最初は短期のアルバイトや当時あった日雇い派遣などをやっていた。住む場所も短い間に何度か引越し、極端に狭いゲストハウスに住んでいたこともあった。
生活は大変だったはずだが、苦労することは最初から分かっていた。人に頼るという発想もなかった。なるべく自分の力でなんとかしたかった。
最初は短期のアルバイトや当時あった日雇い派遣などをやっていた。住む場所も短い間に何度か引越し、極端に狭いゲストハウスに住んでいたこともあった。
生活は大変だったはずだが、苦労することは最初から分かっていた。人に頼るという発想もなかった。なるべく自分の力でなんとかしたかった。
直接の動機としては、東京に遊びにくることが増えるにつれて知り合いや友達が東京の方が多くなってきたこと、一人暮らしをしてみたかったこと、自分の力で何がどのくらいできるか試してみたかったこと、いろいろあるが、一言で抽象的に言えば自由になりたかったということだと思う。
直接の動機としては、東京に遊びにくることが増えるにつれて知り合いや友達が東京の方が多くなってきたこと、一人暮らしをしてみたかったこと、自分の力で何がどのくらいできるか試してみたかったこと、いろいろあるが、一言で抽象的に言えば自由になりたかったということだと思う。
イベントなどに行くたびに新しい知り合いが増えたりするのが楽しくなって、もっともっと新しい場所に行きたくなり、頻繁に東京に来るようになる。
そのうち名古屋よりも東京の方が知り合いや友達も多くなって、東京に出てきたいと思うようになった。
イベントなどに行くたびに新しい知り合いが増えたりするのが楽しくなって、もっともっと新しい場所に行きたくなり、頻繁に東京に来るようになる。
そのうち名古屋よりも東京の方が知り合いや友達も多くなって、東京に出てきたいと思うようになった。
心身障害者のパフォーマンス集団と銘打っているこわれ者の祭典は新潟の人たちで、初めて行ったイベントも新潟で行われたものだった。
名古屋から新潟まで夜行バスで行った。自分にとっては大冒険だった。こわれ者の祭典には毎回打ち上げ交流会があって、そこでいろんな人に会えたのが楽しかった。
その後、東京や新潟でイベントがあると行くようになった。
心身障害者のパフォーマンス集団と銘打っているこわれ者の祭典は新潟の人たちで、初めて行ったイベントも新潟で行われたものだった。
名古屋から新潟まで夜行バスで行った。自分にとっては大冒険だった。こわれ者の祭典には毎回打ち上げ交流会があって、そこでいろんな人に会えたのが楽しかった。
その後、東京や新潟でイベントがあると行くようになった。
それまでひきこもりの時には、何の役にも立っていない自分のことを責め続けていたから、たとえ簡単なアルバイトであっても、それをしている時だけは、自分は働けている、役に立てているのだと思えて、その時だけは自分のことを責めなくてもいい時間だった。
何もしていない時よりも精神的には楽な時間だった。たとえお金をもらえていなくても意味のある時間だったと思う。
それまでひきこもりの時には、何の役にも立っていない自分のことを責め続けていたから、たとえ簡単なアルバイトであっても、それをしている時だけは、自分は働けている、役に立てているのだと思えて、その時だけは自分のことを責めなくてもいい時間だった。
何もしていない時よりも精神的には楽な時間だった。たとえお金をもらえていなくても意味のある時間だったと思う。
朝は当然早いわけだが、ひきこもりだったので、いつ寝ていつ起きてもよかった。毎朝同じ時間に起きるだけなら、それほど苦でもなかった。配る場所を覚えるのは最初は苦労したが、一度覚えてしまえば毎日同じことの繰り返しなので難しくなかった。
自分はその販売店で一番若かったのもあって、自転車で配り終えるのが一番早かった。それを密かな誇りにしていた。
朝は当然早いわけだが、ひきこもりだったので、いつ寝ていつ起きてもよかった。毎朝同じ時間に起きるだけなら、それほど苦でもなかった。配る場所を覚えるのは最初は苦労したが、一度覚えてしまえば毎日同じことの繰り返しなので難しくなかった。
自分はその販売店で一番若かったのもあって、自転車で配り終えるのが一番早かった。それを密かな誇りにしていた。
そう思っている頃に届いたのが新聞配達のアルバイトの募集だった。
そう思っている頃に届いたのが新聞配達のアルバイトの募集だった。
何かアルバイトでもしなくてはと思っていたものの、具体的には何もできていなかった。その頃に届いたのが年賀状のアルバイトの募集だった。それでも結局は決断ができないまま実際には一年見送り、次の年に同じようにきた募集に応募してアルバイトを始めることになった。
何かアルバイトでもしなくてはと思っていたものの、具体的には何もできていなかった。その頃に届いたのが年賀状のアルバイトの募集だった。それでも結局は決断ができないまま実際には一年見送り、次の年に同じようにきた募集に応募してアルバイトを始めることになった。
大学時代は人と話すことは全くできなかった。5年間在籍して、ほぼ誰とも口をきいたことがない。そんな状態だから、自分には働いてお金を稼ぐなどということなどできないのではないかと思っていた。
そんな時にしたのが年賀状の配達のアルバイトだった。
大学時代は人と話すことは全くできなかった。5年間在籍して、ほぼ誰とも口をきいたことがない。そんな状態だから、自分には働いてお金を稼ぐなどということなどできないのではないかと思っていた。
そんな時にしたのが年賀状の配達のアルバイトだった。
自らの意思ではどうにもならない所与の制約条件として生きていくしかないのだろうということを今では納得している。
無理をしてもうまくいくことはない。これが自分の自然なのだと考える他ない。
自らの意思ではどうにもならない所与の制約条件として生きていくしかないのだろうということを今では納得している。
無理をしてもうまくいくことはない。これが自分の自然なのだと考える他ない。
自分ではちゃんと関係を築けていたと思えたと思えていたことも数少なくともあるが、今では自分でできていると思っていただけで実際にはできていなかったということも多かったのではないかと思う。
最初はうまくできなくても、徐々にでもできるようになっていくのではないかという想定で、自分なりに努力してきたつもりでいたところもあったのだが、それが生まれながらの変えられない性質であることを納得するのも自分が発達障害だと知る38歳になる年のことだった。
自分ではちゃんと関係を築けていたと思えたと思えていたことも数少なくともあるが、今では自分でできていると思っていただけで実際にはできていなかったということも多かったのではないかと思う。
最初はうまくできなくても、徐々にでもできるようになっていくのではないかという想定で、自分なりに努力してきたつもりでいたところもあったのだが、それが生まれながらの変えられない性質であることを納得するのも自分が発達障害だと知る38歳になる年のことだった。
ただSNSを更新するだけならAIにもできる。人間が生きている意味はあるのか。AIに支配されるだけの時代になるのか、そうでない方法はあるのか。
ただSNSを更新するだけならAIにもできる。人間が生きている意味はあるのか。AIに支配されるだけの時代になるのか、そうでない方法はあるのか。
これからは何の時代かと言えば、明確にAIの時代だろう。SNSの更新などはAIが自動的に勝手に行うようになるだろう。人間がSNSをやる意味などなくなるだろう。
デマと真実は同列に並んだ時点でデマの勝ち。正しい情報とフェイクの情報が区別されずに同列に並ぶSNSは原理的にデマが勝ち続ける空間。SNSが普及すればするほどデマは拡散され続ける。
もともとフェイクの時代が到来するのは避けられないことだったのか。
これからは何の時代かと言えば、明確にAIの時代だろう。SNSの更新などはAIが自動的に勝手に行うようになるだろう。人間がSNSをやる意味などなくなるだろう。
デマと真実は同列に並んだ時点でデマの勝ち。正しい情報とフェイクの情報が区別されずに同列に並ぶSNSは原理的にデマが勝ち続ける空間。SNSが普及すればするほどデマは拡散され続ける。
もともとフェイクの時代が到来するのは避けられないことだったのか。