よしや
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よしや
@yoshiya0511.bsky.social
発達障害・自閉スペクトラム症(ASD)の当事者、パニック障害の経験者です。お笑いが好きで、今は天才ピアニスト&ヨネダ2000を推しています。政治的スタンスはリベラル左派。全ての人が大切にされる社会を望みます。将棋ウォーズ四段。将棋倶楽部24最高R2011。よろしくお願いします。
何をしたいのかと聞かれたときには、自分と同じようにひきこもりなど苦しい思いをしている人たちの支援をしたいというふうに言っていた。支援というものに明確なイメージがあったわけではない。気持ちを共感して理解し合って、ともに生きていきたいというくらいのイメージだった。実際にいろんなイベントでそういう人たちと出会うことができた。最初はそうして知り合いが増えていくのが単純にうれしくて、知り合いは多ければ多いほどいいと思っていた。少しでも興味のあるイベントがあれば何にでも行っていた。今まで全く人と付き合いがなかった分を取り返すように、できるだけ多くの人と積極的に関わろうとしていた。
April 24, 2025 at 12:44 PM
東京に出てきたのは2007年のこと。一応その時知り合いだった人から仕事を紹介してもらえるかもしれないというアテがあったのだが、その話は後にうまくいかなくなり、いきなり仕事を探さなければならなくなった。でも東京に出てくるきっかけを待っていたようなところもあったので、それはそれで今は何も思っていない。
最初は短期のアルバイトや当時あった日雇い派遣などをやっていた。住む場所も短い間に何度か引越し、極端に狭いゲストハウスに住んでいたこともあった。
生活は大変だったはずだが、苦労することは最初から分かっていた。人に頼るという発想もなかった。なるべく自分の力でなんとかしたかった。
April 16, 2025 at 1:59 PM
東京に出てきたいという気持ちは漠然と昔からあった。名古屋が好きでなかったということもある。
直接の動機としては、東京に遊びにくることが増えるにつれて知り合いや友達が東京の方が多くなってきたこと、一人暮らしをしてみたかったこと、自分の力で何がどのくらいできるか試してみたかったこと、いろいろあるが、一言で抽象的に言えば自由になりたかったということだと思う。
April 16, 2025 at 2:53 AM
名古屋にいるときにもろくに外に出ていなかったのに、東京にまで来られているというだけで何かすごいことをしているよう気になり、新宿とか渋谷とか聞いたことのある地名のところをただただ歩き回った。ただ町を歩けるということで本当の自由を感じた。
イベントなどに行くたびに新しい知り合いが増えたりするのが楽しくなって、もっともっと新しい場所に行きたくなり、頻繁に東京に来るようになる。
そのうち名古屋よりも東京の方が知り合いや友達も多くなって、東京に出てきたいと思うようになった。
April 1, 2025 at 1:52 PM
その後に東京に来ることようになる。きっかけはこわれ者の祭典だった。作家の雨宮処凜さんのことが好きで、彼女がくるということでそのイベントのことを知った。目的は雨宮さんで、こわれ者の祭典のことはよく知らない状態で行ったと思う。
心身障害者のパフォーマンス集団と銘打っているこわれ者の祭典は新潟の人たちで、初めて行ったイベントも新潟で行われたものだった。
名古屋から新潟まで夜行バスで行った。自分にとっては大冒険だった。こわれ者の祭典には毎回打ち上げ交流会があって、そこでいろんな人に会えたのが楽しかった。
その後、東京や新潟でイベントがあると行くようになった。
April 1, 2025 at 1:33 PM
年賀状の配達のアルバイトは2週間くらいで42000円くらいもらった。新聞配達は1カ月朝刊だけなら58000円。のちに夕刊の配達もやるようになって、112000円になった。自分にも働いてお金を稼ぐことができるんだと少しの自信になった。
それまでひきこもりの時には、何の役にも立っていない自分のことを責め続けていたから、たとえ簡単なアルバイトであっても、それをしている時だけは、自分は働けている、役に立てているのだと思えて、その時だけは自分のことを責めなくてもいい時間だった。
何もしていない時よりも精神的には楽な時間だった。たとえお金をもらえていなくても意味のある時間だったと思う。
March 6, 2025 at 12:30 PM
新聞配達の仕事は朝3時50分からだった(のちに3時40分からになる)。
朝は当然早いわけだが、ひきこもりだったので、いつ寝ていつ起きてもよかった。毎朝同じ時間に起きるだけなら、それほど苦でもなかった。配る場所を覚えるのは最初は苦労したが、一度覚えてしまえば毎日同じことの繰り返しなので難しくなかった。
自分はその販売店で一番若かったのもあって、自転車で配り終えるのが一番早かった。それを密かな誇りにしていた。
March 6, 2025 at 12:29 PM
年賀状のアルバイトは2週間くらいだったと思う。それまで働くことなどできないのではないかと思っていたところが、年賀状の配達なら人と話さなくてもできるということもあり、毎日同じことを繰り返せばいいという仕事が合っていたのもあったのか、意外に自分にもできたという感触があった。
そう思っている頃に届いたのが新聞配達のアルバイトの募集だった。
February 25, 2025 at 1:44 AM
何もできない状態でも、何かをしなければいけないという思いはあった。むしろ焦りの気持ちで自分を追いつめていたと思う。
何かアルバイトでもしなくてはと思っていたものの、具体的には何もできていなかった。その頃に届いたのが年賀状のアルバイトの募集だった。それでも結局は決断ができないまま実際には一年見送り、次の年に同じようにきた募集に応募してアルバイトを始めることになった。
February 25, 2025 at 1:44 AM
新聞配達のアルバイトは名古屋にいた頃わりと長くしていた。3年あまりしていたと思う。人と喋らなくてもいい仕事だから、長く続けることができた。
大学時代は人と話すことは全くできなかった。5年間在籍して、ほぼ誰とも口をきいたことがない。そんな状態だから、自分には働いてお金を稼ぐなどということなどできないのではないかと思っていた。
そんな時にしたのが年賀状の配達のアルバイトだった。
February 25, 2025 at 1:44 AM
それでも交友関係を結ぶことができた人も数少なくいるものの、それがなぜそうなれたのかというのは偶然に過ぎないとしか答えられない。
自らの意思ではどうにもならない所与の制約条件として生きていくしかないのだろうということを今では納得している。
無理をしてもうまくいくことはない。これが自分の自然なのだと考える他ない。
February 20, 2025 at 5:37 AM
それがコミュニケーション障害ということだと理解するのもずいぶん後になってから。
自分ではちゃんと関係を築けていたと思えたと思えていたことも数少なくともあるが、今では自分でできていると思っていただけで実際にはできていなかったということも多かったのではないかと思う。
最初はうまくできなくても、徐々にでもできるようになっていくのではないかという想定で、自分なりに努力してきたつもりでいたところもあったのだが、それが生まれながらの変えられない性質であることを納得するのも自分が発達障害だと知る38歳になる年のことだった。
February 20, 2025 at 5:33 AM
SNSは一生懸命やればやるほど人間は劣化するし、世の中は悪くなる。ならばどうすれば世の中は良くなり、人間は良く生きられるのか。そこにはまだ答えは出ていない。しかし今までのやり方をそのまま続けていけばますます悪くなる方向に行くことだけは確かなのではないか。
ただSNSを更新するだけならAIにもできる。人間が生きている意味はあるのか。AIに支配されるだけの時代になるのか、そうでない方法はあるのか。
February 11, 2025 at 1:23 PM
1990年代後半からインターネットが普及し始め、2010年代にSNSの時代が到来し、2020年代中盤に終わりを迎える。
これからは何の時代かと言えば、明確にAIの時代だろう。SNSの更新などはAIが自動的に勝手に行うようになるだろう。人間がSNSをやる意味などなくなるだろう。

デマと真実は同列に並んだ時点でデマの勝ち。正しい情報とフェイクの情報が区別されずに同列に並ぶSNSは原理的にデマが勝ち続ける空間。SNSが普及すればするほどデマは拡散され続ける。
もともとフェイクの時代が到来するのは避けられないことだったのか。
February 11, 2025 at 12:02 PM