ネアンデルターレンシス
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ネアンデルターレンシス
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ここにおいては汚い話題は避けて綺麗な原始人になろうと思います。
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ニコニコ:https://www.nicovideo.jp/user/119468532
note:https://note.com/neanderthal514/
注釈書にいい記述があった。

マヌヴァルタムクターヴァリー. tathoṣṭravarjitān ekadantapaṃkty upetān「このように一本歯の集まりのうち、ラクダは除かれる。」
February 21, 2025 at 9:20 AM
am絶対詞全体の上では、以後、このようなパーニニによって取り上げてられない場合でも、ブラーフマナの古代方言でより使用される。
アイタレーヤブラーフマナ.2,19,7 yadavdagrāhamanubrayāt
シャタパタブラーフマナ.12,8,3,7 abhisaṃsāram didṛkṣitāraḥ
パーニニ3,4,12曰く、am絶対詞はzakと共にヴェーダ語イディオムとして用いられる。
マイトレーヤサンヒター.agniṃ vai devā vibhājaṃ nāśaktavan= vibhuṅktum nāśaktavan
タイッティリーヤブラーフマナ1,1,5,6
February 1, 2025 at 10:43 AM
古代方言からも以下が加えられる。
アイタレーヤブラーフマナ 1,21,11. aṅgasamākhyāyam evāsmiṃs tad indriyāṇi dadhāti(P. 3, 4, 58.)
全ての表現において、絶対詞は複合語の最終要素となる。もう一つのイディオムはpūrvam,prathamam,agreと共に使用され、am絶対詞とtvā(ya)絶対詞の両者で用いることができる。

prathamaṃbhojam(-bhuṅktvā) vrajati のように。
February 1, 2025 at 10:43 AM
クマーラサンバヴァ.4,26. stanamaṃbādhamuro jadhāna
P. 3, 4, 55.joṣamāste 同様の意味で、ヴィッダシャーラバンジカー.II,p.36.tuṣṇīṃ bhavati
February 1, 2025 at 10:42 AM
パーニニ.3,4,29.kanyādarśaṃ varayati
パーニニ.3,4,52.śayyotyāyam dhāvati
パーニニ.3,4,52.keśagrāhaṃ yuddhante ダシャクマーラチャリタ.jīvagrāhamabhigṛhya
パーニニ.3.4.36,ムドラーラークシャサII.p.76 loṣṭadhātaṃ hataḥ
パーニニ.3,4,37, マハーバーラタ.1.1480 niṣpiṣyainaṃ balādbhūmau paśumāramamārayat
February 1, 2025 at 10:42 AM
さらに、am絶対詞は、少なくとも古典サンスクリットにおいて、慣用句(standing phrases)に限られる。パーニニ.3,4,25-64で例が挙げられている。
February 1, 2025 at 10:42 AM
ダシャクマーラチャリタ.30 lāṭeśvaro deśasyāsya pālayiturvīraketostanayāṃ vāmalocanāṃ nāma taruṇīratnamasamānalāvaṇyāṃ śrāvaṃ śrāvamavadhūtaduhitṛprārthanasya tasya nagarīmarautsīt.
ダシャクマーラチャリタ.95 pamāsvādamāsvādaṃ
February 1, 2025 at 10:41 AM
382. am絶対詞
他にも-amからなる絶対詞は、動名詞の対格を起源とするものである。おおむね同時性行動を表すものの、比較的稀にしか用いられない。二個置かれる場合、反復か継続動作を表現される。(P.3,22)
February 1, 2025 at 10:41 AM
耳を傾ける
January 16, 2025 at 11:46 AM
「時々であるが、分詞sant-は形容詞に加えられる。…samavadyati. samavattāṃ eva satīṃ tad enāṃ pratyakṣam hotari śrayati『…バラバラに切り落とし、それらの破片は、目の前でホートリ神官に授けられた。』ここの主語は(後の文に)同じように残存しており、絶対格的に使われている。しかし、動作主(action)ではなく非動作主(patiens)に強勢が置かれている構文は、さらにsatīmが追加されることによって、行為が行われている、あるいは結果が達成されたという事実を指示している」
January 15, 2025 at 8:02 AM
Rem.いくつかの形容動詞は「必要性」のみに絞られる。 viz....āvyaのいくつかは。パーニニ,3,1,125.他の意味の例外は受動態の誤用によって引き起こされる。dānīya「贈り物に相応しい」 saṃdheya「同盟を結ぶに値する」udvejanīya「恐れる」 いくつかの例では能動的意味も持つ。パーニニ3,4,68を見よ。
January 10, 2025 at 7:22 AM
ダシャクマーラチャリタ.78 みすぼらしいジャイナ沙門が自らの不運と、父祖の信仰を断ち切る必要に迫られたことを嘆く。
mama tu mandabhāgyasya ... aphalaṃ vipralambhaprāyam īdṛśam idam adharmavartma dharmavatsamācaraṇīyam āsīt「しかし、運の悪い私にとって、このような無益で虚しさに満ちた行いは、不正の道であった。本来は、正しい道を歩むように実践されるべきものであったのだ。」
January 10, 2025 at 7:22 AM
いくつかの場面では、形容動詞は怒りをも表現しうる。(期待ではない)
ムドラーラークシャサ.p220 羅刹がパータリプトラの道でチャーナキヤの栄光の宣言を聞き、言った。etadapi nāma rākṣasena śrotavyam
「その名を、羅刹は聞きいてしまいましたぞ!」
January 10, 2025 at 7:22 AM
義務の放棄?(desert)や可能性(ability)はそれらによって表現されている。カーシカパンチカ,3.3.169にはこんな例がある。bhavatā khalu kanyā voḍhavyā= bhavan kalu kanyāṃ vahet= bhavān etad arhed iti (あなたは女と結婚できるであろう)そしてスートラ172に bhavatā khalu bhāro voḍhavyaḥ= bhavan hi śaktaḥ(あなたは妻を得ることができる)
January 10, 2025 at 7:22 AM
最後の例は、形容動詞は未来時制の分詞としての境界線をはっきり示す。kāryaはほとんどkariṣyamānaであり。それゆえbhavitavya,bhāvya(おそらく起きるであろう)→bhavitavyatā「未来」
January 10, 2025 at 7:22 AM