L'Idiote
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生月はなかなかのイケメンでもあったらしく、その容姿を描いた浮世絵なども残されている。もっとも力士といっても実際に相撲を取ることは殆どなかった。

当時は看板大関とか飾り関などと呼ばれる土俵入りのみに登場する力士が存在していた。驚異的な大男や極度の肥満児などを連れてきて客寄せパンダにしていたわけだが、生月も同様のポジションにいた人物である。

記録されている対戦数は僅か5戦 (3勝2敗) だけ。巨体だけあって腕力はかなり強かったそうだが、技量的にはド素人同然だったろうと思われる。
November 13, 2025 at 1:34 AM
北の富士さんはお洒落な人だったけれど、北の湖さんはその辺はひじょうに無頓着だった。理事長時代もブランド物のバッグなどを持ち歩くことはなく、愛用していたのはコンビニ袋。「これが一番使い勝手が良いんだよ。まあ耐久性はないけどな」と言い放っていた。
November 12, 2025 at 3:48 PM
北の湖さんも現役時代の寡黙で厳しい大横綱ぶりとは裏腹に、弟子には優しい親方だった。そんな北の湖さんにやたらに可愛がられたのは直弟子ではない明瀬山 (現井筒親方) 。木瀬部屋が不祥事で一時閉鎖したときの預かり弟子だったのにも関わらず「光彦、相変わらず見事な食いっぷりだな。だけどな、俺だって若い頃は丼飯8杯ぐらいは軽く平らげたんだぞ」といった調子で下の名前で呼ばれたのは明瀬山唯一人だけ。
November 12, 2025 at 3:35 PM
ちなみに生前の北の富士さん御自身は北の富士カレーについて「う〜ん、甘いね。もう少し辛めにした方が良かったかも...」と少々厳しめな評価を下しておられた。
November 12, 2025 at 10:06 AM
数多くの名作に出演している仲代さんも駆け出しの頃はしょうもない役を演じていた。例えば江利チエミ主演の映画『サザエさん』(1956年) でのノリスケ役。

「波平おじさん、鶏小屋作りなら僕に任せてくださいよ」などと言いつつ内側から金網を張って、鶏小屋から出られなくなるという間抜けぶりを楽しげに演じておられる。
November 11, 2025 at 4:10 AM
ちなみに先代の旭富士 (先代伊勢ヶ濱、現宮城野親方) は短命横綱だった。正直に言って圧倒的に強い横綱という感じではなく、昇進から約1年で引退している。しかし気の毒な面もあった。

大関在位中に横綱昇進してもおかしくない成績を何度か上げながら、その度に時期尚早という理由で見送られた。これは双羽黒の不祥事による廃業騒動で昇進条件がやたらに厳しくなったことによる。

何度目かの挑戦でようやく平成時代最初の横綱となったが、その時は持病やら怪我やらで体中ボロボロ状態。力士としての盛りはすでに過ぎていた。
November 10, 2025 at 1:38 PM