ねこせんべい
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どうも。またお会いしましたね。
“ 僕には3%アプローチと呼ぶものがある。いまでは何かを作るとき、原型の3%をエディットするということしかしなくなったんだ。疲れてるんだね。もう歳かな。僕としては、すでにある形にほんの少し手が加えられた状態が面白いんだ。この靴みたいに。これはエアフォース1。ジョーダンのやつ。新しいエアフォース1を作ってくれって頼まれたんだ。作るにあたって、3%だけいじってもいいっていう縛りを自分で設けてみたくなってね。新しい靴がもう一足ほしいというわけじゃないし。すでに自分が持っている靴のことをあらためて認識させてくれるような何かがいいと思ったんだ。”
October 24, 2025 at 1:01 AM
“ 直線的思考は過去のプロダクトの模倣に留まる。ジグザグなアプローチは新たな空間を見出す。”
October 23, 2025 at 11:00 PM
“ クオーテーションマーク付きで綴られる言葉は、二面性を同時に持たせることができて、抽象的であると同時に、具体的にピンポイントで何かを表現することもできる。キーボードだけでデザインできるしね。”
October 23, 2025 at 9:00 PM
“ 服装の歴史は、前の時代の普段着が次の時代に礼装に昇格し、その次の時代には特別な衣装に祭り上げられて、挙げ句に消えていく、その繰り返しである。日本でも、平安貴族のハンティングジャケットだった狩衣(かりぎぬ)が、鎌倉、室町時代には礼装となり、江戸時代には高位の大名の式服となって、明治以後は神主以外に着る人はなくなった。平安庶民の着た直垂(ひたたれ)は鎌倉時代に武士の普段着となり、江戸時代には礼装に昇格したが、今では相撲の行司だけが着る衣装に近い。戦国時代に直垂の袖をカットした略装である肩衣袴(かたぎぬばかま)が江戸時代には裃としてフォーマルウエアとなったが、これは現在では時代劇専用の衣服だ。⇩
October 12, 2025 at 4:55 PM
“ 建造環境とは、長い年月をかけて人びとの暮らしを通して自ずとなしてきたものである。そうした建造環境に建築家のほうが参加するのであって、その逆ではない ”
October 8, 2025 at 2:48 PM
“ 誰もが持つ創造性を発揮し、自分なりの方法で「よりよく生きる」ことを考えるDIY(Do lt Yourself/自分でやってみる) ”
August 27, 2025 at 5:36 AM
“ 人は、誰か他人が自分の地所を占領しようとすれば、それを許さず、境界をめぐっていささかでも諍いが生じれば、石や武器に訴えてでも自分の地所を守ろうとするものである。ところが、自分の生となると、他人の侵入を許し、それどころか、自分の生の所有者となるかもしれない者をみずから招き入れさえする。⇩
July 21, 2025 at 9:24 AM
“ 快原理を成就する技法のひとつとしてわれわれが認めるこの愛については、たびたび宗教との関連が指摘されてきた。両者は、自我と対象との区別も対象相互の区別も念頭から消え去るあの遥か彼方の一連の領域で、互いに繋がりあっているのかもしれない。普遍的な人類愛や世界愛に開かれたこのような心の態勢こそが、人間が極めうる最高の徳性だと考える倫理的な見地もある。[…] われわれが引っかかりを覚える主な点を二つ挙げておきたい。ひとつには、好嫌の区別なき愛というのは、対象に対して不当であるから、愛としての自らの価値の一部を損なうように思われる。そしてもうひとつ、すべての人間が愛に値するということはない。⇩
July 21, 2025 at 9:23 AM
“ 【 星座が結ぶもの──『チ。』最終回とホワイトヘッド的宇宙 】

夜空を見上げたとき、私たちは「星」を見る。しかし、それだけでは足りない。私たちはしばしば星と星を結び、そこに「星座」を描き出す。線を引くことで、意味を作る。宇宙にあるのは無数の光点にすぎないが、それを物語として構成するのは人間の営みである。

アニメ『チ。』の最終回――そのクライマックスで描かれる星座のシーンは、まさにこの「意味を結び直す」営みの象徴である。バラバラに輝く星々は、見る者の視点、知、意志によって結び直され、新たな形を成す。その行為は、ホワイトヘッドの過程哲学における「関係性の宇宙観」と重なる。…
June 18, 2025 at 8:13 AM
“ かろうじて此岸に留まりうる存在にとっての装いとは、「無」がこの世界にかろうじて触れていられるための足がかりであり、浮遊しないための重しでもある。装いは身体を被うものではなく、むしろ身体を生成する条件そのものとなる。”
June 10, 2025 at 9:00 AM
“ 装いとは「自分の一部でありながら、自分を超えて開かれた身振り」なのです。”
June 4, 2025 at 3:00 AM
“ 人と服の間にある「空気」という要素は、単なる物理的な余白ではなく、他者や世界との接点としての〝感受の場〟でもあります。それがあることで、服は自分の輪郭を硬く固定するものから、状況や関係に応じて呼吸するものへと変化します。自己の延長ではなく、他者と共にある身体の立ち上がりとしてとらえることができるのです。”
June 4, 2025 at 1:00 AM
“ 着物は「服の中に身体がある」のではなく、「身体が服を纏う動作によって場に立ち現れる」感覚を前提としています。それは実体ではなく、時間や風景の中で変化する〝存在〟としての人間を映し出す装いなのです。”
June 3, 2025 at 11:01 PM
“ あらゆる人間が一番先に、何よりも確実に知ることができ、知ってもいるのは、自分の目指している幸福である。それから同じくらい確実に人は、その幸福を示してくれる理性を知り、さらにその理性に従属している自己の動物的なものを知り、そのあとで空間と時間の中で目に映ずる他のすべての現象を、これはもはや知るのではなく、見るのである。”
May 30, 2025 at 6:00 AM
“「技法」の役割は「現象」の上に「現象」に抗して「見かけ=仮象」を打ち立てると共に、「見かけ」に「現象」の充実と意義を与える所にある。
「技法」は自由という形式のもとで「見かけ」と「現象」を相互に打ち消す力を持っているのだ。”
May 30, 2025 at 12:00 AM
“ 充分に不幸ではないという不幸…… ”
May 25, 2025 at 12:00 PM
“ ゆらぎや移ろいの余地があるからこそ、ものごとは続いてゆくのかもしれません。”
May 23, 2025 at 7:06 AM
“ 装うこと、身体の外貌を替えることは、自己の身体のコントロール権や決定権を自分自身が握っていることの確認となる。しかし他方で身体や身体イメージには、「他者性」とも呼ぶべきものも残り続けるのではないだろうか。自己による意識的な統制や所有を逃れ去るような性質は、身体そのものにはもちろん(「意に反して」、「知らぬうちに」起きている生理現象や老化など)、自ら身体の外観を形成・変容させるファッションにおいても存在している。…
May 20, 2025 at 3:45 PM
“ あなたが目指しているのは「文化的様式への帰依」ではなく、「様式を道具として借りながらも、自身の美意識で再構成すること」ですよね。”
May 19, 2025 at 2:03 PM
“ 重要なことには、デジタルメディア上のイメージは、ファッション雑誌で再現されていた理想的女性像ないしは男性像を踏襲しているということだ。かつてジャン・ボードリヤールは「モードは女性的なもの〔という観念〕にだけ関わっていればよいので、現実の女性とは関係がないのだ」と述べた。このときボードリヤールの念頭にあったのは、プレタポルテ台頭の1970年代における夢幻劇のごときファッションであったが、編集加工で理想を極めた現代のヴァーチャルファッションも外れてはいないだろう。…
May 19, 2025 at 10:15 AM
“ ピタッとした服じゃなくて、人と服の間にひとつ空気があるぐらいのボリュームやシルエットの方が、男性は人間が前に出て格好いい ”
May 18, 2025 at 9:00 AM
“「信念はすぐ呪いに化ける。それは私の強さであって限界でもある。」

   「・・・でも、信念を忘れたら、人は迷う。」

「迷って。きっと迷いの中に倫理がある。」”
May 13, 2025 at 3:04 PM
“「自由なんて聞こえはいいが、規範がないなら獣と変わらないじゃないか。」

   「・・・ええ、そうなのかもしれませんが、今ある規範を疑えないなら、それも獣と大して変わらない。」”
May 13, 2025 at 1:03 PM
“ その場しのぎの慰めなんか現実を変えやしない。
だが、芯から湧き出た苦悩は、煮詰められた挫折は、或いは 君の絶望は、希望に転化し得るのだ。”
May 13, 2025 at 10:01 AM
“ 日々の出来事は、通り過ぎていく。けれど時々、何かが急に心をノックする。その時私たちは、「はっ!!」として振り返る。すると出来事は通り過ぎないで、新鮮な「出会い」に変わる。見慣れたものが、初めて見るかのように思える。当たり前に信じていたことが、突然驚きに変わるのだ。
そんな日常の「出会い」から、自分なりにコツコツと考えてみることを「日々の哲学」と名付けよう。…
May 13, 2025 at 5:00 AM