「日本におけるサブカルチャーの『あるべき欧州』像が、19世紀の名作文学、白人の中産階級以上のために書かれた作品で止まってはいないか」
という意見を目にし、なるほどなあと思う夜。
少女漫画に限らず昔の教養小説に遡る話ではあろうし、個々の作品への批判ではないのだけども。
今の中年以上が慣れ親しんだ欧州像(それが幻想であれ)と現代とのコンフリクトはありそう。
ほとんどの人(僕も含めて!)は現代の欧州を知らないのだけど。
「日本におけるサブカルチャーの『あるべき欧州』像が、19世紀の名作文学、白人の中産階級以上のために書かれた作品で止まってはいないか」
という意見を目にし、なるほどなあと思う夜。
少女漫画に限らず昔の教養小説に遡る話ではあろうし、個々の作品への批判ではないのだけども。
今の中年以上が慣れ親しんだ欧州像(それが幻想であれ)と現代とのコンフリクトはありそう。
ほとんどの人(僕も含めて!)は現代の欧州を知らないのだけど。
ややロシア擁護な面はあるものの、両国の歴史や文化や宗教、開戦経緯、ロシアの思考については「インテリジェンス」や国際政治学と異なる観点から詳しく書かれていて、大変勉強になった
ただ「ネオコン」については、アメリカの政策にそれほど影響力を持っているのか&ここまで過激な反ロシア派(開戦以前からロシア解体や、文明の破壊を公言)なのか?正直疑問
マイダン革命の狙撃事件、あれは確かに革命側の自作自演説が有力だが、米の偽旗作戦と断言するのは...
NATO東方不拡大についても約束があったと明記しているが、これも現状では議論が...
ややロシア擁護な面はあるものの、両国の歴史や文化や宗教、開戦経緯、ロシアの思考については「インテリジェンス」や国際政治学と異なる観点から詳しく書かれていて、大変勉強になった
ただ「ネオコン」については、アメリカの政策にそれほど影響力を持っているのか&ここまで過激な反ロシア派(開戦以前からロシア解体や、文明の破壊を公言)なのか?正直疑問
マイダン革命の狙撃事件、あれは確かに革命側の自作自演説が有力だが、米の偽旗作戦と断言するのは...
NATO東方不拡大についても約束があったと明記しているが、これも現状では議論が...
1936〜37年の被処刑者約34万人/年はどう見ても異常だが、1921〜29年は約2600人/年、30〜36年は約5700人/年、39〜53年は約3600人/年で、イメージほど多くない...いや多いな
1936〜37年の被処刑者約34万人/年はどう見ても異常だが、1921〜29年は約2600人/年、30〜36年は約5700人/年、39〜53年は約3600人/年で、イメージほど多くない...いや多いな
この吉川の政治的な動きについては、誰か研究しないかと思っています。
なお、『宮本武蔵』も戦中の版で書かれていたことが、戦後の版ではnaoされているところがあるというのは、すでに指摘されているところであります。
ちなみに、海軍が一般向けに出す予定だった大東亜戦争公刊戦史の執筆を委嘱したのは、吉川英治。
↓
服部卓四郎(藤原岩市執筆)『大東亜戦争全史』1953年
↓
成田利一「運命の会戦」『秘録大東亜戦史 マレー・ビルマ篇』1954年
↓
服部卓四郎閲(監修)・秋永芳郎著『物語太平洋戦争2 ビルマ大ジャングル戦』1956年
↓
伊藤正徳『帝国陸軍の最後3 死闘編』1960年
↓
『ビルマ戦線 : 歩兵第五十八連隊の回想』(佐藤・河田31D長の「序にかえて」、宮崎、福永58i長の「序」あり)1964年
大木毅先生が、山岡は戦時中陸軍から戦後発行予定の「大東亜戦史」の執筆を依頼されていて、それを元に戦後いろいろ出したと言っていたが...
この吉川の政治的な動きについては、誰か研究しないかと思っています。
なお、『宮本武蔵』も戦中の版で書かれていたことが、戦後の版ではnaoされているところがあるというのは、すでに指摘されているところであります。
ちなみに、海軍が一般向けに出す予定だった大東亜戦争公刊戦史の執筆を委嘱したのは、吉川英治。
↓
服部卓四郎(藤原岩市執筆)『大東亜戦争全史』1953年
↓
成田利一「運命の会戦」『秘録大東亜戦史 マレー・ビルマ篇』1954年
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服部卓四郎閲(監修)・秋永芳郎著『物語太平洋戦争2 ビルマ大ジャングル戦』1956年
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伊藤正徳『帝国陸軍の最後3 死闘編』1960年
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『ビルマ戦線 : 歩兵第五十八連隊の回想』(佐藤・河田31D長の「序にかえて」、宮崎、福永58i長の「序」あり)1964年
大木毅先生が、山岡は戦時中陸軍から戦後発行予定の「大東亜戦史」の執筆を依頼されていて、それを元に戦後いろいろ出したと言っていたが...
ちなみに、海軍が一般向けに出す予定だった大東亜戦争公刊戦史の執筆を委嘱したのは、吉川英治。
↓
服部卓四郎(藤原岩市執筆)『大東亜戦争全史』1953年
↓
成田利一「運命の会戦」『秘録大東亜戦史 マレー・ビルマ篇』1954年
↓
服部卓四郎閲(監修)・秋永芳郎著『物語太平洋戦争2 ビルマ大ジャングル戦』1956年
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伊藤正徳『帝国陸軍の最後3 死闘編』1960年
↓
『ビルマ戦線 : 歩兵第五十八連隊の回想』(佐藤・河田31D長の「序にかえて」、宮崎、福永58i長の「序」あり)1964年
大木毅先生が、山岡は戦時中陸軍から戦後発行予定の「大東亜戦史」の執筆を依頼されていて、それを元に戦後いろいろ出したと言っていたが...
なお再編集前の「秘録大東亜戦史 ビルマ篇」(1954年)には成田利一記者による宮崎高評価記事はない
「宮崎少将の犠牲的敢闘」p.225
「独り6月22日以来20日間に亘って消息を絶っていた宮崎支隊は、支隊長以下一丸となり、全患者を擁し、敵中を突破しつつフミネ南方に後退してきた。(中略、33Dの遅滞戦闘)この毅然たる行動は全軍を感動せしめた。」p.227
服部卓四郎『大東亜戦争全史 第3巻』(続)
↓
服部卓四郎(藤原岩市執筆)『大東亜戦争全史』1953年
↓
成田利一「運命の会戦」『秘録大東亜戦史 マレー・ビルマ篇』1954年
↓
服部卓四郎閲(監修)・秋永芳郎著『物語太平洋戦争2 ビルマ大ジャングル戦』1956年
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伊藤正徳『帝国陸軍の最後3 死闘編』1960年
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『ビルマ戦線 : 歩兵第五十八連隊の回想』(佐藤・河田31D長の「序にかえて」、宮崎、福永58i長の「序」あり)1964年
大木毅先生が、山岡は戦時中陸軍から戦後発行予定の「大東亜戦史」の執筆を依頼されていて、それを元に戦後いろいろ出したと言っていたが...
バーバ・ヤガーと双璧を張る古い古いキャラクターで、スラヴ人の移動以前にルーツを持ち、ロシア以外のスラヴ系諸民族にも彼の伝承があります。そういうのわくわくしませんか。
いっぽう、ときとして人間の味方をするマージナルなヤガー婆さんに対して彼はあくまで邪悪な奴なのだ。乙女をかどわかすぞ。
#Inktober2025
#Inktober
#厄除け画集
バーバ・ヤガーと双璧を張る古い古いキャラクターで、スラヴ人の移動以前にルーツを持ち、ロシア以外のスラヴ系諸民族にも彼の伝承があります。そういうのわくわくしませんか。
いっぽう、ときとして人間の味方をするマージナルなヤガー婆さんに対して彼はあくまで邪悪な奴なのだ。乙女をかどわかすぞ。
#Inktober2025
#Inktober
#厄除け画集
金日成の誕生から金正日死去までの通史で、著者は北朝鮮の全否定からも全肯定からも距離を置いている
・良かった点
替え玉とか言われている金日成の抗日闘争を史料により実証している
李承晩の北進意欲、とくに49年初頭の対北攻撃は初めて知った
建国から1970年頃に体制が確立するまでの過程はたいへん勉強になった
・疑問点
社会主義、全体主義の国家では普遍的とはいえ、秘密警察や収容所の形成史、粛清などにもより多く触れた方がバランスが取れる気がする
北朝鮮の日朝交渉への意欲は過大評価してるのでは
横田めぐみ「遺骨」に関する評価はどうなんだろう
金日成の誕生から金正日死去までの通史で、著者は北朝鮮の全否定からも全肯定からも距離を置いている
・良かった点
替え玉とか言われている金日成の抗日闘争を史料により実証している
李承晩の北進意欲、とくに49年初頭の対北攻撃は初めて知った
建国から1970年頃に体制が確立するまでの過程はたいへん勉強になった
・疑問点
社会主義、全体主義の国家では普遍的とはいえ、秘密警察や収容所の形成史、粛清などにもより多く触れた方がバランスが取れる気がする
北朝鮮の日朝交渉への意欲は過大評価してるのでは
横田めぐみ「遺骨」に関する評価はどうなんだろう
なお再編集前の「秘録大東亜戦史 ビルマ篇」(1954年)には成田利一記者による宮崎高評価記事はない
「宮崎少将の犠牲的敢闘」p.225
「独り6月22日以来20日間に亘って消息を絶っていた宮崎支隊は、支隊長以下一丸となり、全患者を擁し、敵中を突破しつつフミネ南方に後退してきた。(中略、33Dの遅滞戦闘)この毅然たる行動は全軍を感動せしめた。」p.227
服部卓四郎『大東亜戦争全史 第3巻』(続)
なお再編集前の「秘録大東亜戦史 ビルマ篇」(1954年)には成田利一記者による宮崎高評価記事はない
「宮崎少将の犠牲的敢闘」p.225
「独り6月22日以来20日間に亘って消息を絶っていた宮崎支隊は、支隊長以下一丸となり、全患者を擁し、敵中を突破しつつフミネ南方に後退してきた。(中略、33Dの遅滞戦闘)この毅然たる行動は全軍を感動せしめた。」p.227
服部卓四郎『大東亜戦争全史 第3巻』(続)
なお再編集前の「秘録大東亜戦史 ビルマ篇」(1954年)には成田利一記者による宮崎高評価記事はない
「宮崎少将の犠牲的敢闘」p.225
「独り6月22日以来20日間に亘って消息を絶っていた宮崎支隊は、支隊長以下一丸となり、全患者を擁し、敵中を突破しつつフミネ南方に後退してきた。(中略、33Dの遅滞戦闘)この毅然たる行動は全軍を感動せしめた。」p.227
服部卓四郎『大東亜戦争全史 第3巻』(続)
このエピソードが大好きで、うちにとってチェックシャツといえばオタクではなくソ連兵。
このエピソードが大好きで、うちにとってチェックシャツといえばオタクではなくソ連兵。
rekishikaido.php.co.jp/detail/13049
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rekishikaido.php.co.jp/detail/13046
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磯部卓男「インパール作戦その体験と研究」(1984年6月)
「牟田口の個人的性格、またそのような彼の行動を許容した河辺のリーダーシップ・スタイルなどが関係していよう。(続)
磯部卓男「インパール作戦その体験と研究」(1984年6月)
「牟田口の個人的性格、またそのような彼の行動を許容した河辺のリーダーシップ・スタイルなどが関係していよう。(続)