Wanda
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@patrick-orouet.bsky.social
だいたい考え事をしながら脳の中がぐるぐるしてます。男性です。映画にまつわるあれやこれやをしています。仕事にまつわったりまつわらなかったりすることを呟きます。x https://x.com/patrick_orouet / Letterboxd https://boxd.it/h5P0l
その地獄でマシに生きていくためには、不当なことでも押し倒す力を得てそれを正当と思い込むか、そんな状況を受容するしかないのだとしたら…日本にも置き換えられそうでもあるけど、警察や交通事情の差が、過剰さとなって跳ね返る瞬間もあった。もっともそれが日本と比べましって話ではなく、むしろもっと別の形で(バックラッシュとかで)日本にも同じ課題があるとも思う。 #2025年映画ベスト
November 29, 2025 at 10:23 PM
この世界は子どもが幸福に生きていける世界なのか?という疑問が、淡く彼女を取り囲むが、同時に、彼女がいま選んでいる生は、おそらく子どもも含めた家庭生活を構築しなければ成功とは言えない種類のものでもあろう。だから、この生きづらさをそのまま生きていくしかない…ということをとても丁寧に知的にショットを重ねつつ描き出す作品。幸福なはずの裕福な子どもたち、就職が決まった女性、そういう本来は喜びに通じるようなものが俯瞰のロングショットで描き出される時、ここはまるで地獄のよう、と思う。
November 29, 2025 at 10:23 PM
そして漠然と、これって、多くの日本の若者が、そう遠くない未来に味わう感慨かもな、とかも思う。
#2025年映画ベスト
November 26, 2025 at 2:44 PM
彼らの優しい日常の薄皮一枚向こうに過酷さがあって、それを巧みに避けながら自分たちの美しさを大切にしている。それが例えば料理を皆で作る手作業の丁寧さに現れる。
この映画を好ましく思うのは、そうした閉ざされた関係が、閉じた場所にだけ現れるのではなくて、自転車での移動を通して街とも密接に結びつくところだ。アミールたちが自転車での移動で感じ取る風や光を一緒に感じることで、テヘランの街の美しさに反応してしまうのだけど、多分それは単に風景の美しさだけじゃなくて、そこに生きるアミールたちも込みで美しいのだろう。だから去り難いのだと。去らないわけにはいかないのだとしても。
November 26, 2025 at 2:44 PM
ある方の指摘で絶対言わなきゃいけないこと2つ思い出しました。
1つは塩見三省の素晴らしさ。焼き鳥屋の店主と思しき塩見は、足が悪く大きな声も出さないが、しかしその場所になくてはならない、客を人間的に見守る、受け止めている存在で、だからここでは何か大事な感情が自然と吹き出すのだろう。そんなふうに感じさせる場を作れる尊さ。
もう1つはストーマを巡る描写。ストーマをつけた井川遥を後ろから抱きしめている堺雅人の描写はとても良いと思った。他方でどうしても気にしてしまう井川遥のリアルも。しかし少なくとも、二人の関係の障害にはなってないと思う。むしろ、共有している課題に見える。これまた胸打たれるポイントだった
November 23, 2025 at 3:18 PM
移動式の遊園地なのだろうか、カラフルな電飾でクルクルと地面と水平に円を描いて回る遊具の中に閉じ込められた犬のシーン、壁もない、屋根だけのレストランのような場所で人々が集まって、犬猫もいて、というラストから2つ目のシーン、などなど決め決めのシーンがいくつかあって、これはずっと見てたいな、と感じる。あと、仏像たちがどれも素晴らしい。 #2025年映画ベスト
November 23, 2025 at 5:37 AM
それでも必死に掴もうとするものはあって、危ういし、もしかしなくても唾棄すべき欲望もありながらなお、輝く、自分にとっては何か貴重な瞬間もあって、しかし絶えず複雑に絶望のようなものもあって。それら全てまとめて、家なのだとしたら?と思う、恐ろしく厄介な映画。少女役のツィンコーツィ・ジュジャが恐ろしく美しい。そしてヤン・ノヴィツキがあまりにクソで必死な名演だったと思う。
November 17, 2025 at 12:54 PM
ビビンバを食べるシーンも素晴らしかった。きっとチゲ鍋も食べたかったことであろう。手作りパンもきっと美味しいのだろうが、なぜかそれは映されない。なぜパンなのかわからない。
November 17, 2025 at 10:13 AM