ねこせんべい
banner
nekosenbei.bsky.social
ねこせんべい
@nekosenbei.bsky.social
どうも。またお会いしましたね。
しかしその後、これを駆逐する服装が見られない。不思議であるが、その理由の一つは、常にフォーマルフアッションのルーツにあり続けた軍服の影響が小さくなって、逆に民間の服が軍服のデザインを左右する時代になった、そのためにスーツに決定的変化を与えるファクターがほかの分野から来ないこと、また、スーツに取って代わるべき適度にフオーマルな服装が登場しないので、それが昇格してスーツを追いやることがない、というのが理由だろう。”
October 12, 2025 at 4:55 PM
欧米でも、軍服からフロックコートが生まれ、乗馬服が燕尾服として昇格し、やがてタキシードに駆逐されていくわけで、定着してから百五十年以上たつスーツも、その中で当初の略装扱いから事実上の準礼装に格上げされた。今では改まった服装といえば、ほとんどダークスーツで事足り、タキシードすら追い上げられつつある。⇩
October 12, 2025 at 4:55 PM
そして、江戸時代には格の低い服装であった羽織袴が明治以後は礼装であり、きわめてカジュアルな服装であった小袖の着流し姿が、今では「和服」というものの通常の形式としてほぼ礼装扱いである。というか、今や和服そのものが一種の礼装と見なされる。⇩
October 12, 2025 at 4:55 PM
自分の金を他人に分けてやりたいと望む者など、どこを探してもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、何と多くの人に分け与えてやることであろう。財産を維持することでは吝嗇家でありながら、事、時間の消費になると、貪欲が立派なこととされる唯一の事柄であるにもかかわらず、途端にこれ以上はない浪費家に豹変してしまうのである。”
July 21, 2025 at 9:24 AM
私の愛は私にとって貴重であり、見境なくばらまくわけにはいかない。愛が課す義務には、犠牲を厭わないだけの覚悟が必要だ。私が誰かを愛する以上、その人は何らかのかたちで私の愛に値しなくてはならない。”
July 21, 2025 at 9:23 AM
… つまり、星座とは「世界の見方」であり、星を結ぶ者の主体的な行為である。それは真理の発見ではなく、真理の「創出」に近い。そこには、絶えず変化し、生成され続ける宇宙と、それを捉えようとする知性の共演がある。まさにホワイトヘッドが語る「創造的前進(creative advance)」の美である。

最終回において、星座を結ぶその手が、人間の思索と希望を象徴するのだとすれば、『チ。』とは、単なる天動説から地動説への転換の物語ではない。世界をどのように見るか、その「星座的再構成」の力を信じる者たちの物語である。私たちは、星を見るのではなく、「星座を描く存在」なのだ。”
June 18, 2025 at 8:32 AM
… ホワイトヘッドにとって、現実とは固定されたモノの集まりではなく、「出来事」の絶えざる生成とその関係性の網の目である。各出来事は他の出来事を感受しながら自己を形成する。それは、宇宙が単に物理的な背景ではなく、「相互に感受され、意味づけられる構造」だということを示す。

星座は、孤立した星々を「結ぶ」ことによって立ち上がる構造だ。そこにこそ、ホワイトヘッド的な視座が宿る。世界はただ「在る」のではなく、関係の中で「意味として生成される」。その意味で、『チ。』の星座描写は、知の体系が権力によって閉ざされた暗黒の時代においても、関係性と思考によって新しい「世界=宇宙の像」が描きうることを示唆する。…
June 18, 2025 at 8:13 AM
… たとえばタトゥーなどの身体加工・身体改造がもつ、自己の境界を再確定し、身体を自身につなぎとめつつも、同時に、いちど形成された境界や自己イメージを、侵犯し破壊してゆく作用などである。このような「他者性」は、身体の自己管理という言説がもたらす抑圧への、ひとつのオルタナティブな可能性として機能するのではないだろうか。”
May 20, 2025 at 3:45 PM