いちばん大きいのは江戸時代の人気力士生月鯨太左衛門。約230cmあるのでアンドレ・ザ・ジャイアントよりもデカい。当時の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が145cm程度だったそうなので、実物の生月を目にした江戸庶民はさぞかしぶったまげたことだろうと思う。
📷️ Leica D-LUX 8
いちばん大きいのは江戸時代の人気力士生月鯨太左衛門。約230cmあるのでアンドレ・ザ・ジャイアントよりもデカい。当時の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が145cm程度だったそうなので、実物の生月を目にした江戸庶民はさぞかしぶったまげたことだろうと思う。
📷️ Leica D-LUX 8
当時の相撲部屋の指導法といえばビンタをかまして怒鳴りつけたり、竹刀や竹箒でぶっ叩いたりするのが当たり前だったけど、北の富士さんはそういうことは一切しなかった。基本的には若い衆の自主性を重んじる放任タイプで、ときには弟子に対して甘すぎると言われることもあった。
これについて北の富士さんは「怒鳴りつけて弟子が強くなるなら苦労しませんよ。結局は本人のやる気次第だからね。やる気のない者にガミガミ言ったところで余計にやる気なくすだけでしょう。ある程度放っておいた方が自分からやる気になるもんですよ」と仰っていたことを思い出す。
当時の相撲部屋の指導法といえばビンタをかまして怒鳴りつけたり、竹刀や竹箒でぶっ叩いたりするのが当たり前だったけど、北の富士さんはそういうことは一切しなかった。基本的には若い衆の自主性を重んじる放任タイプで、ときには弟子に対して甘すぎると言われることもあった。
これについて北の富士さんは「怒鳴りつけて弟子が強くなるなら苦労しませんよ。結局は本人のやる気次第だからね。やる気のない者にガミガミ言ったところで余計にやる気なくすだけでしょう。ある程度放っておいた方が自分からやる気になるもんですよ」と仰っていたことを思い出す。
何年か前には山崎製パンとコラボして「北の富士カレーランチパック」まで登場した協会が誇る大人気商品だが、今夏にいったん販売終了となっていた。商品担当の高崎親方によれば、味はそのままで遅くとも来年の5月までには再発売するとのこと。
何年か前には山崎製パンとコラボして「北の富士カレーランチパック」まで登場した協会が誇る大人気商品だが、今夏にいったん販売終了となっていた。商品担当の高崎親方によれば、味はそのままで遅くとも来年の5月までには再発売するとのこと。
一方の若隆景は初日からの4連敗でちょっと心配。もともとスロースターターの傾向があるとはいえ、先場所あたりからどうも動きが悪い様に見える。もしかしたらどこか調子を崩しているのかもしれない。
一方の若隆景は初日からの4連敗でちょっと心配。もともとスロースターターの傾向があるとはいえ、先場所あたりからどうも動きが悪い様に見える。もしかしたらどこか調子を崩しているのかもしれない。
新旭富士の相撲内容の評価はさておき、琴風さんも自身の四股名の門戸を開放しているそうで「継ぎたいという力士がいれば喜んで譲る覚悟はある」と書いている。
俺はなんとしてでも2代目琴風になりたいんだという奇特な力士はおそらくいないと思うが、仮にいたとしても、頭に「琴」の字が付いているだけに対象者は佐渡ヶ嶽部屋の力士のみとなってしまう可能性が高い。
新旭富士の相撲内容の評価はさておき、琴風さんも自身の四股名の門戸を開放しているそうで「継ぎたいという力士がいれば喜んで譲る覚悟はある」と書いている。
俺はなんとしてでも2代目琴風になりたいんだという奇特な力士はおそらくいないと思うが、仮にいたとしても、頭に「琴」の字が付いているだけに対象者は佐渡ヶ嶽部屋の力士のみとなってしまう可能性が高い。
琴櫻は2連敗。勝った髙安の決まり手は驚きの内無双。髙安も長いこと相撲を取っているけど、内無双を決めたのはおそらく初めてのことではないだろうか。
琴櫻は2連敗。勝った髙安の決まり手は驚きの内無双。髙安も長いこと相撲を取っているけど、内無双を決めたのはおそらく初めてのことではないだろうか。
知的な名優といったイメージの仲代さんだけど、若い頃は血の気が多くて喧嘩っ早いことでよく知られていた。俳優になる前の一時期、ボクシングをやっていたという話も聞いたことがある。
何かの映画の撮影現場で悪態をつく三船敏郎に激昂して「おい、表に出ろ。先輩だからって容赦しねえぞ!」と食ってかかったこともあるそうだ。その場に居合わせた丹波哲郎が止めに入って、三船は殴られずに済んだらしい。
知的な名優といったイメージの仲代さんだけど、若い頃は血の気が多くて喧嘩っ早いことでよく知られていた。俳優になる前の一時期、ボクシングをやっていたという話も聞いたことがある。
何かの映画の撮影現場で悪態をつく三船敏郎に激昂して「おい、表に出ろ。先輩だからって容赦しねえぞ!」と食ってかかったこともあるそうだ。その場に居合わせた丹波哲郎が止めに入って、三船は殴られずに済んだらしい。
熱海富士は相変わらず人の好さ丸出しで「ようやくデビューできるので頑張ってほしい」と語っているが、面白かったのは錦富士のコメント。記者から「稽古場で旭富士と呼びますか?」と質問されて、「わざとでかい声で呼ぶかも。だって旭富士なんだからしょうがないでしょ」と答えている。先代親方の苦虫潰した様な顔が思い浮かぶナイスな正論。
熱海富士は相変わらず人の好さ丸出しで「ようやくデビューできるので頑張ってほしい」と語っているが、面白かったのは錦富士のコメント。記者から「稽古場で旭富士と呼びますか?」と質問されて、「わざとでかい声で呼ぶかも。だって旭富士なんだからしょうがないでしょ」と答えている。先代親方の苦虫潰した様な顔が思い浮かぶナイスな正論。
問題は琴櫻。昨日はこれ以上ないというぐらいの会心の相撲を見せたが、今日はいつもの消極姿勢に舞い戻ってしまった。先場所故障した右膝の状態がまだ良くなっていないと思われるが、相手の霧島だって決して万全の状態ではない。いつまでもちまちました相撲を取っていると、両横綱との差はますます大きく開いてしまうことになるだろう。
問題は琴櫻。昨日はこれ以上ないというぐらいの会心の相撲を見せたが、今日はいつもの消極姿勢に舞い戻ってしまった。先場所故障した右膝の状態がまだ良くなっていないと思われるが、相手の霧島だって決して万全の状態ではない。いつまでもちまちました相撲を取っていると、両横綱との差はますます大きく開いてしまうことになるだろう。
さすがにいつもよりはきちんと受け答えしていたが、なんとか感動話に持っていこうとする記者連中の質問をうまくいなしたり、「座右の銘って無ければいけないものなんですかね?」と逆質問したりするあたりは、いかにも遠藤らしくて可笑しかった。
最近はマスコミに愛想を振りまくタイプの力士が多い。もちろん人気商売なのでそれが悪いことだとは思わないけれど、個人的には遠藤や髙安の様な素っ気ない対応の方がお相撲さんらしくて好感が持てる。
さすがにいつもよりはきちんと受け答えしていたが、なんとか感動話に持っていこうとする記者連中の質問をうまくいなしたり、「座右の銘って無ければいけないものなんですかね?」と逆質問したりするあたりは、いかにも遠藤らしくて可笑しかった。
最近はマスコミに愛想を振りまくタイプの力士が多い。もちろん人気商売なのでそれが悪いことだとは思わないけれど、個人的には遠藤や髙安の様な素っ気ない対応の方がお相撲さんらしくて好感が持てる。
安青錦が昔の力士の取組映像を見まくって自身の相撲の参考にしているのは本当の話だが、いちばん参考になったのは岩風の取口と公言している。つまり花田さんのビデオばかり見ているというのは出鱈目な話。
安青錦が昔の力士の取組映像を見まくって自身の相撲の参考にしているのは本当の話だが、いちばん参考になったのは岩風の取口と公言している。つまり花田さんのビデオばかり見ているというのは出鱈目な話。
📷 Leica D-LUX8
📷 Leica D-LUX8
余程のことがない限り10番は勝つと思うが、さらに上を目指す為には課題もある。先ずは立ち合いの当たりの強化。それと胸を合わせる相撲になるとまだまだ力負けする場面も見られる。先場所で言えば正代や若元春には全く歯が立たなかった。むろんその点については、安青錦本人と師匠の安治川親方がいちばんよく分かっているはず。
余程のことがない限り10番は勝つと思うが、さらに上を目指す為には課題もある。先ずは立ち合いの当たりの強化。それと胸を合わせる相撲になるとまだまだ力負けする場面も見られる。先場所で言えば正代や若元春には全く歯が立たなかった。むろんその点については、安青錦本人と師匠の安治川親方がいちばんよく分かっているはず。
創建年代については諸説ある。一説には江戸期の歌舞伎役者、二代目關三十郎が伏見より勧請したとされている。
失せ猫探しの御利益あらたかな神社としてよく知られているが、これは「マグネットの三島」と呼ばれた工学博士の三島徳七が行方不明となった飼い猫が戻ってくるようにと祈願したところ、3ヶ月後に無事に見つかったことによる。参道の入口脇にある碑は三島夫妻が建立したもの。
📷 Nikon D200 + SIGMA 30mm F1.4 DC HSM
創建年代については諸説ある。一説には江戸期の歌舞伎役者、二代目關三十郎が伏見より勧請したとされている。
失せ猫探しの御利益あらたかな神社としてよく知られているが、これは「マグネットの三島」と呼ばれた工学博士の三島徳七が行方不明となった飼い猫が戻ってくるようにと祈願したところ、3ヶ月後に無事に見つかったことによる。参道の入口脇にある碑は三島夫妻が建立したもの。
📷 Nikon D200 + SIGMA 30mm F1.4 DC HSM
室町時代中期頃まで現在の東京北部一帯を支配していた豪族豊島氏と由縁のある地蔵堂らしいが、詳しいことはよく分からない。ずらりと並ぶ石仏は全部で18体。造立年はまちまちだが、いずれも江戸時代の物。「下道」は「しもみち」と読む。この辺りから志茂 (しも) へと向かう道が分岐していたので、そう呼ばれる様になったと伝えられている。
📷 Nikon F3 + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
🎞️ Kodak Gold 200
室町時代中期頃まで現在の東京北部一帯を支配していた豪族豊島氏と由縁のある地蔵堂らしいが、詳しいことはよく分からない。ずらりと並ぶ石仏は全部で18体。造立年はまちまちだが、いずれも江戸時代の物。「下道」は「しもみち」と読む。この辺りから志茂 (しも) へと向かう道が分岐していたので、そう呼ばれる様になったと伝えられている。
📷 Nikon F3 + Ai Nikkor 50mm/F1.4S
🎞️ Kodak Gold 200