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『わたなれ』で反復される「赦し」について | 調和と変革 www.reiji990.blog/blog/watanare
『わたなれ』で反復される「赦し」について
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October 25, 2025 at 6:53 PM
甘織れな子による「赦し」を受けた王塚真唯と瀬名紫陽花は成熟を始める。
一方、「赦し」を受けていない琴紗月は自身が変化することへの拒否反応から甘織れな子に勝負を挑む。
同じく「赦し」を受けていない小柳香穂は自身が変化しないことへの焦燥感を抱えている。
October 14, 2025 at 3:50 PM
四つ星学園上級生アイドル中最多のステージが割り振られた白銀リリィも、ヴィーナスアーク所属アイドルと同じく、アイカツスターズ!2年目のテーマを提示する存在である。(というよりも、1年目も含めた本作全体の主張を引き受けることが彼女の役割である)

2年目における白銀リリィの物語は1年目第39話で既にその兆しを見せている。
October 22, 2024 at 3:34 PM
その意味で、ヴィーナスアークのアイドル達のアイドル活動は、四ツ星学園ゆめ世代が1年生の時に迎えた成長の延長線上にいる、とも言える。(ただし、あくまでも途中分岐したIfの姿だが)

このアップデート後のアイドル活動は、換言すれば、社会性を放棄した姿、外界から距離を置いた姿とも言える。この自己幽閉的なアイドル活動がもたらす正負の両側面を提示する事がヴィーナスアークに与えられた役割である。
October 22, 2024 at 3:32 PM
私にとってワーグナーは素手で取り組んで分かるものではなく、前後の時代の(より親しみやすい)作品でオペラそのものに慣れる仕事と、譜例付きの解説を読み音楽的感性を育む仕事を行なった上で、実演を鑑賞して演技や舞台演出から物語に没入し、ようやく心酔できるようになった。(3/n)
September 23, 2024 at 2:08 PM
クラシック音楽全般を一定程度聴いてきた以上オペラも多少聴いてはいたが、モーツァルト以外のオペラを楽しんだのは上二作からだったと思う。
その後、ショスタコーヴィチからモーツァルトまでの、ワーグナーの前後の時代の作曲家のオペラを(自宅で)鑑賞して、オペラに関連する文章をいくらか読み、上京してからはオペラの実演をいくつか鑑賞して、タンホイザーの実演に接して、ようやくワーグナーを心から楽しめた。(2/n)
September 23, 2024 at 2:02 PM
VAのアイドルたちは登場時から極めて自閉的な自身のゲームルールの中で動いているが、それも敗北というスイッチでゲームルールを変えていく。

VAのアイドルたちは敗北をスイッチに、概ね他者を尊重する方向へ傾く。自身の自閉的な、自己完結的な価値観を敗北によって書き換えられる。自分が完璧でないこと、伸び代があること、他者から学ぶ余地があることを知る。
September 15, 2024 at 2:21 AM
ホメロスはネガティブなイメージを共有する。集団が個人を侵害する行為を、行ってはならないこと、目の前で起きたら放ってはいけないこと、として共有する。ポリスは、ネガティブなイメージを実現することのないように選択を熟考し、その上で決定事項は速やかに正確に遂行される。これが普遍性を獲得する鍵になる。
(5/n)
September 15, 2024 at 1:18 AM
現代人の言葉のままでは確信できないため、人権の尊重や法の支配の理念、ルーツを辿ってみる。どうやらヨーロッパでは古代ローマの法体系、その基となった古代ギリシャの政治のあり方を学び、これらの現在形を作ったらしい。

古代ギリシャにおける政治(集団の意思決定プロセス)は、その前提にホメロスがあった。ホメロスの叙事詩の様々なイメージとその説得力によって、集団が個人を侵害する行為を決して意思決定させないメカニズムが働いていた、という。
(4/n)
September 15, 2024 at 1:17 AM
現代の西洋型社会における普遍的な規範といえば、人権の尊重や法の支配がある。しかしながら、国際社会において必ずしもこれらが厳密に遂行されているとは言い難い。国家による侵略行為やジェノサイドを肯定することこそないけれど、公的な地位ある役職を務める人が積極的に反対する声明を出すことすら憚る様子はニュースで見かけるし、犯罪を内々で処理する動きはニュース上でも私の周りでもよく起きている。その点で、国連の掲げるこれらの言葉を鵜呑みにしてもうまくいかないのではないか、少なくとも私はこれらの考えをそのままで確信することはできない。
(3/n)
September 15, 2024 at 1:16 AM
規範の相対化、多様化の進む今日この頃、多様化した規範を単なる感情の発露と勘違いすると、感情を過信しそれを意見であるかのように纏ってしまうのだろう。

私も度々彼らのようになる。これまでは幸運にも反省の機会があり脱却の意思が働いてきたが、これがいつまでも続くとは思えず、自身の拠り所となるような規範を身につけて、繰り返すことのないようにしたいという思いは日々強くなる。

感情が常に間違っているというわけではないにしても、確度が低く、使わないようにした方がより安全である。個人の感情に縛られない、より普遍的で、実践に耐えうる規範に従いたいという欲求がある。
(2/n)
September 15, 2024 at 1:15 AM