読書wanwan
banner
wanwan65537.bsky.social
読書wanwan
@wanwan65537.bsky.social

好きな文章、気になる文章をここに集めてます。(Threads:https://www.threads.com/@wanwan65537 では本にまつわる話を投稿中)
【文章収集】

「それで今年は誕生日をやってみることにした。」

(津村記久子「誕生日の一日」、『うそコンシェルジュ』新潮社、2024、所収、p.53)
November 19, 2025 at 9:09 PM
【文章収集】

「旅でふしぎに印象に残る時間は、都市の広場に面したカフェテラスで何もしないで行き交う人たちを眺めてすごした朝だとか、海岸線を陽が暮れるまでただ歩きつづけた一日とか、要するに何かに有効に「使われた」時間ではなく、ただ「生きられた」時間です。」
 
(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006、p.32)
November 18, 2025 at 9:09 PM
【文章収集】

ストーナーは英文学の講義でシェイクスピアの73番目のソネットの朗読を聞く。それが意味するところが何であるかは言葉にできないが、そこに何かを感じる――

「ウィリアム・ストーナーは、自分がしばしのあいだ息を詰めていたことに気づいた。そうっと息を吐き、肺から空気が出ていくにつれて服が少しずつ皮膚の上で動くのを意識する。」

(ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』東江一紀 訳、作品社、2014、p.15)
November 18, 2025 at 12:05 AM
【文章収集】

「ラレレ、ラレレ、ラレレ、  あるいは生は美しいのかもしれない、無に等しいほどに 」

「細い通りをたどること 」

「水たまりのほとりではどの猫も違った跳ね方をする 」

「小さな停車駅のまなざし ユルゲン・フックスにおける記憶の方眼紙 」

ヘルタ・ミュラー『いつもおなじ雪といつもおなじおじさん――ヘルタ・ミュラー エッセイ集』新本史斉訳、三修社、2025年、の目次からいくつか引用した。
November 16, 2025 at 8:31 PM
【文章収集】

「ようやくあとがきを書くところに漕ぎつけた。まったく途中で死なないでよかったという感じである。」

(新関公子「あとがき」より、『東京美術学校物語――国粋と国際のはざまに揺れて』岩波新書、2025、p.245)
November 15, 2025 at 9:10 PM
【文章収集】

「そこへはむかし同様鉄道で行きたいと思っていた。飛行機で、あるいは車で行けばやはり町は相貌を変えてしまう。電車で、それだけの時間をかけて、町のおもかげを胸のうちで反芻しながら近づいて行くのでなければならない。」 

(山田稔『別れの手続き――山田稔散文選』(大人の本棚)、みすず書房、2011、p.118)
November 14, 2025 at 9:01 PM
【文章収集】

「本を読み終えたら文章を抜粋する。その部分をカメラで撮っておくこともあれば、一文一文、メモアプリに書き写すこともある。書き写す場合、ゆうに一、二時間はかかるけれど、作業を終えるたびにひとり味わう達成感は格別だ。そうやって抜粋に力を入れていると、ふと、自分は文章を収集するために本を読んでいるのだろうか、と思うこともある。 できることなら、良い文章を一文たりとも逃したくない。」

(ファン・ボルム『毎日読みます』牧野美加訳、集英社、2025、p.93)
November 13, 2025 at 9:37 PM
【文章収集】

「私たちの関係で彼が好きだったのは、と彼は言っていた、私たちが決して他の人々や私たち共通の知人について話さないことだった。彼に言わせれば、私たちは駅のプラットホームで出会う旅行者のように話し合っていた。」

* 彼とはサルトルのこと。

(フランソワーズ・サガン『私自身のための優しい回想』朝吹三吉 訳、新潮文庫、1995、p.153)
November 10, 2025 at 7:43 PM
【文章収集】

「仕事か遊びか、労働か余暇かといった二者択一が問題なのではなく、同じ行為がどういうきっかけで愉しみになり、どういうきっかけで労苦になるのか、その展開軸を見さだめることが必要である。」

(鷲田清一『思考のエシックス——反・方法主義論』ナカニシヤ出版、2007、p.280)
November 9, 2025 at 7:28 PM
【文章収集】

「私の祖母が私の襦袢にポケットを縫いつけ、その中に入れてくれた金であった。祖母は言ったのである――都にゆけばじき冬になる。都の冬には新しいくびまきが要るであろう。いなかの店のくびまきは都の娘子衆のくびまきに見劣りのすることは必定(ひつじょう)であろ。この金で好いた柄のを買いなされ。」

(尾崎翠『第七官界彷徨』河出文庫、2009、p.21)
November 8, 2025 at 10:20 PM
【文章収集】

「「こいさん、頼むわ。――――」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入(はい)って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛(はけ)を渡して、其方(そちら)はみずに、目の前に映っている長襦袢(ながじゅばん)姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据えながら、
 「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
 「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」」

* 読み進めていくと、この日は、昭和11年(1936)11月8日(日曜日)であることがわかる。

(谷崎潤一郎『細雪(上)』、新潮文庫、1997、p.5)
November 8, 2025 at 7:44 AM
【文章収集】

「去年から、ジョーは頭の中である壮大な計画を立てていた。この一生に読んだ小説の物語をもう一度読み直し、すべての物語をつないでいこうというのだ。そうすれば本を手に取っただけで、ひとつの物語からべつな物語へと停まることなく渡っていける。」

(残雪『最後の恋人』近藤直子訳、平凡社、2014、p.16)
November 7, 2025 at 10:02 PM
【文章収集】

「こんにちでは誰しも死の判定といえばすべて医学の問題として疑わない。しかし、明治以前は死の判定は家族がしていた。文化人類学者の波平恵美子によると、「通夜」というのは死者を悼むためだけのものではなく、死者が生き返ってこないかどうかを確認するためのものであったという。」

(立川昭二『昭和の跫音』筑摩書房、1992、p.42)
November 6, 2025 at 11:00 PM
【文章収集】

「建築もそこにいることがただ気持ちのいいものでなければ意味がない。」

(松家仁之『天使も踏むを畏れるところ(上)』新潮社、2025、p.222)
November 5, 2025 at 8:57 PM
【文章収集】

「おとなになると、周りはすでに見知った「何か」ばかりであり、いったん「何か」として分類してしまえば、それ以上きちんと見ようとしない。」

(齋藤亜矢『ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待』岩波科学ライブラリー、2014、p.89)
November 4, 2025 at 10:53 PM
【文章収集】

「十一月自体が秋から冬に向かう旅だと考えてもいいかもしれない。いながらにしての旅。移動するのは自分ではない。周囲の世界全体が冬に向かって旅をしているのだ。空は高みを増し、空気は新しくなる。花の色は薄く変わり、街や人はほかの季節より穏やかな色に包まれる。」

(西崎憲「跋」より、西崎憲編『11月の本』国書刊行会、2025、p.267)
November 3, 2025 at 8:13 PM
【文章収集】

「定家明月記私抄」を雑誌「波」に連載していた(1981〜)頃の父・堀田善衛について――

「定家さんは独自な漢文、父は読み下すのに本当に四苦八苦していました。教養がないと嘆き、「明月記わからん帳」というノートを作り、一言一句を理解するのに三日も四日もかかり、それが定家さんの当て字だったりすると、もう啞然、茫然、どっと疲れていました。当然機嫌も悪くなります。それが三年四ヵ月続きました。その後休筆をはさんで、日本において書かれた続篇〔正篇はバルセロナで書かれた〕、二年三ヵ月も併せれば、約八年です。」〔 〕内は引用者注。

(堀田百合子『ただの文士』岩波書店、2018、p.164)
November 2, 2025 at 7:45 PM
【文章収集】

「雑談らしさとはどういうものか、その雰囲気はどのようにしたら生み出せるのか。(中略)発話の中で明確な意味を担う〈実質語〉を抑えて、「あれはどうなん?」「それいややわ」という〈指示語〉を多用するという試みである。意味内容が明確すぎると、その内容に引きずられすぎて、目的指向のキカイキカイしたやりとりに戻ってしまう。」

(岡田美智男『弱いロボット』(シリーズ ケアをひらく)医学書院、2012、p.33)
November 1, 2025 at 9:08 PM
【文章収集】

「路上のカフェは、都会のみに特有な状況を生み出す。つまり、そこは衆目のなかで合法的に腰をおろし、移りゆく世界をのんびり眺められる場所である。」

(C. アレグザンダー他『パタン・ランゲージ――環境設計の手引』平田翰那訳、鹿島出版会、1984、p.227)
October 31, 2025 at 7:29 PM
【文章収集】

「草葺きの襤褸屋根を通過して、屋内へ光が、幾本もの線状になって漏れていた。皆が眠りにつくなか、静けさを破らぬようゆっくりと半身を起こし、一人呆然とそれを見つめる。 
 夜遅く上り始めた月は、深更、山間の小さな苫屋の屋根にも、その清明なまなざしを、皓々と降り注いでいたのだった。このように不意に目覚めることのなければ、私自身最後までそれに気づかずにいて、また誰一人気づくものもいない、ただただ無心に漏れ来る光の林よ。」

(梨木香歩『海うそ』岩波書店、2014、p.125)
October 30, 2025 at 10:41 PM
【文章収集】
 
「作業場の壁にコーネルは床から天井まで棚を作り、彼が言うところの「原材料」の膨大なコレクションを並べた。ファイル・キャビネットのかわりに所蔵物を茶色の段ボール箱に入れて整理し、「切手」「地図」「デューラー」といったようなラベルを貼った。フォルダーもあって、いずれ作品のなかで追求したいと思うモティーフが入っていた。」
 
(デボラ・ソロモン『ジョゼフ・コーネル――箱の中のユートピア[新版]』林寿美、太田泰人訳、白水社、2022、p.183)
 
* ジョゼフ・コーネル(1903-1972)。収集してきたさまざまな素材を箱の中に入れた作品をつくった。
October 29, 2025 at 9:41 PM
【文章収集】

「ニューヨークは尽きることのない空間、無限の歩みから成る一個の迷路だった。どれだけ遠くまで歩いても、どれだけ街並や通りを詳しく知るようになっても、彼はつねに迷子になったような思いに囚われた。」

(ポール・オースター『ガラスの街』柴田元幸訳、新潮社、2009、p.4)
October 28, 2025 at 9:01 PM
【文章収集】

「セーターの中は予想外に暗かった。」

(レイ・ヴクサヴィッチ「セーター」、『変愛小説集』岸本佐知子編訳、講談社、2008、p.59)
October 27, 2025 at 8:10 PM
【文章収集】

「彼の場合、幸福はごく僅かなことに尽きるのだった。すなわち、町を散歩すること、街路を歩くこと、疲れたら道端に腰を下ろすこと。」

(アゴタ・クリストフ「街路」、『どちらでもいい』堀茂樹 訳、ハヤカワ文庫、2008、所収、p.113)
October 26, 2025 at 11:13 PM
【文章収集】

著者の父が亡くなり、銀行の窓口に相続のことで問い合わせに行くと「では、こちらでお待ち下さい。何時間お待ちいただくかわかりませんけど」と言われる――

「わたしもそこそこ生きてきて学習している。怒ったら負けなのだ。」

(益田ミリ『永遠のおでかけ』毎日文庫、毎日新聞出版、2021、p.103)
October 26, 2025 at 1:01 AM