AM
#読了 ジョン・アーヴィング著『ガープの世界』。私の書見の態度として、なるたけ偏見に囚われぬようにしようというというのがまず第一にあるだろうか。一般教養として、だとか、評判評価が高いからということも元より撰ぶうえで意識の上、下でいやおうなしに働いているだろうが。陰陽関わらず。卑俗な言い方をすれば、しいて雑食を心がけている。分類に拘らず。もちろんそこで好悪は生まれるし、大多数の評価評判と決裂することが少なからずある。例えば『百年の孤独』、夏目漱石、森鷗外、永井荷風、太宰治のほとんどを好ましく思えない等。偏りなくまんべんなく食べるようにしていながら、好みに偏りがない、ということ
November 18, 2025 at 3:20 AM
#読了 幸田露伴著『鼠頭魚釣り』。「鼠頭魚は即ちきすなり。」鱚という文字の方が馴染みのあるがこれは国字であり、鼠頭魚というのらしい。露伴の若き日の釣りの思い出。父と弟とともに。微笑ましく、巧まざる諧謔もあって陽性な読後感。よい釣具を塩梅するに、もしやすると名人筆を撰ばずというから嗤う者もおるのやもしれぬ、されどと滔々と論ずるところが可笑しい。むきになって、かつ仮定して。云う人もいそうではあるが、小心ぶりというのか、人間臭さのあって、いとをかし。釣りの日を心待ちにする様子、当日のこと。陽光の燦々と照るような締め。あたたかく、明るく胸のうちを照らしださるる。
November 17, 2025 at 3:41 AM
#読了 幸田露伴著『侠客の種類』。「侠客と一口に言つても徳川時代の初期に起つた侠客と其の以後に出た侠客とは、名は同じ侠客でも余程様子が違つて居るやうである。」そして侠客とは三種あると説く。その異なる形態が同時に、というのではく時代により変遷があり。その今に近くにあるものは「博徒」という形態だろう。そしてそれは日本固有のものであるらしい、と説く。正直関心をもったことのないことであったため、ただ承っていた状態ではあったが、それにしてもさまざまなことに好奇心をもち學び努めていた方なのだなぁと改めて思わされる。露伴というとせいぜい『五重塔』しか読まれぬが、
November 16, 2025 at 2:37 AM
#読了 幸田露伴著『運命は切り開くもの』「運命前定は一半だけ真実の事実でして、全部運命は前定して居るものだなぞと思つては確にそれは間違」いだというのが要点。顔相見をあげ、人相も変わるものだと。元からもったものは確かにある、されどそれだけではない、運命とは自ら作りあげるもの、築きあげるものなのだ。何やら当たり前な、月並みにすら聞こえそうな文言だが、力強い気勢でなるほどと勇気づけられさえする。坂口安吾の『堕落論』等評論を想起させられもする。露伴がこれを記したのは、己がそうしてきたからであろうし、故に説得力のある文章にもなっている。夏目漱石も森鷗外も好まぬ私だが、露伴のものは好みはじめている私がいる
November 15, 2025 at 4:48 AM
#読了 近松門左衛門著『曾根崎心中』。言わずと知れたお初と徳兵衛の心中譚。徳兵衛がまめやかで一途で能力もあったがため、愛されもし妬まれもし。それによって心中の舞台は整い、善良で真面目で一本気な性故に心中しかないと短絡的な答に到る。若さ、それによる情熱というのか体力があるせいもあろう。お初を現より年若の十九としたのは、公巷で言わるる若い女人客狙いばかりではなかろう。心中に流れ、身を任す初さ、もしくは幼い選択しか見えぬことが自然なようにという狙いがあったのではないか。「未来成佛疑ひなき、戀の手本となりにけり」さぁどうだろう。そんなこともなかろうに、と初老のひねくれた私は思うものだが。それにしても
November 14, 2025 at 2:32 AM
#読了 林真理子先生著『本を読む女』。野坂昭如原作のアニメーション映画『火垂るの墓』がまたぞろちょいとした話題になっているらしい。そして主人公の叔母に対するタレントのコメントが取り沙汰されたものらしい。そのタレントに関心はないからどうでもよいが、あの叔母の対応についての感想として、私は本著の主人公の母親を連想させられる。戦時下、主人公は病弱な男の子を授かる。母親からは他の者なんぞ蹴落とし見殺しにしてでも子を守るものだと言われつけるも、良心から従わず、そのせいか(実際のところは不明)死なせてしまう。自分の不甲斐なさのせいだと悔やみ決意するが、見方を変えれば利己的になろうという決意で
November 13, 2025 at 4:02 AM
#読了 ジョン・クラカワー著『信仰が人を殺すとき』。幾十年も前のことになるが末日聖徒イエス・キリスト教会に入信直前迄いったことがある。疑問や受けいれ難いことのあり結句拒んだものだが。エクソシストをされたりしてそれは創を残すこととなり、はたして私が誤っていたのだろうか、否か。自分なりに末日聖徒イエス・キリスト教会のことを知ろうと学びはじめ、大元となるキリスト教のこと、その元となるユダヤ教のこと、キリスト教の弟分たるイスラム教のこと、つまりセム的一神教について学んでゆくようになった。それは自己防衛であり、治癒を求めるという働きであったことだろう。意識的に無意識的に。それから当然佛教、道教、
November 12, 2025 at 3:39 AM
#読了 永井荷風著『小説作法』。荷風版『小説神髄』もしくは『文章読本』といったところか。「月刊の文学雑誌新聞紙等に掲載せらるる小説家また批評家の文芸論は悉く排斥して可なり。その何が故なるやを問ふなかれ。唯蛇蝎の如く忌いみ恐れよかし。」「読書思索観察の三事は小説かくものの寸毫も怠りてはならぬものなり。」等興味深い箇所の散見される。荷風といえば、中村真一郎の父が息子への助言を乞い、それを中村真一郎は守って膨大で広範の文學書を読み、習作を重ねたとのことだが。正直、荷風の作品を私は好まないし、さまで良いとも思えない。彼の評価は
November 11, 2025 at 3:18 AM
#読了 幸田露伴著『少年時代』。現今はとんと口の端に上ることのなくなった文体、文章の良否。それの作り方、良にするための方法。話す必要のないほどの水準に達したから、成熟したから、というのであればなんの問題もないが、どうも現状を見るにその逆であるらしくあまりに拙劣なものばかりで、それはけだし意識からではないか。それは一昔前のよう言われたこと、当たり前のようにされたことに要因が──もとよりそれのみに帰することでもなかろうが──、あるような気のされる。曰く、喋るように書け。曰く、簡にして要を得る、簡素なほどよい。森鷗外が規範。というような迷信。それらを突き進めてゆけば、
November 9, 2025 at 11:44 PM
#読了 永井荷風著『葛飾土産』。夷斎先生が『敗荷落日』において「おもへば、葛飾土産までの荷風散人であった。」と記してあるのが記憶にあり、いつか読もうと思っていた。言うならば日記、随想だろう。昭和二十二年における。「梅花を見て興を催すには漢文と和歌俳句との素養が必要になつて来る。されば現代の人が過去の東洋文學を顧りみぬやうになるに従つて梅花の閑却されるのは当然の事であらう。」ここにこの文の、というのか晩年の荷風の姿勢が如実に表れているのではないかと私は思う。懐古主義、いや、
November 9, 2025 at 1:31 AM
#読了 幸田露伴著『雲のいろ/\』。ちょっと呆気にとられてしまうが、文字通り雲にまつわることのみが描かれている。国木田独歩のものでも、そのあまりな直截ぶり、見ようによっては曲のないさまに呆然とさせられたものだが。故に免疫というのか慣れはあったものの。されど、露伴の精進による博識ぶり、雲の見方の多彩さを教えられて有意義ではあり。坂東太郎だとか丹波太郎なぞ知らなかったわけで。「丹波太郎は西鶴の文に出でたりと覚えたり、坂東太郎は未だ古人の文に其風情をしるされざるにや」。翻雲覆雨なぞも。みづまさ雲等、むしろ知ってい
November 8, 2025 at 12:13 AM
#読了 テッド・チャン著『あなたの人生の物語』。ひとつの文明の奥の奥まで分け入り分け入りしてゆき、原初にあるものを見極めようとする行為。本著を読み通して私の受けとったものは、そう言い得ようか。著者で言えば米国であり、米国からさらに遥か遡り旧約聖書の世界へと。それは何も時代だとかその国の風土、風俗というばかりの謂いではなくて。旧約聖書の世界、というのは一例であり象徴的な意味合いであるが、聖書だとか聖書の影響を強く感じさせられたのは事実で。言うまでもなく前述した通りモティーフで散見される、ということだけではないが。逆に外国文學で
November 6, 2025 at 11:02 PM
#読了 幸田露伴著『太郎坊』。よもや露伴に泣かされるとは思わなんだ。働き者の、壮年を越え初老あたりだろうか、壮健で仲睦まじい夫婦が一組。子はどうやらいないらしい。夏の日、ひと仕事終えた夕餉。有触れた鯵の塩焼、本菜となる鴫焼(ここの辺りも面白い)をあてに晩酌をし。ご機嫌ななか、手を滑らせて永楽の猪口を破損させてしまう。その猪口にまつわる話を主ははじめる。…主というものの人としての有り様が素晴らしい、というのか、潔いだとか晴朗で快い。失われた物に託し、失われたもの、ことを語る、その語り口。恨むでなく、僻むでなく、嘆くでなく、もとより
November 5, 2025 at 9:41 PM
#読了 ジェイムズ・P・ホーガン著『星を継ぐもの』。SFの名作、古典なのだそうだから説明不要かもしれない。月面で発見された宇宙服を着用した死体は、五万年前に死亡した者だった。はたして何者であるのか。その謎を追及する物語。絶讚する言説をよく目にしていたため手にとったわけだが。私はことさら感銘をうける部分はなかった。何十年も前に卓越した科学的知識と奔放な想像力で、宇宙を舞台にした本格的推理小説の骨法をもった作品を作り上げたこと。そのは素直にすごいと関心させられはしたし、当時であればかなり画期的なことで衝撃をあたえたことは理解できるが。私がSFに苦手意識がありあまり読まずにきて、
November 4, 2025 at 10:20 PM
#読了 太宰治著『津軽』。率直に言って、私は太宰治が嫌いだ。津島修治が、とも言える。いや、さりとて嫌うほど津島修治は知らぬし、当然見知らぬ関わりのない者。太宰治は文物でしか知らぬ。それらから見えてくる人物像が厭わしいというのが正確なところだろう。されど誰しもが好ましいところ、好ましくないところがあるもの。そしてそれは受け手の価値観、倫理観、人生観で変わってゆくもの。そしてまた、それは私というひとりの人も免れないもの。私個人の好悪に話をもどす。繰りかえすと、誰しも好ましいところはある、とも言える。好ましくもなれる、とも。私にとって、本著はそれにあてはまる。本著は、紀行文、という体裁をとった創
November 3, 2025 at 9:38 PM
#読了 柏葉幸子先生著『りんご畑の特別列車』。小学5年生のユキ。いつものようにピアノ教室から帰宅するために列車に乗りこみ鬱々とする中、車中の皆がりんごをとり出し食しようとはじめ。本車両は特別列車でありユキは切符をもっていないからと途中下車させられる。車中で知り合いから旅行会社を訪ねよと地図を渡され行ったところから魔法の世界へとはいり。初めから破天荒で、ちょっと首を傾げさせられるところがあるが、それすら魅力にしてしまう語り口。そぞろに宮崎駿監督作品のあれこれを想起させられる箇所のあり、監督は影響をうけているのでは、と思ったり。内容としてはシンプルで、典型的な
November 2, 2025 at 10:12 PM
#読了 采和輝先生『異世界の沙汰は社畜次第』7。教会篇の決着。横領、陰謀が白日の元に曝される。我が儘で無知な小娘であった白石の成長、成長に伴うものといえるかユーリとの関係にも変化が見られる。多少イライラさせられる存在であったが、高校生くらいの齢で突然住む世界、家族や友人からひとり離され異世界にきたわけだから致し方なしか、と思えた。素地としては素直で優しく、頭がわるいわけでもなく。私塾が始動し、セイイチロウの部下ノルベルト=バラーネクが講師のひとりとなる。そして彼のエピソードとなる。セイイチロウの異世界人の監視役を王(父)から受けていたという。要するに
November 1, 2025 at 10:06 PM
#読了 武田邦彦先生著『偽善エコロジー 「環境生活」が地球を破壊する』。「これまで続けてきた「ウソの環境生活」をこの辺でやめよう、これからは後ろめたさのない生活、表面上は離境にいいといっているが、実は自分が得すればいいのだという「環境」から、本当に日本の将来のため、子孫のためになる「環境」に切り替える時期ではないか」。まえがきにあるこの箇所が、本著の肝となっている。レジ袋を使わないことで、逆に石油の消費量が増える。割り箸を使わずマイ箸を使うことで、無意味な紙のリサイクルが森林破壊につながる。温暖化はCO2削減努力で防げない。「ストップ温暖化」とは「ストップ台風」というのと
October 31, 2025 at 10:53 PM
#読了 ジョン・クラカワー著『荒野へ』。「危険な行動に出るのは、ほかの多くの行動と同様、私たちの文化における通過儀式である。危険はつねに確かな魅力をもっている。こんなに多くのティーンエージャーたちが車を暴走させたり、大酒を飲んだり、ドラッグにふけったりする理由も、大部分はそれであり、だから、国家が新兵を募って、若者たちを戦場へ送るのも、いつだって簡単なのである。若者の勇敢な行動は事実、進化論的にも適合しているし、遺伝子にも組みこまれていることは立証できる。マッカンドレスはマッカンドレスなりに、ただ限界と思われるところまで危険を冒そうとしたにすぎない。」一九九二年九月、アラスカの荒野に単身分け
October 30, 2025 at 9:58 PM
#読了 フェルディナント・フォン・シーラッハ著『犯罪』。十一の短篇のならぶ。短篇というより掌篇に近いか。あくまでも私事だが、ここ最近では久しぶりに読みやすいものであった。短さは言わでものこと、叙述が梗概でもあるような素っ気ないくらい簡素なものであり、それでいて的確に時、場、事、人が描出されて、落ちもしっかりとあり。曇りひとつない明快、明晰な語り口でさまざまな人間模様が表れる。さまざまな人がいて、さまざまな間柄があって。ジャンルとしては推理小説となるのだろうが、犯罪をとおして人間というものを描いた作品、というほうが相応しいように思われる。注目した人がいるかどうか知らないが、林檎が本著の重要な小
October 29, 2025 at 10:10 PM
#読了 マルグリット・デュラス著 『太平洋の防波堤』。フランス領インドシナ南部に棲むシュザンヌ一家。未亡人が二人の子供、ジョセフとスザンヌと共に暮らす。そこは貯めた金で購入した土地であったが、官吏に騙されていたため潮まみれの不毛な土地であり、貧困に喘ぐ日々。スザンヌに言い寄る総領息子がいるが結婚しなければ同衾もさせぬと母が目を光らせている。総領息子は結婚する気はないが、娘には気があるため娘の母や兄に気にいられようとしている。母は子らに折檻をよくし、兄には力で敵わなくなったため妹にはつづけている。総領息子から金剛石の指輪をもらったことから金持ちとの関係性に亀裂がはいる。著者の経験を
October 28, 2025 at 10:05 PM
#読了 国木田独歩著『武蔵野』。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』のようなものだろうと予想するも。千曲川のスケッチは、周知のとおり千曲川在所にあるひとら、そして関わりを描いたもので、千曲川が主ではない。が、本作は題名通り、看板に偽りなく武蔵野が主役に据えられている。こうまで綿綿と土地についてのみ書けるのは、見上げたものだと思う。よほど、武蔵野を愛好していたものか。そのありように、むしろ興味を惹かれる。「二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅ぼう屋に住んでいた。その時のこと、また秋から冬のことを今書く。」と自ら明記し、その言の通りに。いったい著者はほかの作品をふくめ、
October 27, 2025 at 10:29 PM