昭和末期の音楽番組、シブがき隊が名曲「スシ食いねェ!」を「ムシ(虫)食いねェ〜♪」という替え歌で歌唱する。
その後、舞台は移り変わり未来の「はなまるマーケット」へ。
照り照りにしずるコオロギ(味の良い昆虫食であるように見受けられる)を口に運んだ薬丸さんが「これおいしい」とお決まりの感じで呟く。
深刻に真剣に意思表示をすることと、わざわざ強い語気や恐い顔を見せつけることは、必ずしも同義ではない(パブリックな場ではなおさら)ため。
深刻に真剣に意思表示をすることと、わざわざ強い語気や恐い顔を見せつけることは、必ずしも同義ではない(パブリックな場ではなおさら)ため。
仮にサブスクが無ければCDはずっと売れ続けていたのかと言われると別にそうではないと思うし、マーチャンダイズの価値が下がっているとも思わない。批評やフックアップも確かに存在し続けている。
あるとすればこんなものを大衆に売って稼ぐという行い自体のおかしさを今一度思い出して、皆が正気になりつつあるということなのではないだろうか、というか良くも悪くも結果的にお金と時間と余裕がなくなってきているだけだと感じる。
仮にサブスクが無ければCDはずっと売れ続けていたのかと言われると別にそうではないと思うし、マーチャンダイズの価値が下がっているとも思わない。批評やフックアップも確かに存在し続けている。
あるとすればこんなものを大衆に売って稼ぐという行い自体のおかしさを今一度思い出して、皆が正気になりつつあるということなのではないだろうか、というか良くも悪くも結果的にお金と時間と余裕がなくなってきているだけだと感じる。
→泣いているのか突っ込んでいるのかわからなくて困りますね。
→泣いているのか突っ込んでいるのかわからなくて困りますね。
【し】
書道家がリプライに来た文章(推し活など内輪コミュニティに関するものが多い)を書くやつ
【し】
書道家がリプライに来た文章(推し活など内輪コミュニティに関するものが多い)を書くやつ
猪ではなくない?
猪ではなくない?
そこに害意はなく、あるのはきっと愛に類するものであろうということは疑いようもなく確かだけど、そもそも他者に対してより良く接するための肯定的な逡巡が欠けており、些か断定的なニュアンスを含んでいることが非常に多い。
そこに害意はなく、あるのはきっと愛に類するものであろうということは疑いようもなく確かだけど、そもそも他者に対してより良く接するための肯定的な逡巡が欠けており、些か断定的なニュアンスを含んでいることが非常に多い。
人ひとりをそんな風に断定する資格がかろうじてあるであろう伴走者の実在はかなり限られていて、評される当人がほんとうに「血の滲むような努力」をしているのかどうかに関わらず、赤の他人にそう言われたら「あなたに何がわかるのか」としか思わない気もする。結局のところ大衆娯楽に不可欠なストーリー化に当てはめる形容でしかないのではないか、とか。
人ひとりをそんな風に断定する資格がかろうじてあるであろう伴走者の実在はかなり限られていて、評される当人がほんとうに「血の滲むような努力」をしているのかどうかに関わらず、赤の他人にそう言われたら「あなたに何がわかるのか」としか思わない気もする。結局のところ大衆娯楽に不可欠なストーリー化に当てはめる形容でしかないのではないか、とか。
「私はお喋りが不得意だし見た目にも自信がないから、そのぶん作品で語るわね」が(少なくとも商業的に)成立する時代はとっくに終わっていて、透明性と共感性を提供できない者の天井が思ったよりも近いという状況は厳しいが致し方ない。
「私はお喋りが不得意だし見た目にも自信がないから、そのぶん作品で語るわね」が(少なくとも商業的に)成立する時代はとっくに終わっていて、透明性と共感性を提供できない者の天井が思ったよりも近いという状況は厳しいが致し方ない。
youtu.be/u31kudVmkFk?...
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