ねこのしもべM
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ねこのしもべM
@nekonoshimobe-m.bsky.social
宮子あずさです。ずっと東京に暮らす看護師。博士(看護学)。臨床で働く野良研究者。サビ猫飼い。政治的立場はリベラル。<戦略的いいかげん>を大事にしています。性格は緩め。既婚フェミニスト。配偶者はねこのしもべF。旧姓使用で選択的夫婦別姓法制化待機ちう。1963年生。TwitterはRead only。こちらでは投稿もそろそろ....と思っています。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100022604281561
2015年春生まれのもふこ。10歳の女の子です。2019年夏に保護猫団体からもらい受け、早6年。もふこの舌がザラザラしていないことに、先ほど気づきました。

猫と言えばザラザラの舌……。もふちやん、本当に猫なのかな😅
よーく調べるとわずかにざらついていますが、なめられてもざらつきを感じません。

食べるのがヘタなのもそのせいなのか。特にウェットフードは、皿にはりつけてしまい、なかなか口に入らず。もっぱらドライフードがお気に入りです。

猫の舌もいろいろ。不思議です。
November 19, 2025 at 11:22 PM
今朝動物病院に連れて行く前のもふこ。

あのー、私のごはんがないのはなぜなんでしょうか❓️
November 12, 2025 at 9:57 AM
かわいいですね。とってもわかります。猫の添い寝。至福ですよね。私は勤めから帰ると、ついつい……。この目で見られると言うなりです。かくして細切れ睡眠が習慣になりました😅
September 17, 2025 at 4:03 AM
おはようございます。Blueskyにブックマークがついてハッピー❣️
右のあんよピーンで宇宙と交信してるもふこ😊
September 11, 2025 at 11:32 PM
おはようございます。

Blueskyとっても気に入ってるんですが、ブックマーク機能がないのがやっぱり不便。ついついXを見にいってしまう理由のひとつです💧
July 27, 2025 at 11:15 PM
タイムラインに流れてきました。かわいいですね💓うちのもふこも窓辺スタートです😊
July 27, 2025 at 11:11 PM
実際にカウンターをした者です。写真は参政党が街宣に来た時のサイレントスタンディング。吉祥寺駅頭で行いました。通行人が一緒に立ったり、外国人の方に喜ばれたり。不安な人、傷ついている人がたくさんいるんですよね。やってよかったと思います。十把一絡げに罵倒芸とは言ってほしくないですね。
July 25, 2025 at 12:00 AM
同感。日本のカープファンもいやーな気持ちです😅
June 21, 2025 at 1:36 AM
昨日(4/23)は予定通り参加してきました❗国会議員会館前で行われた<選択夫婦別姓制度 を実現しよう女性団体 大集会>。
私は、今の気持ちを表したプラカードを作って持参。本当に待ったよなあ、35年。今度こそ。絶対に実現させたい❗
以下は、東京新聞の望月衣塑子さんによるウェブの記事と動画です。
www.tokyo-np.co.jp/article/400569
www.youtube.com/watch?v=N1gD...
議員の方々の話によれば、今国会に法案を出せるかどうかの山場は5月。
とにかく同じ願いを持つ皆さん。ラストスパートのつもりで、悔いのないように声をあげていきましょう❗
April 24, 2025 at 2:23 PM
お疲れさまです。先ほどまで議事堂前の集会に参加していました。本日掲げた自作プラカードは家に吊るします。

ともにがんばりましょう😊
April 23, 2025 at 10:46 AM
目薬を嫌がってベッドに潜ろうとしたところをむんずと確保。もふこ10歳の女の子。毎朝のお約束です😆

#Blueskyねこ部
April 11, 2025 at 12:13 PM
ありがとうございます❗️ちょうど眼鏡が目立つ写真がありました🤓5年前の写真ですが、フレームは今もこれ。度が変わるとレンズだけ換えてます😊
April 5, 2025 at 6:59 AM
まあ、朗報😆うちのサビ猫にも長生きしてほしいものです❣️
March 28, 2025 at 2:53 AM
勤務の合間の雑事その他で、何やらバタバタした日々。
私の今一番の関心事は、なんといっても選択的夫婦別姓の国会での動きです。
選択的夫婦別姓は、国会で審議に入れるかどうか正念場。自民党が議席を減らした賜物なのですが、ここに来て、右派の支持層が大量に流れ込んだ国民民主党が、賛成から反対に転じる可能性あり。予断を許しません。
反対派は最近「子どもの姓」に照準を絞って反対に勤しんでいます。これに対する反論が、先日毎日新聞に載りました。
3月5日にアップされた、<選択的夫婦別姓「子どもへのメリットも多い」 反対意見に識者が反論>という記事。新聞の記事はすぐにリンク切れするので、画像でご紹介します。
March 9, 2025 at 3:04 AM
本当だ........。動画で見ると、マスクの息子が鼻くそほじくって、トランプのデスクにくっつけてる😅
x.com/JustinAHorwi...
February 13, 2025 at 5:39 AM
2025年2月7日(金)東京新聞朝刊「私の東京物語」第10回目です。最終回となる今回は、常勤の職を離れたのを機に入学した、大学院博士後期課程での日々を書きました。
当時の母は、入退院を繰り返していて、それも退職の一因でした。一方で、母親のために犠牲になったとは思いたくない。そんな意地もあったのです。そのためにも私は、退職しなければできないことをやろうと、決意。大学院に入学しました。
自立とは人のせいにしないこと。母が元気だった頃、2人でこんな話しをしたのが思い出されます。
博士論文のタイトルは『看護師の実存から探る看護の本質と、それを職業として生きる意味』。これからも探究に努めて参ります。
February 8, 2025 at 12:55 AM
2025年2月6日(木)東京新聞朝刊「私の東京物語」第9回目です。この回では精神科訪問看護での経験を書きました。
利用者さんの多くが長期入院を経験し、生活保護受給者でした。病を抱え、最低限の生活をしている実態を見たのも、得がたい経験だったと言えます。今は生活保護受給者を叩く社会的傾向がありますよね。そうした発信をする人は、本当の実態を知らないんじゃないかと思います。
利用者さんの中には、「これなら入院していた方が快適なのでは」と思える、そんな生活状況の人もいました。それでも、「やはり家がいい」という人もいて。その人の幸せは、他人が決めるものではない。その気持ちを強くしたものです。
February 7, 2025 at 3:00 AM
2025年2月5日(火)東京新聞朝刊「私の東京物語」第8回目です。この回では内科病棟で働き始めた頃出会った、忘れられない患者さんの話を書きました。
1987年から勤務した東京厚生年金病院は、飯田橋徒歩数分の立地。周囲に大学病院が林立する中、地元の病院がいい、と選んでくる患者さんが多く、地域病院といった感じでした。
私が勤務した内科病棟はいわゆる一般内科。脳卒中、進行がん、心疾患、消化器疾患などさまざまな患者さんを受け入れていました。

土地高騰のバブル時代を経て、地元住民の多くは土地を手放し、郊外に転出。記事に書いた元芸妓さんのような濃い患者さんが減り、ずいぶん雰囲気も変わりました。
February 5, 2025 at 10:10 PM
2025年2月4日(火)東京新聞朝刊「私の東京物語」第7回目です。この回では保谷市(当時)から武蔵野市への引っ越しから、結婚するまでを書きました。
夫の藤江慶一郎とは都立大泉高校の同級生。1年生の時、同じクラスになりましたが、親しく話した記憶はありません。
再会したのは互いに就職後。彼は、高校時代交通事故で瀕死の重傷を負ったことを、「まあ運ですよ。起きちゃったことは仕方ないですからね」と受け入れていました。
当時私は、内科病棟で働き、病気を受け入れる大変さをいつも思っていました。病気と事故とでは違うのですが、なんか、ほっとした....。
互いに、くじ引きを受け入れる心情と似たものを感じます。
February 5, 2025 at 1:58 AM
2025年1月31日(木)東京新聞朝刊「私の東京物語」第6回目です。この回では看護学校を卒業して、親元を離れて一人暮らしを始める所までを書きました。

家を出るまでには、いろいろありました。
私は、前述のように、フェミニストの母とは同志的な関係。双方の運動仲間からは、間違いなく「理想的な親子」と見られていました。
けれども、どんなに親に対して同志的な連帯感や敬意を抱いていたとしても、やはり子どもにとっては親は親。私にとっては、一度は離れて自分の世界を確立したい、そんな存在だったのです。
母もそれはわかっていたのか、「親は子どもにとっては権力者」と折に触れて言ってい田野を思い出します。
February 1, 2025 at 2:30 AM
2025年1月10日(木)東京新聞朝刊「私の東京物語」第5回目です。この回では高校入学から大学中退を経て看護専門学校に入った時期までを書きました。
中学時代から学校という場所にはなじめず、高校に入ってもすぐにそんな状態になってしまいました。

独学で学ぶのは好きなのですが、授業で座っているのがものすごく苦痛。かなり性質が偏っているんだと思います。特異なことと不得意なことの差も激しく、興味のないことにはまるで関心が向きません。
けっこう悩みもしたのですが、高校の途中から、もう子どもでいることは飽き飽きしたんだと気づき、それからは楽になりました。
January 30, 2025 at 9:29 PM
2025年1月29日(水)東京新聞朝刊「私の東京物語」第4回目です。この回では母の参院選立候補の話を書きました。
母が革新無所属として全国区に立候補したのは、第11回参院議員選挙。その結果を見たくて検索したら、Wikipediaにしか詳細は出ていませんでした。
<Wikipedia:第11回参議院議員通常選挙>
qr.paps.jp/yCDeZ

改めて見てみると、この選挙で母との間で票が割れたであろう、革新自由連合の当選者は、なんと横山ノックだったんですね。
後の変節をみれば、担いではいけなかった人では.........。
ちょっと見てはいけないものを見た気持ちになりました。
January 30, 2025 at 1:16 AM
2025年1月28日(火)東京新聞朝刊「私の東京物語」第3回目。この回では母の東映勤務時代の話を書きました。
母が東映の宣伝部に勤務したのは、1954年から。1963年の出産後もそのまま働き続けた母は、今とは比べものにならない圧力の中で働いていたのは間違いありません。

賞与ばらまき事件の他にも、差別的な同僚男性にインク壺を投げつけた武勇伝も聞きました。根っからのフェミニストの母は、許せないことは面と向かって「許さない」と言わないと気が済まない人だったんですね。
そして、さすがにこれは.....と思っていたことに限って、後に事実だったとわかり、驚いたものです。
qr.paps.jp/ea03g
January 29, 2025 at 1:39 AM
2025年1月24日(金)東京新聞朝刊「私の東京物語」第2回目です。この回では両親、特に父のことを書きました。
父はテレビ局に勤めましたが、もともと演劇の世界に行きたかった人。彼の中で、演劇一番、映画が二番、テレビが三番というような序列があって、もうそれは訂正不能でした。

ちなみに、東京厚生年金病院の内科で働いていた時、「東京オリンピック」で父と働いた、という人が入院していて、亡くなるまで、ずいぶん映画の話を聞きました。
彼も、あの映画が頂点だったよう。父と似た雰囲気の人でした。お酒で命を縮めたところも。映画の話をする時、本当に幸せそうだったところも.........。いい人だったなあ。
January 25, 2025 at 2:28 AM
2025年1月23日(木)から、東京新聞朝刊の短期連載「私の東京物語に出ています。全10回の初回。掲載から1日遅れでこちらにアップいたします。

「私の東京物語」は東京の地名を出すのが、マスト。私の生まれてからの立ち回り先を中心に書いていきました。
初回の写真は武蔵野市の自宅。杉並に生まれて、武蔵野市に落ち着き、今の職場は三鷹市。今にして思うと、以前の勤務先・飯田橋が、最も東への移動でした。基本的に東京の西側に生息しています。

両親のこと、仕事のこと、大学院のことなど、いろいろ書いています。恥ずかしながら、ご覧いただければ幸いです。2回目は明日アップいたします。
January 24, 2025 at 11:36 AM